ひとびとに広く宣伝されることには、伝えられるべき理由がある。商品の広告だったり、教訓だったり、主義主張だったり、意味深いものばかりだ。
では、まったく意味のない「どうでもいいこと」を、同じように大々的に宣伝してみたらどんなふうになるんだろう。
どうでもいいことをプラカードで、ポスターで、横断幕で世に知らしめるのだ! エキサイティングじゃないか!
この試み、そもそも「どうでもいいこと」ってどんなことだ? というあたりから考えなければならなそうだ。
※2006年3月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
まずはその活動からごらんいただきました
というわけで、某日、東京は大森と渋谷でどうでもいいことを大々的に宣伝してきた。どうでもいい、その内容は上の写真のとおり、
うちの隣家の雨戸が茶色いこと
である。
大々的に宣伝するにあたり、まずはじっくりと宣伝すべき「どうでもいいこと」を探った結果だ。
今回はどうでもいいことって何だろう、考えることからはじめ、そして宣伝キャンペーンの当日を迎えるまでの顛末をレポートします。
「どうでもいいこと」検討会、開催
世界中の誰もが何とも思わない、聞くと ぽかん としてしまうこと。一体なんだろう。
芸人のだいたひかるさんのネタで、世の中の「どうでもいいこと」を面白く斬る、というのがある。そこで言われているどうでもいいことは、個人的で本当にどうでもいいことばかりだ。
例えば、「私って、O型だからおおらかなんだー」のような。ためしに、プラカード画像を加工して文字をはめこんでみよう。
こんなことプラカードに書かれたら、何言ってんだ、そんなどうでもいいこと、と思う。確かに非常にどうでもいい。
事前に友人知人にリサーチした「どうでもいいこと」の内容も、圧倒的に誰かの個人的な情報であった。例えば、
誰しも、私んちの夕飯のメニューなんてどうでもいいだろう。
が、だ。人にとってはどうでもいいけれど、言っている私にはどうでもよくないのだ。今晩のメニューは。
今回は、360度、全方向で世界中の誰もが「どうでもいい」と思うことを突き止めたい。
全人類がどうでもいいと思うこととは
それでは、私に関する情報ではなく、有名人のことだったらどうだろう。
おお! これはどうでもいいぞ! あ、でもこの情報は大和田さんのファンの方にとっては一大事だ。大和田さん自身もきっと、実家が本屋であることについて、何らかの思いはお持ちだと思う。
やはり一旦、個人の情報からは離れたほうがよさそうだ。
雑学っぽいことはどうだろう
さて、そうするとなると、何だろう。「トリビアの泉」など、雑学は基本的に実際生きていてあまり有用でない情報が満載だ。
うん、どうでもいい。でも、なんだかちょっと「へえ、そうなんだー」「つうか、漁業法記念日って何?」などと感心してしまう。面白がってしまっては、結局はどうでもよくなってないと、当検討会は思うのである。
では、面白くもない細かい事実、というのはどうか。
穏やかにどうでもいい感がおそってくる。
だがこれも新聞関係者にとってはどうでもよくないことだろう。パス。
当たり前のことはどうさ
では、どう考えても自明、当たり前のことはどうだろう。
これは……。確かにどうでもいいが、大きく書くとなんだか何かのキャッチコピーみたいだ。空の青さが、みょうにしんみり胸に響いてしまうじゃないか。
途中に句読点なんか入れてみたら、余計妙な雰囲気がかもし出でしまっている。分かりきったことも、大げさにすることでそれっぽくなってしまうことって結構多い。パスである。
ああ、誰にとっても、大々的に宣伝しても、どう考えてもどうでもいいことって何なんだ!
「どうでもいいこと」検討会仕切り直し
原点にもどろう。先ほど検証の通り、個人的な情報はパス、とした。少なくとも発言者にとっては、それはどうでもよくないことだからだ。
だが、やはり、あらためて眺めるとこの手の情報は本人以外のかなりの人にとってどうでもいい情報である。
ここにヒントがあるんじゃないか。
私自身すらどうでもいいと思う、私のこと、それを探せばいいわけだ。さて。
うん、かなりどうでもいい。けれど、どこか「へえ」と思う感は否めない。“冷蔵庫”というのが微妙にやキャッチーなのかもしれない。
もっと興味のないほうへ! 家電でもない、普通の持ち物でもだめだ、とすると何だ?
おお、どうでもいいぞ! でもその門の閉まり具合が悪くなったりしたとき、きっと、どうでもなくなるよね? もうひとひねりだ。
……ど、どうだろう。これ、かなりどうでもいいんじゃないか?! 対象を自から、お隣に押し付けてみた。
実はうちの隣の家は空き家なのだ。勢い、雨戸が茶色であることを気にする居住者もいないわけである。
私自身も、これまで「ああ、隣んち、雨戸茶色いなあ」と思ったことは一度もない。どうでもよすぎて、本当に茶色だったかやや不安すらよぎる。
見つけた! 見つけたよ! 今、私と世界にとって最もどうでもいいことを!
宣伝すべき「どうでもいいこと」はこうして決定した。決定したら、早速宣伝グッズを用意していこう。ブオー! 帆を上げろー! 船をだせー!
どうでもいい作業、開始
今回の大々的な宣伝は、1・街に張り紙を出す、2・プラカードを掲げる、3・横断幕を使って行進する、この3つのアクションで行うことにした。
プラカードを作るため、板と棒を買った。打ち付ける釘を選んでいるとき、釘は打ち付ける板の3倍の長さがあるものを選ぶといい、ということを知った。
どうでもいい作業をしようというのに、役立つ新しい知識を手に入れている。世の中は皮肉なものですなあ。
さて、作業しますか。
プラカードを作ったら、宣伝すべき情報、うちの隣家の雨戸が茶色であることをワープロで打ち、それを拡大コピーして張る。
襲う虚無感
ああ、どうでもいい。最初はそのどうでもよさに嬉しい気持ちにもなったのだが、作業しているうちにどうでもよくなってきた。
当たり前である。これから宣伝しようとしているのは、どうでもいいことなのだから。
拡大しても、プラカードにはっても、まるで感動が沸かない。だから、何? という素朴な疑問で心がしーんとして、あきらかなテンションの下降を感じる。や、やばい。
なんとか奮わせて、横断幕を作るため拡大出力してくれるコピーのお店でいっぱいいっぱいに文字を引き延ばしてもらってきた。
大きい紙に、うちの隣の家の雨戸が茶色いことが書いてある。本気で脱力である。
ここまできて、なんというか、腹が立っていた。それほどに、どうでもいい。
元気を出して、街へ
私の隣の家の雨戸が茶色だってことはもう本当に、よーく分かった。だからもう、いいんじゃないか。ここらでやめても。かなり、そう思っていた。
どうでもいいことを大々的に宣伝するということで、メンタルとの戦いになるとは。
このままではまずい。これは、バイトだ。バイトなんだ! それぐらいのギリギリの気分で、萎えた心を立て直して街へ出た。
宣伝開始である。まずは商店街を横断幕を手に練り歩こう。大森の商店街へ!
自主映画みたい?
横断幕は、A0(A4をどんどんどんどん大きくしたばかでかい紙)を2枚つなげるぐらい大きい紙で作った。一人では掲げられないので、火曜ライターの乙幡さんに同行をお願いした。
乙幡さんに事情を話して横断幕を見せる。
すると、乙幡さん、見るなり「なんか、自主映画とかでありそうですね、こうゆうの」というではないか。
期せずして芸術ぽさが出てしまったか! なんとなく嬉し恥ずかしい。けれど、かいてあることはうちの隣の家の雨戸が茶色いという事実それのみだ。どうでもいいのだ。ああ。
「負けるか、いくぜー! うちの、隣の家の、雨戸は、茶色でーす!!!」
意味のない情報、響き渡れ商店街のアーケードに!
ひとびとの反応・大森編
商店街ですれ違う方々はみな、横断幕に目を向け、瞬時に興味なさそうにどっかへ行ってしまった。
ですよね。どうでもいですもんね。この情報。「情報が氾濫する時代」という昨今だが、その上さらにどうでもいい情報を与えているのだ。そりゃ、たまったもんではない。
「いや、私もどうでもいいってことは分かってるんすけどね」いいわけみたいな気分で恐縮しつつ、大森を練り歩いた。
ひとびとの反応・渋谷編
反応の違いがあるかどうか、続いてプラカードを用いての行進は若者の街、渋谷で行うことに。
駅前の横断歩道からセンター街にかけ、果敢にアピール。
大森では道行く人、全員が全員なんとなーく興味を持って、横断幕を見たとたんになんとなーく、興味をなくす、という感じだったが、渋谷は興味のない人は最初から興味がなく無視し、興味のある人は覗き込んでまで興味を持ってくれる。
センター街の入り口付近ではキャッチらしき方に声までかけられた。
「どうでもいいことを、皆さんにお知らせしたくて!」
ばしーん、とそう言えばよかったのかもしれないが、なんとなく説明しづらく口ごもる。すると「あ、もしかして雑誌とかテレビかなんかの企画ですか?」と合点されてしまった。
どうでもいいことの難しさよ
確かにこれはネットの企画なわけだが……。なんとなく釈然としない。“企画”ってくくっちゃうと、どうでもいいことじゃないみたいじゃんか。
うっかり本気でくやしがってしまった。どうでいいことって、どうでもいいことのくせに、難しい。と、トイレの日めくりカレンダーの文句みたいな気分に。
アングラ情報みたいにトンネル内などに汚く張り紙もしてみた。
貼りっぱなしにして帰るわけにもいかず、貼ってしばらく、遠くから様子を見る。
ものすごい勢いで無視されてしまった。あれだけ綿密に、完全に検討して導き出したどうでもいいことだ。無視されてもしろ喜ぶべきなのかもしれないのに、どこか寂しい。
分かったのは、うちの隣の家の雨戸の茶色さは、やっぱり、どう考えてもどうでもいい、ということであった。
あれ、わたし、なにやってんだ?
どうでもいいことって、本当、どうでもいいですね!
「どうでもいいことって何だろう」と考えるのは本当に楽しかった。考えても、考えても思いつくのはどこかしら「どうでも良くない」ことばかりなのだ。
そうして世の中って、わりとどうでもよくないんだなあ。そんな温かい気持ちになったりして。
その後本当にどうでもいい「隣家の雨戸は茶色い」という情報を導き出してしまってからは大変だった。だって、とことんどうでもいいんだ。
きっと、今日の宣伝でうちの隣家の雨戸が茶色いことを知った人たちの中で、まだそれを気に留めている人はいないと思う。なぜなら、どうでもいいことだから! どうでもいいことって、ああ、本当にどうでもいいなあ。
※撮影は許可を得て行いました。