学校教育崩壊の危機どころの話ではない

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和田慎市氏の「学校教育崩壊の危機」を読んだ。おっしゃるとおりである。しかし、公立学校の現実のさらに深刻だ。

行政も、そういった状態にあることはなんとなくは認識しているだろう。けれども、なぜそうなったのかは理解していない。目を背けていると言ってもいい。

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学校現場の問題をギガスクールで解決できると思っている時点で現場と発想がかけ離れているのだ。ギガスクールはその崩壊を早めたと言ってもいい。教員にいちばん必要な素養はICTのスキルではない。

個人的な肌感覚では、今まででは学級崩壊を起こさないような子供たちでも学級崩壊を起こしている。以前なら発達障害と認定されなかったような子供たちが特別支援教室に送られている。

その素養は何かというのはまた別の機会に譲るとして、今回は教員採用試験の不人気についてである。低倍率の問題は以前から指摘されていた。

なぜ、低倍率か。なぜ、採用難か。

給特法による長時間労働が原因だと言われている。教員は仕事の特殊性から給料は4%の調整手当が付いており、それが残業代に該当し、無制限に残業させられるとするという法律である。それもあるだろう。

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しかし、そもそも給特法だってむやみに残業を認めているわけではない。拡大解釈されすぎているのだ。

先日、さいたま市で、とある教員が残業代を請求した裁判の判決があった。この裁判の結果は、一般的には「残業代は認められなかった」と認識されている。別にこの教員は残業代欲しさに裁判を起こしたのではない。残業の正当性・存在を認めさせようとしたのだ。

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教員は、他の公務員と違い、36協定も除外されている。法文を素直に読めば教員の残業は認められないのである。しかし、裁判所が教員の時間外労働は(自主的にやってるから)残業ではないという法文を無視した判決を下しているのである。

こんなことを言ったらなんでもありになってしまうだろう。その司法に行政が乗っかって教員の業務量を顧みなかったのだ。法の支配がないという意味では、日本のあらゆることに相似形ではないか。

実際の残業の多くは、教育委員会がさばき切れなくなって現場に押し出されてきた事務仕事であり、責任回避のための会議・資料作成である。

民間企業は急速に進む少子化や社会からの度重なるバッシングによって、まともなところはかなりホワイト化している。もちろん、最悪の場合は転職も可能だ。しかし、他に転職もままならない公務員が、行政と司法相手に立ち向かえるはずがない。

20年前ならこのような条件でも就活生に受け入れられた。しかし、仕事がほかにいくらでも選びようがある現在、だれが好んで不法地帯に足を踏み入れるのだろうか。低倍率・採用難は必然的な結果である。

ますます高度化する職務

人材難の一方で、職務の内容はますます高度になってきてる。

現在の指導要領は、ゆとりとつめこみの悪いところ取りになっている。内容も、指導法も、精選されていないのだ。

また、今日び教員だからといって自動的に児童・生徒が尊重してくれるということはない。児童・生徒や保護者とうまくコミュニケーションをとる素養がもともとなければ定年まで地獄である。そんな研修は用意されていない。

もちろん、優秀で熱心な教員も少なからずいる。けれども、学校はそういった教員の献身と犠牲の上に成り立っているのが現状で、そういった教員ほど燃え尽きて早期退職していくのだ。

行政、ことに学校行政はクビにこそならないが、外部の人が思うよりはるかに無法地帯なのである。根本的な原因を認識しないまま思いつきで対策を打っても、完全な崩壊を早めるだけだろう。

いちばんの被害者は子供たちである。けれども、めぐりめぐってわれわれ高齢者も大きな被害を受けることになるのだ。