子供の頃、母親が買ってくるおやつ用のお菓子に抱いていた微妙な思い。
お菓子なのだから基本的はうれしいのだが、自分が欲しいものとのずれを感じることも多かった。おまけつきやキャラクター物ではなく、地味な袋菓子が中心のチョイス。
小学校も高学年になると、母が買ってきた服にも同じような気持ちを感じた。謎の色づかいや意味不明の英字。
なんとなく釈然としないままそれを着て登校していたあの頃。大人になった今、お菓子も服も自分で買うが、今回は当時に戻ったつもりで母にチョイスをまかせてみました。
※2006年9月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
釈然としない気持ち求めて
母親チョイスの微妙な感じ。そういうものを感じていた頃から20年以上経ったことになるだろうか。改めて書くと相当前のことであるのだが、そんな気がしない不思議さも感じる。
写真は当サイトの過去記事「コワモテになっていいことをする」より。悪そうな格好をして親孝行という善行をするという場面なのだが、母の顔が大変なことになってしまっている。
「こういう顔文字あったよな」という表情。いつも迷惑なのかなんなのか判断しがたいことに協力してもらって申し訳ないのだが、今回も協力してもらいます。
実家から母をショッピングモールに連れ出し、今回の企画の趣旨を説明。話を始めて間もなく、母の表情はわかっているのかわかっていないのかわからないようなものになった。
「やってくれる?」と聞いたところ、「とにかくお菓子を買ってくればいいのよね」と一応の許諾。さあ、ミッション開始だ。
何度もこちらを振り返りながら、休憩コーナーをあとにしてスーパーの方へ歩いていく母。その様子に思わず「がんばれ」と思ったりもしたが、別にがんばるほどのことでもない。
条件として、「500円以下でそろえる普段のおやつお菓子」と設定してみた。どんなものが買われてくるだろうか。
20分以上待って、母が戻ってきた。もっと手早く買ってくるかと思っていたのだが、予想以上に時間がかかった。
戻ってきた母が持っていたのは、思っていたよりふくらんでいるビニール袋。質より量ということか。私も気の利いたお菓子をちょこっと買ってきてもらうより、実はこちらの方がうれしい。
不安そうだった先ほど比べて、母の表情は明るい。なんだかわからないまま買い物に行ったわけだが、選んでいるうちに楽しくなってきたそうだ。そういう前向きな気持ちで買ってきてくれたのならこちらとしてもうれしい。
どんなお菓子が入っているのだろうか。中身を出してみる。
ジャガイモのスナック、マンゴーのひとくちゼリー、梅酒のチョコ、お菓子詰め合わせというラインナップ。おお、どれも悪くないなあと素直に思う。
いや、もしかするとこうしたものたちは、小学生の頃の自分だと「なんだかなあ」と思っていたのかもしれない。大人になって嗜好が母と一致してきたとも言えそうだ。
さて、これらの中で注目すべきは、やはりお菓子の詰め合わせだろうか。
「これ、こんなに入って100円だったのよ!」と母。「それは安いね!」と思わず反応する私。
あとになって冷静に中身を分析するとそうでもないような気もするが、どうもこうしたパッケージングには親子で弱いようだ。なんだ、子供の頃に感じていたズレがないではないか。
続いてはフロアを変えて、服を買ってきてもらうことにする。お菓子よりも選択が難しいアイテムだと思う。
先ほどは買い物を楽しめたようだが、服を買ってくる話を切り出すと、お菓子の話を切り出したときと同じような表情になった。母は一体、どこを見ているのだろうか。
「服を買ってきてくれ」だけでは注文としてあまりにも漠然とし過ぎている感もある。やはり条件があった方がいいだろう。今回設定したのは「息子に似合うチョイ悪服」だ。
「チョイ悪って、あれかい、ちょっと悪っぽい感じの?」と母。そう、それで合っている。
私自身の趣味としても買ったことのないテーマの服。どんな服を持ってくるのか楽しみだ。
今度はお菓子のときほど時間がかからず戻ってきた。その表情にも自信がありそうで、「いいのがあったよ!」と言いながら服の入った袋を手渡してくる。
なるほどなるほど、雑誌でチョイ悪として紹介されているものと方向性は違うかもしれないが、確かにチョイ悪という要素は満たしていると思う。
「1000円引きになってたのよ!」とうれしそうに言う母。そういうポイントもしっかり押さえてくる辺りが母だ。
私が服の前の方ばかりを見ていると、それを奪って背中側を見せてくる母。前に描かれている竜の顔の続きが後につながっているというデザインが気に入っているようなのだ。
「綿100パーだから涼しいよ」と、素材の面もアピールしてくる。では早速着てみよう。
トイレで着替えてきた私を見て、「あー、あーあー、うんうんうん、ああ…」と、納得しているのかどうなのかよくわからない反応を見せる母。同行していた妻も微妙な表情だ。
「悪さが足りないわ…」とつぶやく妻の言葉を受けて、母が「ボタンをもっとはずしたらいいんじゃない?」と言い出す。
「うん、感じ出てきた!」「雰囲気あるわよ」と、楽しそうな妻と母。ものすごく落ち着かない気持ちなのは私だけみたいだ。嫌だ、こんなの自分じゃない。
自分で出した条件で自分が一番微妙な気持ちになっている。盛り上がる2人についていけない自分。なんだこれは。
さらにフロアを変えていよいよ最後のミッション、今度は本を買ってきてもらおうと思う。
子供の頃、マンガが読みたいにも関わらず、たまに買ってきてくれた本は、やはり「ためになる」系。大人になった今はその気持ちもわかるが、当時は「なんだかなあ」と思っていた。
これまでと同様、課題を告げると表情が暗くなる母。「汗かいちゃうよ」と言いながら書店コーナーに向かっていく。
不安なのかと思って最初だけ一緒についていこうとすると、「いいからいいから、みんなあっち行って!」と言い出す。真剣に考えるために一人になりたいのか。
近くのベンチに座っていると、母が書店内をうろうろする姿がちらちらと見える。なにかぶつぶつ言いながら本をいろいろ手に取っているようだ。
しばらくすると、会計を済ませてやってきた。またも表情は明るい。「見つけた瞬間、これにしたわ」とのこと。
母が買ってきたのは『お母さんという女』(益田ミリ・著/光文社知恵の森文庫)という本。実家にたくさんある詩画集あたりかと思っていた私には予想外のチョイス。
どう解釈していいのか判断しにくい題名。裏表紙には本の内容がコンパクトにまとめてあった。
本の内容は、著者が母親と過ごす中で感じた、その微妙な行動や特徴をエッセイとマンガで描いたもの。「あるある」とうなずかされる場面がいくつもあって、一気に読めた。
なんというか……今回の企画の意図を見透かして選んできたのだろうか。だとしたら鋭い、ような気がする。
よみがえれ釈然としない気持ち
あとから「先日の買い物は楽しかったです」と書いたメールを送ってきた母。そう思ってくれているならよかったと思う。
子供の頃は微妙に釈然としなかった母親チョイスだが、今になってこうしてやってみると、少し違うように感じる。微妙は微妙なのだが、釈然としないということはないのだ。
「こういう線で来たか」と、それぞれの選択の意図のようなものが感じ取れる、と言えばよいだろうか。それはそれで、大人になって理解が深まったということだとも思う。
そういえば先日、いつだったか母が買ってきて以来ずっと長い間使ってきた、変な花柄の布団を捨ててしまった。かなり古くなって傷んできていたからだ。
見るたびに釈然としない気持ちになっていたあの布団。そういう気持ちになるものだったのに、今思うとまだ捨てなくてもよかったかなと、惜しく思うような気持ちになる。