5月10日、MIPSは最初のRISC-Vプロセッサというか、RISC-V命令をサポートする最初のMIPSプロセッサとして「eVcore P8700/I8500」を発表した。現状ではまだP8700/I8500の本当の意味での詳細は明らかではないのだが、
- P8500(図版01):16ステージパイプラインのアウトオブオーダーSMTコア。8命令フェッチ/発行構成。RISC-V命令はRV64GHC(汎用:整数+乗算/除算+Atomic+単精度浮動小数点+倍精度浮動小数点+ハイパーバイザー+Compressed)をサポート
- I8500(図版02):9ステージパイプラインのインオーダーSMTコア。フェッチ数は不明ながら最大7命令を発行可能。RISC-V命令は同じくRV64GHC。
といった情報は公開されている。ほかに仮想化/UDIs(User Defined Instructions)/Functional Safetyなどに対応しており、P8700は今年(2022年)第4四半期にライセンス提供開始とされている。
実を言えばこのニュースそのものはそれほど目新しいものではない。MIPS Technologiesが2018年にWave Computingに買収され、2018年にはMIPS Open Initiativeとして命令セットをオープンソース化。ただMIPS Open Initiativeは2019年11月に終了。それどころかWave Computingが2020年4月にチャプター11(会社更生法申請)入りとなる。
このチャプター11での事業整理の中で、MIPS部門はサモアのPrestige Century Investmentに譲渡されるが、このPrestigeは中国CIP Unitedの100%子会社であるため、現在のMIPSは英Imagination Technologyなどと同じく中国系企業になった。
ただ2021年3月にWave Computingがチャプター11の状態から脱した際に、同社は再びブランドをMIPSに戻している。現在は再びTallwood Venture Capitalが同社を保有する形になっているが、MIPSの権利そのものはまだCIPが保有しているという報道もあり、このあたりはちょっと現時点でもはっきりしない。
このチャプター11から脱した報道の際に、“MIPS is developing a new industry-leading standards-based 8th generation architecture, which will be based on the open source RISC-V processor standard.”(MIPSは、オープンソースのRISC-Vをベースに、業界をリードする第8世代アーキテクチャを開発している)という文章があるあたり、MIPSがRISC-Vに移行することは決定的と見られていた。
実をいうと、これに先立つ2020年11月にオンラインで開催されたelectronica 2020のEmbedded Forumの基調講演の中で、既にMIPSがRISC-Vコアに移行することが表明されていた(図版03)。この当時はP8700はなく、I8800/I8500/I8100という3種類のコアが予定されていた(図版04)。またI8500については、Cortex-A53/55/65との性能比較も示されており、IPCでこれらArmのローエンド64bitコアと十分に戦えるという話であった。
ただこの後しばらく同社は水面下に潜るのであるが、2021年11月にプロセッサシミュレータを提供する英Imperasが、同社のRISC-V検証ツールをMIPS、今年(2022年)3月にはSoftware toolchainを提供する米Ashlingが、MIPS向けにRiscFree Toolchainを提供することを発表するなど、どんどん完成度が高まっている事が間接的に発表されていた。なので当初の予定からやや遅れたものの、MIPSがRISC-V陣営に鞍替えしたことそのものは確定事項だったとしていい。
RISC-Vコア開発が盛んになっている近年
実は最近はこうしたRISC-Vの独自コアの発表が目立つ。MIPSはあくまでも一例であって、たとえば今年4月のLinley Spring Processor Conference 2022でWDは第3世代のRISC-Vコアである「SweRV EHX3」を発表している(図版06)。
4命令発行のインオーダー構成(図版07)で、命令セットはRV64GBC(汎用+ビット操作+Compressed)だが、7nmプロセスで1.8GHzがターゲットという辺りは、多分Cortex-A55と同等以上を狙っているものと思われる。同社の場合はアプリケーションプロセッサというよりはコントローラ狙いであり、実際応用例としてはストレージコントローラ(図版08)などが挙げられている。
昨年(2021年)から今年に掛けてという範囲で言えば、米SiFiveはローエンド向けの「Essential 6」シリーズに加えてCortex-A77と競合できるレベルの「P650」などをリリースしているし、台湾Andes Technologyはスーパースカラ/マルチコアの「A(X)45MP」とか、ベクタープロセッサの「NX27V」などを発表する)など、従来のMCUとかローレベルコントローラを超えた取り組みが目立つし、もちろんMCUとかASCI/ASSP向けのコントローラも次々に製品が投入されつつある。
Intelは自社製品への採用こそ発表していない(採用しないかどうかは不明:たとえば将来のEthenetコントローラにRISC-Vコアが搭載されることは十分あり得る)ものの、RISC-V Internationalへの加盟と、IFS(Intel Foundry Service)でAndes Technology/Esperanto Technologies/SiFive/Ventana MicroSystemsなどのベンダーが提供するRISC-V IPを利用可能にすることを2月に発表している。
昨年12月など、GPU IPを提供するビジネスをしていたはずのImagination Technologiesが、RISC-V CPU IPである「Catapult」の提供を始めることをアナウンスするなど、なんかもうRISC-V移行が花盛りとなっている。
ところでこのRISC-Vの興隆、どこからマーケットが湧いてきたのか? という話になる。もちろん新規に増えた分もあるし、たとえばWDならばこれまではSynopsysのARCコアをベースに自社のコントローラを製造していたが、これをRISC-Vに置き換えたわけだ。
これはImaginationのGPU(内部のコントローラ)、NVIDIAのGPU(RoT:Root of Trust周りにRISC-Vを採用)などほかにも例は多い。ただこれと並行して無視できないと思われるのが、「Armのアーキテクチャライセンスからの乗り換え」のトレンドである。
Armからの乗り換えが多数
Armは以前から、プロセッサライセンスの上位にあたるものとして、アーキテクチャライセンスを提供してきていた。プロセッサライセンスはArmの提供するプロセッサIPをそのまま使う権利であり、一方アーキテクチャライセンスはArm命令をサポートするプロセッサを自分で構築できる権利である。
ただしアーキテクチャライセンスには、既存のArm IPを利用する権利は一切ない。仮にプロセッサライセンスとアーキテクチャライセンスの両方を持っていても、既存のArm IPをカスタマイズして自分の好みに変更することはできないし、独自命令を追加したりArm命令セットを変更したりすることもできない。
まぁこれは建前であって、実際にはArmとの協議の中で「強い要望」を出すことでArm側に命令セットの変更というか、追加を行なわせた例がないわけではない「らしい」が、それはともかく。ただこうした硬直したライセンス形態はいろいろクライアントから不満もあったようで、2019年にはまずCortex-M向けに「Arm Custom Instructions」を発表するし、カスタムの自由度の上がったIPコアとしてCortex-Xシリーズを2020年11月にリリースしている。
とはいえ、昨今のプロセッサ開発にかかる費用と比べて、アーキテクチャライセンスを利用することで得られるコアの自由度の少なさは費用対効果の悪さということになり、どんどんアーキテクチャライセンスを採用する事例が減っているのが実情である。
特に独自コアが広く採用されると期待されていたサーバー市場でこれは顕著である。現時点でサーバー/HPC向けにアーキテクチャライセンスを利用した独自コアとして提供されているものは、富士通の「A64FX」とのみである(今後NVIDIAの「Grace」が投入されるが、現時点ではまだ出荷されていない)。そのほかは? というと
- AMD:K12を途中で保留
- APM(AMCC):2012年に初代の64bit独自コアである「X-Gene」、2014年には第2世代である「X-Gene 2」を発表。2016年には第3世代の「X-Gene 3」を発表してサンプル出荷まで開始するものの、APMそのものがMACOM Technology Solutionに買収される。ただMACOMはプロセッサビジネスに興味がないということでこれをファンドに売却。最終的にファンドがAmpere Computingを立ち上げ、ここに移管される。X-Gene3をベースにした最初のeMAGシリーズは2018年に発表。続くGen2(コード名Quicksilver)はキャンセルされ、代わりにArm NeoverseコアをベースにしたAlterが発表された。
- Broadcom:「Vulkan」をテープアウトするものの、最終的にCavium Networkに売却
- Cavium Network:まず従来のOcteonシリーズ(MIPS64ベース)をArm命令に置き換えた「ThunderX」を発表。ただ将来性がないと判断したのか、BroadcomからVulkanコアを買収し、これを第2世代「ThunderX2」として発表する。ただこれに続く独自コアベースの「ThunderX3」はキャンセルされ、現在はArm Neoverseベースの「OCTEON TX」シリーズに切り替わっている
- Qualcomm:2017年に独自コアであるFalkorを搭載した「Centriq 2400」を発表するも、ビジネス的に成立しないとして撤退
といった具合である。
これはクライアント向けも同じで、現在独自のコアをリリースしているのはAppleとQualcommのみ。Samsungは「Exynos M1」(Mongoose1)~「Exynos M4」(Mongoose4)まで自社でコアを開発していたが、「Exynos M5」(Mongoose5)は途中で開発をキャンセル。その代わりにCortex-X1/X2の最初のライセンシーになるという形で方針転換をしている。
大手はRISC-Vへ移行。新興にやさしいArm
こうした理由の1つには開発費の高騰があるわけだが、その背景には先に述べた「高い開発費の割に得られる成果が少ない(自由度が少ない)」という点が挙げられる。ただ、だからといってArmからIPを買ってSoCを作っている限りは、CPU構築のスキルが手元に残らないことになる。CPUを設計/製造できるスキルを保とうとした場合、Armアーキテクチャに固執することはあまり賢明とは言えない。これが、大手のメーカーがRISC-Vを志向する大きな理由の1つである。
ライセンスコスト云々は中小メーカーやスタートアップには重要だが、大企業にはあまり大きな理由にならない。実際、CPUの設計費用そのものに比べたらライセンスコストはそれほど大きいわけではないからだ。
ちなみにもう1つの理由は、NVIDIAによるArmの買収騒ぎで、Arm自身の独立性にかなり疑問符が付くことになったからだ。まもなくソフトバンクからIPOされることになるが、IPO後に再び別の企業が買収を試みようとはしない、という保証はどこにもないし、仮にどこかに買収されたあとでArmのライセンスがどう変わるかは定かではない。
であれば、プランBとしてRISC-Vへの知見を獲得しておくのは悪い策ではないだろう。CPU設計のノウハウを自社に留めおけるし、将来への備えにもなる。何もハイエンドMPUコアでなく、簡単なコントローラから始めても良い(WDのスタンスはまさにこれである)わけだ。
Armのアーキテクチャライセンスの費用があれば、小規模な設計チームを維持するのは難しくないわけで、こうした「これまでArmからアーキテクチャライセンスを買っていた」メーカーが、バックアップのためにRISC-Vを志向するのはごく当然のことと言える。
逆に言えば、中小企業とかスタートアップにとって、現在Armは非常にお買い得になっている。Flexible Accessを始めとする初期費用低減策とか、インキュベータと組んでのスタートアップ優遇策など、現在Armは裾野を広げるために躍起になっている。こうしたケースでArmは確実にライセンシーを増やしているし、売り上げも伸びているのは確かだ。その一方で、技術力のある大手メーカーはRISC-Vを両天秤に掛ける形で採用を始めている。現在起きているのは、こういうことである。
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