コロナ禍がコミュニケーションツールとしてのPCの役割を大きく進化させている。今回は、そのうち、カメラの著しい進化について考えてみる。
見る、撮る、撮られる
スマホにおける自撮りの文化は撮る人と撮られる人を同化させた。スチル写真のみならず、ムービーにおいてもだ。このスタイルは1990年代初頭に、専用機としてのビデオカメラが今でいうところのEVF(液晶ビューファインダー)に加えて、液晶モニターを備えるようになってからだと思う。1992年に発売されたシャープの液晶ビューカムVL-HL1の大ヒットが知られているが、見る、撮る、撮られるの1人3役を気軽にこなせるデバイスだ。今のスマホにおける自撮り文化はその延長だと考えることができる。
一般に、カメラの進化というと、さまざまな機能の自動化の歴史がある。フィルムの時代のスチルカメラでいうなら、最初にAEやEEで露出が自動化され、次に、オートフォーカスで合焦が自動化されている。
デジカメの時代になってからは、絞りとシャッター速度に加えて、ISO感度の動的な変更が露出を決める1要素として考えられるようになったし、ホワイトバランスのような概念も考える必要がでてきた。ピントについては動体予測や瞳検出などが加わった。そしてこれはムービー撮影についても同様で、撮る人、撮られる人がシームレスになっていったのと同様に、スチルとムービーの境目についても曖昧なものになりつつある。というか、その曖昧さが1つのカテゴリとして認知されるようになったわけだ。
シンガーソングライターが歌う曲を自分で作詞作曲し、分業だった楽曲制作を1人でこなすようになったかのようなイメージだが、ちょっと違う。そこには、機能の自動化という重要な要素があるからだ。
カメラの自動化
ムービーコンテンツを出演、撮影、編集を含む完パケまで、すべて1人でこなすためには、機能の自動化は欠かせないともいえるし、その自動化が、そんなコンテンツの形態を身近なものにしたともいえる。
そして、Microsoft TeamsやZoom、Google Meetを使った双方向コミュニケーションのためのオンライン会議においては、自分一人のために、専任の撮影者を確保するといったことは考えられず、すべてを1人でこなすのが普通だ。そして、そのときに、期待されるのが、カメラの自動化機能だ。そして、PC内蔵カメラは、ほとんどの場合前面カメラだけで、背面カメラがないという時点で、用途を特化している。
ノートPCに搭載されている自撮り用の前面カメラは、その多くがHD解像度のものだったが、ここにきて、高解像度化が進んでいる。もちろん、人によってはあまりにも美しい自撮り画像は、実物のアラが目立つのを理由に嫌われることもある。高性能なカメラがあるのに、わざと性能の低いカメラを外付けして会議に挑むというユーザーもいるそうだ。でも、一般的には、解像度が高い方が品位の高い映像を相手に届けられる。
こうして100万画素程度だったWebカメラの映像は、フルHD化し、USB接続する外付けカメラでは4K解像度のものもある。これらのカメラで撮影された映像をリアルタイムでエンコードして、クラウドの会議システムに送り、システムが配信する複数の参加者の画像が送られてくれば、それぞれをデコードして画面に表示しなければならない。もちろん音声も伴う。その処理を問題なくこなせる性能がCPUやGPUに求められるし、ネットワーク帯域も必要だ。それに応えられる性能を、モバイルノートPCのようなデバイスが持つようになった。
内蔵カメラの新しい当たり前
この春から夏にかけてのPC各社の新製品を見ていると、カメラの進化が著しいことがわかる。各社共に力を入れているようだ。特に、AIを冠した機能によって、さまざまな自動化が図られ、差別化、差異化の要素となっている。
外付けのUSBカメラではすでに各社が搭載していた自動フレーミングや自動ズームの機能を、PC内蔵カメラに搭載するのもトレンドの1つだ。この機能を有効にすることで、顔を左右方向に動かしたり、体が正面から外れても、カメラからの距離が変わったとしても、自動的にズーミングやフレーミングが行われて自分自身をカメラが追いかけてくれる。
さらに、マイクについても360度の集音で、環境ノイズをキャンセルしながら音声を送ることができるようになりつつある。ベンダーによっては、こうした機能のないノイズまみれのインバウンドオーディオについてもノイズをキャンセルするような機能を搭載していることもある。
そのうち、ソフトウェアによるレンズのチルトやシフトがリアルタイムでできるようになって、あり得ない位置にカメラがあっても、まるで正面から撮ったかのような映像をリアルタイムで生成できるようになるだろう。建築写真でよく使われる手法だし、身近な例では紙の書類を斜め方向から撮影したときの歪みを補正し、正しい矩形にするような補正だ。物理的にレンズを動かすようなことをしなくても、ソフトウェアで同等のことができれば、コストも下がるし、故障も少なくなる。動く部分は少ない方がいい。かつて画質の悪さで嫌われたデジタルズームは、今となっては別物の機能美として受け入れられている。
たとえば、カメラを内蔵したノートPCとは別にモバイルモニターをセカンドモニターとして使っているとき、会議の様子をセカンドモニターで見ていても、正面からの自然な自画像を送ることができるようになるのだろう。
そのためには、送るための画像よりも広い範囲の画像をキャプチャするために、より高解像度のセンサーが必要だし、広角レンズの焦点距離も短い必要がある。もちろん、その画像処理にもCPUやGPUの高い性能が求められるだろう。それによって、かつてはPhotoshopで1枚の静止画をじっくりと補正して作っていたような仕上がり画像に近いものを、リアルタイムのムービーとして自動的に得られるようになっていく。
カメラとコンテンツ
スマホにとって、カメラがとても重要な機能の1つになったことはこの10年間くらいの文化を大きく変えた。カメラが先か、文化が先かはどちらとも言えない。
スマホの発表会なのか、カメラの発表会なのかわからないくらいのウェイトで、カメラの新機能が紹介されるイベントに、ちょっとした違和感を感じたこともあった。
汎用機としてのPCのカメラ機能が充実することは、コミュニケーション機能重視の流れの中では必然でもある。しかも、それはインカメの世界の拡張であり、自撮りがデフォルトだ。その統合は、コミュニケーションの世界観を変えたし、ムービーコンテンツの世界も変えることになりそうだ。これからもYouTubeは、ますます混沌としたものになっていくだろうし、まったく新しいカテゴリのムービーコンテンツの出現に貢献するかもしれない。それはパーソナリティの概念の再定義でもある。
映画やドラマを早送りで見る人たちが増えつつあるというなかで、コンテンツそのものの作り方が変わらないはずもなく、コンテンツの消費と生産のあり方にも変化が起こりつつある。そして、それに少なからず影響を与えるのが、スマホやPCのカメラだということだ。カメラの進化は近い将来の文化に少なからず影響を与える。コロナはいったいどこまで、そしていつまで人々の暮らしに変化をもたらし続けるのだろうか。
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