連日アツい戦いが繰り広げられているサッカーワールドカップ・カタール大会。在日韓国人である私(P.K.サンジュン)は「日韓戦はどっちを応援するの?」と聞かれることがあるのだが「どっちでもいい」というのが正直なところ。スポーツはプロ野球一択、なんなら千葉ロッテ一択なのである。
……が、まだ私が20歳くらいの頃までは「サッカーの日韓戦の時だけは韓国を応援していた」とお伝えしておく。理由はシンプルにたった1つだけ。以下でその理由をお教えしよう。
・サッカー部だったけど
日本生まれの日本育ち、在日韓国人3世である私は、幼い頃から両親に「お前は韓国人だからな」と言われて育ってきた。当時の私が “国籍” という概念を正確に理解していたとは思えないが「みんなとは違うんだ」とおぼろげに刻み込まれていたハズだ。
蛇足ではあるが、両親は何かの議論をする際「日本はこう、韓国はこう、アメリカはこう」といった感じで話を展開することが多かった。結果的に私と2人の妹たちは「多角的かつ客観的な視線」を育みやすい環境にいたのだろう。
話はガラリと変わり「私とサッカー」についてお話しておく。バリバリの「キャプテン翼世代」である私は、小学校4年から6年までサッカー部に所属していた。まだJリーグが誕生する前、憧れの選手は「新田瞬(にった しゅん)」である。
小学生の頃は6年間、いつも前から2番目の背丈しかなかった私は、15人しかいないサッカー部の中でも万年補欠。だが、サッカー部自体は楽しかった。そういう意味で現在も特にサッカーが嫌いというワケではなく、ただ見ることに興味が無いだけだ。
最も古いワールドカップの記憶は1990年の大会で、当時珍しかったパラボナアンテナを「息子がサッカーをやっているなら」と、父が設置してくれたのである。優勝は西ドイツ。私のお気に入りは「クリンスマン」と「マテウス」だった。
・韓国を応援していた理由
で、それから数年。いつなのかは正確に覚えていないが「初めての日韓戦」をテレビ観戦したときのこと。私はごくごく自然に韓国を応援していた。それは決して韓国人としての自我が芽生えていたからではなく「サッカーくらい勝てよ」と思っていたからだ。
父の姉がソウルに住んでいる関係で、幼い頃から私たち親族は1年に1回くらいのペースで韓国に遊びに行っていた。そこで目の当たりにするソウルの光景は “後進国” というワケではなかったものの「日本より勝っているな」と思える点が1つも見当たらなかったのである。
さらに言えば、両親は常々「日本はここがすごいのに、韓国のここが本当にダメ」などと口にしていた関係で、私の中ではフワッと「韓国は日本より劣っている部分が多い」というイメージが出来上がっていた。そんな中、唯一勝っているかもしれないのが「サッカー」だったのだ。
当時から「サッカーは韓国の国技の1つ」と聞いていたし、日本がワールドカップに初出場を果たしたしばらく前から、韓国はワールドカップに出場していた。自分が何人なのかグラグラしていた時期、私は「サッカーくらい勝てよ」と思っていたのである。
・サッカーくらいしか無かった
その後、韓国留学を経て「俺は全然韓国人じゃない。日本人の方が遥かに近い。でも日本人でもない」といった感じで “在日韓国人” としてのアイデンティティが確立されるまで、私はサッカーに関しては韓国を応援していたように思う。手短に言えば「サッカーくらいしか勝てるものが思い浮かばなかったから」だ。
また、高校生の頃に千葉ロッテマリーンズにハマった結果、サッカーにほとんど興味が無くなったこともある。もちろん私が大人になり「勝ち負けじゃないな」と悟ったことも大きいのだろう。結果的に冒頭でもお伝えした通り、現在では「どっちでもイイ」と思っている。
とか言いながら、それでも日本と韓国がワールドカップでベスト16まで残ると「どちらも頑張ってね」と応援する気持ちも無くはない。ただ日韓戦があった場合は「どっちでもイイ」が私の正直な答え。なお、野球はバリバリ日本を応援している。
執筆:P.K.サンジュン
Photo:RocketNews24.