「謙虚な姿勢」を「弱さ」と勘違いするおバカな人

アゴラ 言論プラットフォーム

下記のツイートが多くの人の心をつかんでいる。筆者もこれはよく理解できるつもりだ。

日本人は謙虚が美徳とされ、立場が上になっても謙虚でいる人は「素晴らしい人格者だ」と尊敬される。だが、この謙虚さを勘違いし、相手を徹底的に利用してやろうとしてくる図々しい気質の持ち主が世の中に一定数いる。その対処法も含め、論考したい。

本稿ではツイートの投稿画像に倣って、そのような愚かな行動をする人物を「バカ」と評する。これはあくまで、その対象を行動に限定するものであり、知能指数の高低を指しているのではないことをお断りしておく。知能指数が高くても、愚かな行動をする人物はたくさんいるからだ。

Ivan Moreno/iStock

謙虚さを弱さと解釈するバカ

まずは相手の謙虚さを「弱さ」と勘違いするバカを取り上げていく。

これは誰しも経験があるかもしれないが、上下関係や年齢に関係なく敬語で物腰柔らかく対応をした途端に「こいつは与し易い」と勘違いして、やたらと上から目線で対応してくるバカである。これは中高年の男性に多い傾向で、筆者も経験がある。

こちらが年下とわかった途端、突然タメ口になり態度が尊大になる人は特に仕事の場においてかなり見てきた。なぜこのような態度はバカなのか? それは彼らの心の中で持っている「年齢」「経験年数」といった社会的記号だけで、人間関係における上下を判断するという多様性を許容しない狭量さが愚かだからである。

「年齢や経験年数が長い方が有利」というのは、年功序列というカビ臭さを感じさせるもので、そんな価値観を誰彼構わずアプライしようとする姿勢は、愚かと断定していいだろう。

また、色んな人が集う場においてどうしても「合わない人」が出てくる。お互いに相手とは合わないと感じつつも、最低限の挨拶や丁寧なコミュニケーションは必須となる局面はあるだろう。仕事だけでなく、親戚づきあいなどでも同様だ。ここで求められるのは、いわゆる「大人の対応」である。

筆者は過去にお互いに合わないとわかりつつも、先に笑顔で挨拶をしたことがあった。その際、相手は「フンッ」と鼻を鳴らし、無視されてしまった。その後、その人物は陰で「アイツはご機嫌を取ろうと必死だ」と嬉しそうに言っていたことが判明した。その経験から、「大人の対応は、精神が大人の相手にしか通用しないのだな」と学ばせてもらった。

「謙虚さ」は意図的に謙虚でいることが理解できる相手にしか通用しない。バカは謙虚さを「弱さ」と解釈し、利用しようとしてくるので注意が必要である。

ヤンキーとバカはナメられたら終わり

かなり昔に、ある経営コンサルタントと飲んでいた時に、「ヤンキーとバカはナメられたらダメな世界に生きている。だから強さを見せると彼らはすぐ退散する」と言っていた。当時は何のことを言っているのかが正確に理解できなかった。だが、今なら理解できるつもりだ。これは今回の話に適応することが可能である。

こちらが物腰柔らかいと感じると、法外な要求をしてくる相手が世の中にいる。それも相手には悪意がなかったりする。ある時、ビジネス取引において企業の担当者から「大口の注文を出すから、これもあれもやってほしい」と本来は相手がやるべき膨大な雑務を、無償で全部こちらにやらせようとしてきたのがわかった。

話をよく聞いてみると、その企業がそういう対応を望んでいるというより、やり取りをしているその担当者本人が自分が楽をしたくて本来自分がやるべき仕事をこちらにやらせようと要求を出している事がわかった。

こういう話は駆け出しのフリーランスなど、弱い立場の人は泣かされた経験があるはずだ。発注をエサにちらつかせ、あれもこれもと要求してくるという「弱者から搾り取る」という図々しいクライアントである。

筆者はこのケースに対して毅然と対応した。「いえ、この料金でできる領域はここまで。これ以上は追加料金を頂きます。それが難しいならこの話は”なし”にしましょう」と伝えると、相手は慌てて通常対応で了承した。

「ナメられたら終わり」といっても、別にけんか腰で戦えというわけではない。冷静かつ丁寧、でも毅然とした態度で臨むということである。

これまで散々、ワーストケースを取り上げた。しかし、謙虚さを持った者同士だと、謙虚さはうまくワークする。たとえ気質が合わないと感じても、適度な距離感を持ったコミュニケーションを取り、ビジネスライクに対応できるのでとても心地良い。

重要なのは「相手がどういう気質の持ち主か?」という見極めだ。万が一、謙虚さ勘違いするバカに遭遇したら、毅然と対応することが肝要である。