前教皇ベネディクト16世の葬儀:「壊れた教会」を残して亡くなる

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ローマ・カトリック教会の前教皇、ベネディクト16世(在位2005年~13年2月)は5日、ローマのサンピエトロ大聖堂に埋葬された。同16世は昨年12月31日、95歳で死去した。フランシスコ教皇による葬儀ミサが同日午前9時半(現地時間)、サンピエトロ広場で行われた後、棺はサンピエトロ大聖堂内の地下聖堂に埋葬された。ベネディクト16世の願いで、遺体は、聖ヨハネ・パウロ2世の横に安置された。バチカン・ニュースによると、5万人以上の信者らがサンピエトロ広場のミサに参加し、ベネディクト16世に最後の別れを行った。

サンピエトロ広場で挙行されたベネディクト16世の葬儀式典(2023年1月5日、バチカン・メディアから)

バチカンのスポークスマン、マッテオ・ブルーニ氏によると、生前退位した前教皇の葬儀式典は基本的には亡くなった教皇の時に倣って行われたが、教皇の座が空席ではないので、コンクラーベに関連する2、3の式典、祈りは省略された。

葬儀の式典には、世界中の国家元首、聖職者、貴族関係者が参列した。ドイツからフランク=ヴァルター・シュタインマイヤー大統領、オラフ・ショルツ首相、ベルベル・バス連邦議会議長、バイエルン州のマルクス・ゼーダー首相が参列し、ドイツ出身の教皇に別れを告げた。

バチカンによると、そのほか、ポルトガルのマルセロ・レベロ・デ・ソウザ大統領、ポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領、そしてコンスタンティノープル正教会総主教の代表団、ハンガリーからはヴィクトル・オルバン首相とカタリン・ノヴァク大統領が参列した。

サンピエトロ広場でのレクイエム前の同日午前7時頃、非公開の儀式がサンピエトロ大聖堂で行われた。前教皇の生涯、その歩みなどが記述された文書(ロギトゥム)が読まれた後、金属カプセルに封印され、棺の中に収められた。その後、遺体に布が覆われ、副葬品は棺に入れられた後、儀式のために外に運ばれた。ミサはフランシスコ教皇が一部担当し、同日11時ごろに終了した。

葬儀式典には安全対策のため、バチカン憲兵隊に加えて、総数1000人の警官が動員された。サンピエトロ広場に通じるメインストリートは通行止めとなり、ローマ上空の空域は葬儀式典中、閉鎖された。

ドイツのバイエルン生まれのベネディクト16世は2005年、27年間と長期在位してきたヨハネ・パウロ2世の死を受けて開かれたコンクラーベ(教皇選出会)で第265代教皇に選出された。約500年ぶりにドイツ人教皇の誕生ということでドイツでは大歓迎されてきたが、2013年2月、「教皇職を務めるだけの体力がなくなった」として生前退位を発表し、世界を驚かせた。

教皇職は終身制だが、1294年、ケレンティヌス5世以来719年ぶり、2人目の生前退位した教皇となった。退位後は、バチカン内のマーテル・エグレジェ修道院で生活してきた。ベネディクト16世の私設秘書を務めてきたゲオルク・ゲンスヴァイン大司教からの情報によると、「同16世はここ数年肉体的にはかなり弱まっていたが、その知性は最後までシャープだった」という。

同16世は近代の教皇の中でも最高峰の神学者と呼ばれ、学者教皇と呼ばれてきた。ベネディクト16世は教皇に選出前(ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿と呼ばれた)、バチカンでは“教義の番人”といわれた教理省(前身・異端裁判所)長官を務め、新ミレニアムの西暦2000年の記者会見では教会の過去の不祥事をヨハネ・パウロ2世に代わり正式に謝罪するなど、世界のローマ・カトリック教会の中心的人物として活躍してきた。

ただ、今年1月20日、ベネディクト16世はミュンヘン・フライジンク大司教区の大司教時代(1977年~82年)、聖職者の未成年者への性的虐待問題に関連し、「少なくとも4件、聖職者の性犯罪を知りながら適切に指導しなかった」という内容の報告書が公表され、犠牲者から訴えられた。

ベネディクト16世の在位後半は聖職者の未成年者への性的虐待問題で教会はその対応で大わらわとなった。教会への信頼は地に落ち、多くの信者は教会から去った。イエズス会のアンスガー・ヴィーデンハウス氏はドイツ・メディアとのインタビューで、「私たちの教会には何かが壊れている」と答えたが、学者教皇ベネディクト16世は教会刷新の道を提示できず、「壊れた教会」を残して亡くなった。

なお、私設秘書ゲンスヴァイン大司教によると、ベネディクト16世の最後の言葉は「主よ、私はあなたを愛しています」だったという。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年1月6日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。