余は如何にして京都から東京へとバイクで戻りし乎(か)

デイリーポータルZ

お問い合わせが多かったので、お知らせしておきます

前回、バイクで東京から京都まで1日で行ったことを書いたところ「帰りはどうやって帰ったんだ」というお問い合わせを多数いただきましたので、どのように東京に戻ったのかお知らせしておきます。

京都→鳥取→岡山→高松→徳島→東京のルートで帰りました

京都に行ったあとどうやって東京に戻ったのか。簡単というと、京都に行ったあと鳥取に行き、そのあと四国に行ってフェリーに乗って東京に戻ってきた。

帰りは大阪まで出て、2日ほどかけてのんびり東海道を経由して東京に戻ろうと思っていたけれど、徳島からフェリーで帰ることをはたと思い立ち、その場でフェリーの便をインターネットで予約した。

最近、旅行するとき(に限らず、普段の外出でもだが)に、家と目的地の往復をせず、必ず軌跡が環状になるように移動する。ということを自らに課している。
今回、目的地の鳥取まで、往路は中山道などを使ってきたので、復路はフェリーを使ったほうが移動の軌跡の輪っかが大きくなるんじゃないか? と考えたのだ。

9号線の知らない一面を知る

鳥取に向かう朝は、5時に目が覚めた。ちかごろは、飲酒をやめたせいか、前日何時に寝ようが、朝5時ごろには必ずいちどは目が覚めてしまうという老人のような生体リズムになってしまっている。

その日はそのまま起床して身支度し、バイクに乗った。天気は曇っていたものの、予報では雨が降ることはないとのことだった。

ホテルをチェックアウトし、出発したのはちょうど朝の7時。

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堀川五条交差点から9号線に入る
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9号線だ〜

堀川五条の交差点で亀岡方面に右折し、9号線に入ると、鳥取までおよそ200キロちかく道なりにまっすぐだ。迷うことはない。

京都の中心地から9号線を南西に進み、洛西ニュータウンを抜けて、交通量の多い峠を越えると亀岡市に入る。

しばらく郊外のロードサイド風景が続くと、盆地の農村があらわれ、ちょっとした峠を越えると、あたらしい農村が現れ、だんだんロードサイドになり、こんどはトンネルを抜けるとまた農村……と、ロードサイド、盆地の農村、峠みたいな風景をなんども繰り返す。

ぼくの知っている9号線とはずいぶん違う。

ぼくは、20歳まで鳥取県で暮らしていたので、個人的に「国道9号線」といえば、砂埃が舞うぶどう畑やタバコ畑の中を、まっすぐ進む砂丘の中の道……という印象がつよかった。
もちろん、それは鳥取県の北栄町のごくわずかな区間の風景でしかないけれど、子供の頃に何度も通った9号線はそんな道だった。

しかし、今走っているこの9号線も、200キロ以上を隔てて、砂丘の中を走る9号線につながっているとおもうと、感慨深さで溺れそうになった。

9号線を快調に走るうちに天気もだんだんと良くなってきた。

前日、東京から京都に向かう際に、ずーっと同じ姿勢で座っていると尻が崩壊することを学んだので、今日は赤信号で停止するたびに立ち上がり、姿勢をこまめに変えたおかげか、あまり痛くならなかった。
その他にも支障になるこはほぼ無く、新温泉町あたりで、坂道で速度の遅くなったトラックについて進んでいるアメリカンバイクに乗った一団が、マッドマックスみたいに見えてしまった以外は、9号線は交通量も少なく、まったく快適なツーリングだった。

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但馬の温泉街にマッドマックスが

昼の12時ちょうどに鳥取の駅南に到着。約200キロをだいたい5時間で走った計算になる。京都で出発前に給油し、9号線を走っている間は一度も給油しなかったので、燃料代はその時の692円のみで済んだ。

鳥取から徳島まで

鳥取には数日滞在し、岡山から徳島に向かう日の朝となった。

この日のルートは、まず鳥取から南下し、岡山に向かい、岡山から小豆島を経由して四国へ渡り、高松に上陸。そして徳島に向かう。ナビアプリで検索したところ、約290キロの道のりと出た。

明るいうちに徳島に着くためには、ぼやぼやしていられない。ということで、朝の2時に起床し、3時に出発した。

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誰もいない町……

5月初旬とはいえ、晴れていると日中は汗ばむぐらいの暑さなのに、山道に入るとめちゃくちゃ寒い。中国山地を甘くみてはダメだ。持ってきていた服すべてを着込んで走ったものの、やっぱりそれでも寒かったので、途中で合羽を着込んだ。

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コンビニの駐車場で合羽を着込み、おやつにかりんとうを買った
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気温8度の表示が暗闇に浮かぶ……もはやホラー

鳥取を出発して、岡山との県境を越えてさらに兵庫県の佐用町あたりに至るまで、後ろや前を走る車、すれ違う車が一台もなかった。どくさいスイッチ※を押して人を全部消しちゃったのかと思うほど人気がなかった。

都会でも、早朝だとびっくりするほど人がいない場所や時間帯があり、そんなところをバイクで走るのがとても好きだけれど、ひと気のないまばらな山村のなかを走るのもまた別の趣があってよい。

※「どくさいスイッチ」ドラえもんに登場するひみつ道具。消したい人間の名前を言いながらボタンを押すとその人間が消えて居なかったことになる。

岡山市へは、10時半ごろに到着。天気はあまり良くない。

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岡山〜びっくりするほど大都会

さて、岡山から高松へバイクで行かねばならない。

自動車や大きなバイクで岡山から高松へ行く場合は、瀬戸大橋を渡ればよい。しかし、瀬戸大橋は自動車専用となっているので、125cc以下のバイクは通行できない。ぼくの乗っているカブは原付二種の110ccなので、瀬戸大橋は通行できない。

橋を渡れないならフェリーを使えばいいじゃないかと思うが、岡山(宇野)から高松まで行くフェリーは、2019年に休止されてしまった。(※参考『運行休止の宇野港高松港フェリーに乗る』

50ccの原付バイクでも渡ることができる「しまなみ海道」で四国に行くという方法もあるが、岡山から高松に行くのに、尾道や今治を経由するのはちょっと現実的じゃない。

フェリーで、バイクと一緒に岡山から高松へ渡る方法は無くなってしまったのか……というと、実はそうでもない。
ちょっと手間がかかるけれど、小豆島や直島といった、島を経由して行くという方法が無いわけではない。(本州から直接高松へ向かうフェリーは、神戸からのジャンボフェリーなどがある)

今回は、岡山新港から小豆島の土庄港までのフェリーと、土庄港から高松港までのフェリーを乗り継いで高松に向かうことにした。

岡山新港で、土庄港までのフェリーの切符を購入する。1720円。

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原付と人の運賃合わせて1720円
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バイクでフェリーに乗るのワクワクするー

フェリーの車両甲板でバイクを固定してくれたおじさんが、ナンバープレートに気づき「中央区ってどこの中央区なの?」と訊ねてきた。「東京の中央区です」と答えると「そんな遠くから?」と少し驚いた様子で笑っていた。
移動するときは、ひとり黙々と走るだけなので、こうやって気さくに声かけてくれる人がいると、ちょっとうれしい。

このフェリーの船内には「チャギントン」※のポスターがやたら貼ってあるのが謎だったが、展望デッキに出てみたところ、その謎が氷解した。
※「チャギントン」列車を擬人化したイギリスのアニメ作品。

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チャギントンのポスターはなに?
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船の上に線路がある……

船の上に列車の線路があった。もし、ぼくが子供だったら失禁するほど喜ぶと思う。これは子供がうらやましい。現在、列車は運行停止中だったが、動いているときにぜひ見てみたい。

そうこうするうちに、フェリーは1時間ちょっとで小豆島の土庄港に到着。

次の高松行きのフェリーまで少し時間があるので、世界一狭い海峡、土渕海峡を見に行く。

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世界一狭い!

見た目は運河か川にしかみえないけれど、これがあの、世界一狭い海峡か。

久々に「これがあの……」が出た。この「これがあの……」という気持ちを味わいたくていろんなところに観光に行くのだ。これこそ旅の醍醐味だろう。
とりあえず、この興奮を妻に伝えるべく、メッセンジャーでメッセージを送ったところ「海峡の定義とは……」と返事がきた。

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ついに四国に上陸、徳島へ

土渕海峡を見たあと、土庄港にとんぼ返りしてこんどは高松行きのフェリーに乗る。

船上、左手をみると、上が真っ平らな山を見つけた、屋島だ。「あ、これがあの屋島」となって「これがあの……」本日2回目が出た。

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あ、これがあの屋島……

あの、国語の教科書で出てきた、那須与一の、あの、あそこだ。本当に山頂が真っ平らに見えてめちゃくちゃ目立つ。その昔、船乗りが海上交通の目印にしたというのもうなずける。思わず興奮して写真を何枚も撮ってしまった。その勢いで撮った写真を妻に送ったが、反応はなかった。

高松上陸後、昼食としてうどんを食べたあと、徳島に向かう。国道11号線をひたすら東に向かって走るだけだ。

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11号線をひたすら東に

高松を16時30分ごろに出発する。

香川県は、県の面積が岐阜県の高山市より小さく、県全体で100万人ほどの人口があるので、県全部がもし高松市になったとしたら、政令指定都市になってもおかしくないほどの都会だ。だから、わりとロードサイドな町並みがけっこう続く……などと益体もないことを考えてしまう。

バイクで黙々と走っているとこういうゴミみたいな思いつきが頭の中をぐるぐるかけめぐる。

で、徳島市内についたのは19時30分ごろだった。

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徳島市内に到着!

徳島のホテルで一泊し、翌朝徳島のフェリーターミナルに向かう。

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フェリーしまんと。でかい!

北九州の新門司、徳島、東京有明を2晩かけて行き来している、オーシャン東九フェリーの「フェリーしまんと」だ。

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東京行きのバイクはこの紙をつける

バイクに乗ってフェリーへ乗り込む。外洋上を2日もかけて移動するフェリーだけあって、でかい。車両甲板もちょっとしたビルの地下駐車場ぐらいある。

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かなりでかい車両甲板

ぼくはいちばん安い部屋、というか仮眠室を予約したので、相部屋だ。寝床はカプセルホテルのような作りになっている。

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8人の相部屋だったけれど、ぼく以外には2人ぐらいしかいなかった
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普通のカプセルホテルだ

このフェリーには、食堂こそないのだが、ずらりと並んだ食品&冷凍食品の自販機、電子レンジが並んでおり、食堂の代わりとなっている。

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うどんそば、カレー、ラーメン、チャーハンと、わりとなんでもある
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買った冷凍食品の種類によって使う電子レンジが違っているので使い分けなければいけない
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食事などができる「オーシャンプラザ」というフリースペース

九州−東京間を乗船する人は、2泊することになるので、フェリーの中にはお風呂や洗濯コーナーもある。

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そこそこでかい風呂がある

お風呂は、ビジネスホテルの大浴場ぐらいの広さがあった。太平洋上で船がわりと大きく揺れているときに入ったので、湯船の湯が波打っており波の出るプールみたいでおもしろかった。

ただ、航行中には車両甲板へ降りることができなくなるのを忘れており、車両甲板に駐車したバイクに、着替えとタオルの入ったカバンを入れたままにして来てしまったため、風呂に入るのに難儀した。たまたま持っていた手ぬぐいでなんとかしのいだが、服は着替えることができなかった。船内で使う予定がある荷物はちゃんと持ち込もう。

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潮岬

フェリーは、紀伊半島の潮岬を回ると、伊豆半島のさきっぽあたりをめがけて、太平洋上を真っ直ぐ進み始める。この辺りで、携帯の電波が途切れがちになり、ついには切れた。このフェリーにはWi-Fiもないので、完全にネットから遮断された。

このとき、ちょうど前回の記事を洋上で書いていたのだが、SNSやらウィキペディアから強制的に隔離されたので、原稿がサクサク進んだ。毎週フェリーに乗って原稿執筆したくなった。

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夕食で食べたチャーハンと鶏ガラスープ

潮岬を越えると、外はだんだん暗くなり、船の揺れも大きくなってきた。幸い、ぼくは酔うことは無かったが、隣の席にいた人がずいぶんひどい酔に悩まされていた。

昼間、展望デッキに出たら、扉の横で小さくなっている人が居たが、その人だった。気持ち悪すぎて外の風にあたっていたらしい。

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天気がよかったらな〜

夜中に原稿も書き終わり、特にやることもないので、寝るしか無い。
船体が、そこそこ揺れていたので、なかなか寝付けないかななんて思っていたけれど、秒で寝た。

翌朝、5時頃に目が覚めると、船はすでに東京湾内に入っていた。

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ゲートブリッジをくぐると有明まですぐだ

ゲートブリッジをくぐり、長かった旅が終わった。

移動したいぞ

今回はあまり観光地などで観光したりはせず、ただ純粋に「移動欲求」を満たすために、ひたすら移動した。

この2年ほど、移動するなと言われ続け、移動を控えていたけれど、そのぶん移動することの面白さに気づいたような気がする。

もはや元気に動ける時間は少ない。行きたいところへは行けるうちに行っておきたい。

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