多様性推進を謳うキャンペーンポスターが炎上
昨年11月、欧州評議会が掲げたキャンペーンが物議を醸した。多様性理解の促進をうたうこのキャンペーンではポスターの中には、「自由がヒジャブ(イスラム教徒の女性が髪を覆うスカーフ)のなかにあるように、美しさは多様性のなかにある」と英語で書かれ、まさにヒジャブを身に着けた女性が微笑んでいた。
多文化への寛容を重んじるカナダやアメリカの一部の州では賞賛を浴びたかもしれないが、大陸の裏側では異なる角度で捉えられたようだ。なかでも「公共の場はニュートラル」であるべきと考えるフランスでは、Twitter上で政治的批判が渦巻くまで数時間もかからなかった。
特に、今年4月の仏大統領選を目の前にした有力な右派の候補者からは、批判の声が溢れた。極右思想を掲げる元ジャーナリストのエリック・ゼムール候補者は、この広告は「欧州の人々に対してヒジャブを促進している」、と啖呵を切った。また、ゼムール氏よりは穏健だが極右政党「国民連合」から立候補するマリーヌ・ルペン候補は、「女性が自由になるのはヴェールを外した時であり、その逆ではない!」とツイート。さらに右派「共和党」から立候補するヴァレリー・ペクレス氏は「ヒジャブは“自由”ではなく“服従”の象徴」と非難した。
その後、これら反論の波を受け、欧州評議会は同広告をTwitterから削除した。
一体なぜ欧州の中でも、とりわけフランスで炎上するのだろうか――。エマニュエル・マクロン大統領の言葉を借りると、その答えは「フランスという国は、“民族・人種・宗教にかかわらず”、法のもとで市民の平等の上に成り立っている」という点にある。つまり、政治と教会(宗教)は切り離して考えるべきという「政教分離の原則(ライシテ)」という考えが根付いているからである。
例えばフランスでは公立の小・中・高校、メトロ、行政施設など公共の場で、キリスト教徒が持つ十字架のペンダントや、イスラム教徒が着用するヒジャブなどの宗教的モチーフを身に着けることは禁じられている。同様に、メトロや行政施設でお祈りをすることも許可されない。より大きな視点でみると、国内にどのような民族が住んでいるかや、人種、信仰している宗教などの統計を取ることも基本的に禁じられている。
このようなフランス社会の考え方について、仏ソルボンヌ大学で哲学を教えるピエール・アンリ・タヴォワロ准教授はこう説明する。
「現代のフランス社会には、3つの領域があります。1つ目が、自由に宗教を信仰する権利がある”個人“の領域。2つ目が、ニュートラルであるべき”公共・国家の領域“。3つ目が、”市民社会の領域“。ここでは、市民生活を営むにあたり自らの信仰を押し付けず、相手の信仰も尊重する必要があります」
実際に、こうした理論が上手く社会で成り立つのだろうか? 仏経済紙ジャーナリストのレジス(仮名)は、賛同する。「ライシテのおかげで、異なる民族・信仰のルーツを持つ人々が自然に入り混じることができます」。
そして、こう続ける。「また、ライシテは教室・職場内での争いを防いでくれます。例えばパレスチナとイスラエルの間で衝突がある際に、同国にルーツを持つ生徒間で宗教的な言い合いになることもありますが、ライシテという概念はこうした状況がエスカレートすることから守ってくれます」