TSMC熊本上陸に始まる世界標準という黒船:外資が優秀な学生を根こそぎ持って行く日

アゴラ 言論プラットフォーム

「『世界標準経営』がやって来た TSMC熊本上陸の衝撃」という日経の論説委員記事があります。台湾の半導体大手、TSMCが熊本に同社工場を作るにあたり、様々な日本の常識を覆しているというものです。記事を読んでふと思ったのはこれは衝撃の始まりに過ぎないかもしれない、という懸念です。

台湾・台団サイエンスパークのTSMC工場 BING-JHEN HONG/iStock

日本の経済界には何度か黒船がきましたが、私の記憶で鮮明なのは日産のゴーン旋風でした。あの倒産間際の日産自動車に1999年乗り込んできたゴーン氏は日本人ではできなかったであろう数々の英断を進め、同社再建の道を作りました。彼はあのような形で日産と終止符を打ちましたが、当時だけを見れば極めて鮮烈で日本の経営者に与えた影響は計り知れないものがあったと思います。

日本は比較的外資が育ちにくい環境にあります。そこで外資は日本企業の大株主になったり、社長が外国人だったりすることでひっそりと国際化を進めてきました。楽天のように社内で英語を使うのは本当にそれが必要なのか、経営者の意識の売り込みなのか疑問視するような会社もあります。一方、武田のように国際化が進みすぎると純日本的な考え方の社員が抜けていくという弊害もあります。エリート社員と称される人がどんどん退職し、同社は外面こそ日本企業だけど中身は外国企業になりつつあるというところもあります。

ではTSMCの衝撃は何なのでしょうか?記事には4つの世界標準とあります。①1兆円規模の工場建設の工期は10年ぐらいかるところを2年半 ②面接は英語、採用要項も英語 ③初任給は三菱商事やトヨタよりはるかに高い28万円 ④再生エネルギー100%で事業運営予定 なのです。

1兆円を36カ月で割るとひと月27.7億円分仕事をしなくてはいけません。もちろん、工場なので装置類比率が大きく、全額が工事費ではありませんが、ゼネコンにいた私が見ても普通は不可能レベルです。大昔ですが、私がやった最大規模の建築は11カ月で40億円で、それでもクレージーと言われたぐらいです。(土木工事では月10億円以上の出来高をあげた現場にいたこともあるのですが、建築工事はそう簡単ではありません。)受注した鹿島も常識を覆しながら作業を進めるのでしょう。それよりもその条件を請けた鹿島の度量も凄いと思います。

グリーン化はそもそも九電管轄では再生可能エネルギーに余力があった記憶があります。TSMCがなぜ、九州をその場所に選んだのだろうと思っていましたが、それも一つの理由だったのでしょう。企業が進出先を決める重要な条件に企業としてのガバナンスや明白なるポリシーを最優先し、妥協しない点に於いて上記2つは世界標準でもありますが、経営者の迫力ともいえましょう。

では残りの2つ、英語面接と初任給の高さ、これが私は気になるのです。就職人気企業ランキングをご覧になったことがある方も多いと思いますが、実は国内学生向けと帰国子女向け調査ではそのトップ10の8割が相違します。後者は概ね外資が優勢です。理由は何でしょうか?英語だと思うかもしれませんが、それだけではないのです。社内環境が外国により近いのです。能力主義、ドライ、一人ひとりの権限と責任が明白…といった日本企業にはない特徴があり、それを理解し、良しとする人たちにはたまらなくうれしいのです。

例えば会社であることを決める際に会議をします。「皆さんのアイディアをそれぞれ聞かせてもらおうか?」という日本企業の部長と「おい、聞いてくれ。〇〇さんが持ち込んだアイディアをこれからプレゼンしてもらう。皆でそれについてブレーンストーミングしたい」という外資系の部長さん。前者の場合は平等主義で全員にチャンスを与えますが、正直いやいや資料を作る社員もいるわけです。とりあえず発表しなくちゃ、という学校の宿題をこなす感じです。外資ならそんなレベルの話はそもそも聞きません。検討の俎上にのせる内容の精度と効率をより高めるとこうなるのでしょう。

私はどちらが良いかという話をしているのではありません。このような黒船企業が今後、更に日本に進出してきた場合、日本の優秀な学生を外資が根こそぎ、持って行ってしまうだろうという懸念なのです。そして給与の面でもそうですが、明白な格差が出るということです。TSMCの平均年収は1700万円です。これは日本で最高額のキーエンスとほぼ並びます。もちろん、この平均年収が熊本の工場でそのまま適用されるわけではないのですが、能力あるものは別次元の世界に行けるということなのです。この異次元賃金をぶら下げてきた外資が優秀な学生漁りをしたら横並び主義の日本企業は人を採用できなくて根底から人事政策を見直さざるを得なくなります。

お前の言うことは少々大げさではないか、あるいは話が飛躍しすぎていないか、と言われると思います。もちろん、私は今日明日の話はしていませんが、確実にそういう時代がやってきていることは指摘したいのです。学生の数は今後、着実に減ってくるのです。19年の大卒数は57万人。ところが21年に生まれた子供は81万人で大学進学率が55%とすると18年後の大学入学者は45万人しかいないのです。今年就職する人が生まれた2000年の出生者数は119万人です。21年後の出生者数が32%も減っているその事実が日本企業の存続に確実に影響することは目に見えているのです。

そのなかで外資がこういう形で人抜きをしてくることは日本企業の存命を考えなくてはいけないということです。私はこの記事を読んでそれぐらいシビアに感じたのです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年8月16日の記事より転載させていただきました。