渋谷駅屋上に昔、ロープウェイが通っていた(デジタルリマスター)

デイリーポータルZ

こうか?(編集注:妄想です。正しいルートは本文にて)

この前、ある人から昔の渋谷駅についてこんな信じがたい話を聞いた。

「あの屋上から、昔、ロープウェイがのびてたらしいよ」

うえーーーーーーーーー!
あの渋谷駅に?日々周辺の開発は進み、若者文化の発信地であり、いつも人がひしめいているあの渋谷駅の、屋上に、ロープウェイ???

2004年11月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。

ロープウェイと言えば観光地、それも山や渓谷にかかっているもんだと相場は決まっているのに、よりによって渋谷のど真ん中にぶらさがっていたというのか。この件について東急電鉄に問い合わせたところ、「そのような話は聞いたことありますねぇ」との返事が返ってきた。

なんだか他人事だ。しかし丁寧に、調べてからかけなおしますとのことで待っていると、「個人の方なんですが、当時の写真を持っている方がいらっしゃいます」という返事が。さっそく、その所有者である赤石さん宅にお邪魔して、当時のことをうかがった。

乗り物好きなお方。
棚にも電車のチョロQが。

写真を撮られたのはいつごろで、どういう事情だったんですか?

「昭和27年だったかな、22歳の、成人の日の祝日にね。当時は代々木上原に住んでたから、新宿にはよく行ってたんだが、その日はたまたま渋谷に、なんとなく足が向かったんだ。そして、東急の屋上で撮ったんだよ。」

そして、テレビ東京で昔やっていた「あっとらんだむ」という関口宏さん司会の番組で使われた様子を、ビデオで見せていただいた。赤石さんの貴重な写真は、テレビや本などでよく紹介されているのだ。

「あっとらんだむ」、見てなかったけど覚えてる。
赤石さんのクレジットも入っている。

先にも述べたように、本家本元の東急には当時の様子を伝える写真は残っていない。つまり、たまたまそのとき「なんとなく」足が向かった渋谷で撮ったこの写真がなければ、そのロープウェイの全容はまぼろしで終わっていたかもしれないのだ。

と、じらしてきたようで申し訳なかったが、そのまぼろしのロープウェイ、さあここでごらんいただきたい。

いったん広告です
これが昭和27年の渋谷駅前だ!

思いっきりロープウェイだ。しかも浮遊感が、なんだか異様にすごくないか?かなり高所に吊られているように感じる。高所恐怖症の人なら、この写真を見るだけでもくらくらするかもしれないので注意が必要だ。手前に、斜め格子状にぼやけているのは、屋上を囲っている金網のようだ。

この丸っこいフォルムも、前面の旗クロスも泣かせる。

ちなみに現在の渋谷を同じアングルで撮ろうと東急の屋上に上ってみたが、柵から遠くて下のようにしか写らない。方向としては、ハチ公口の方面だ。

フットサルのコートの向こう側に行って撮った。
ビデオでの比較映像。ハチ公口からセンター街、109方面を望む。

戦後7年しか経ってないのに、こんな楽しそうな渋谷になっていたのか。

ものの本によれば、このロープウェイがお目見えしたのは昭和26年8月。東横百貨店(現在の東急東横店東館)屋上から、玉電ビル屋上(現在の同西館)との間に渡されていたとある。全長75メートル、ゴンドラは1個、しかも子供に限り、定員12名と、かなり小さいものではあったらしい。

そのうえ、玉電(ちなみに玉電とは東急玉川線のこと。現在は東急田園都市線の一部となっている)の屋上に着いても降りることはできず、また引き返してくるだけのものだったらしい。うーむ。開かずに引き返すのかい。

しかし当時の子供たちにとっては、渋谷という都会でロープウェイに乗って山手線の上を往復するだけでも大興奮だっただろう。

ひばり号。窓から中をよくみると確かに、子供ばかり満員なので、ゴンドラの小ささがうかがえる。

「山手線の上を往復」。そう、しかもこのロープウェイは、当時の国電山手線(と貨物線)の線路の上をまたいでいたのだ。かなり大胆な景観だと思う。赤石さんも「頭の上を通すなんて、よく国電が許可したよねえ」と笑っていた。

残念ながらその後、前から決まっていたビル建設工事により、わずか2年後の昭和28年にはロープウェイは廃止となってしまった。

その時代は周りが低い建物ばかりで、ロープウェイが堂々と誇らしげである。今もしロープウェイが復活しても、ビルの谷間に隠れてしまい、とてもじゃないが見晴らしがよくないと思うので、宇宙エレベーターもびっくりというようなとんでもなく高いところに引かねばならないだろう。

赤石さんに見せていただいた参考文献:
・懐かしの電車と汽車 渋谷とその周辺 (株式会社多摩川新聞社)
・鉄道と街 渋谷駅 (大正出版株式会社)

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