日本のLNG融通は良策だ

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報道によれば日本政府は、米バイデン政権から液化天然ガス(LNG)融通の要請をうけて議論を開始したといいます。

アメリカのバイデン政権は、ウクライナ情勢が緊迫化し、ヨーロッパで天然ガスの調達が滞ることを避けるため、日本政府に、日本が輸入するLNG=液化天然ガスの一部をヨーロッパ向けに融通できないか要請してきたことが分かりました。政府内で慎重に議論を始めています。

米バイデン政権 日本が輸入するLNG 欧州に融通できないか要請(NHKニュース)

米バイデン政権 日本が輸入するLNG 欧州に融通できないか要請 | NHKニュース
【NHK】アメリカのバイデン政権は、ウクライナ情勢が緊迫化し、ヨーロッパで天然ガスの調達が滞ることを避けるため、日本政府に、日本が…

言うまでもなく、日本は輸入依存国なので、この打診は一見奇異なものに感じますが、実は日本にとって千載一遇のチャンスなのです。この際どの国にも先駆けて「LNGの融通」を表明すべきと考えます。

その理由は、

「貧者の一灯」であり絶好の大義名分だから

これに尽きます。

ウクライナをめぐる欧州危機に対しては、その地域が日本から遠いことから直接的な貢献手段は限られております。第一次世界大戦時のように、(自衛隊の護衛)艦隊を派遣するということが仮に可能だとしても準備時間が長くかかることが予想され、間に合うかどうか不明です。一方、エネルギー市場は国際的に一体不可分であり、市場機能を通じて「情報」として世界を飛び交うので「確保分の融通」などの施策ならば、遠隔地間の時間差もほぼありません。

しかし、すぐに思い浮かぶのは「大規模産出国ではない日本が保有分や予約分を放出しても微量かつ一過性なので効果は限定的ではないか?」という疑問です。これは第一義的な意味ではその通りです。しかし真の狙いはむしろ、これによって派生する宣伝効果のほうなのです。

いわゆる「貧者の一灯」です。日本が資源を持たない国であることは、国際社会の指導者たちの間では常識でしょう。その資源「貧者」の日本が、なけなしの保有資源さえ放出する決意と行動は、欧米陣営にとっては何がしかの「支援」になるでしょう。日本流の「旗幟」表明です。

ただ、現状発電エネルギーの4割前後を賄うとされるLNGを放出することは、国内電力のひっ迫に直結する死活的問題です。ではどうすればいいかというと必然的に、

「原発再稼働の促進」

という方針を採らざるを得ないでしょう。そして、

「欧米社会の危機に際して、資源の融通で貢献するためならば、そして米国からの強い要請があるならば、この際原発を再稼働して国際社会の平和に貢献するのはやむを得ない」

これは国内世論を納得させる大義名分に成り得るでしょう。

確かに社会的には「原発アレルギー」「反原発運動」という大きな障害があります。しかし、今や克服すべき時です。「自分だけの安心のためにゼロリスクの妄想に耽り、現実世界の危機に対して全く貢献しようともしない日本」に気が付くべきでしょう。その姿はあさましく、その心根は貧しく、現代の日本人として、祖先にも次世代にも申し訳なく思います。

しかし原発再稼働にはいくつかの必要条件があります。そのなかでも絶対必須なのは、次の3つです。(※ただしこれらで十分というわけではありません。)

  • 必要条件1:強いリーダーシップ
  • 必要条件2:「原発リスク」についての正確な知識の普及
  • 必要条件3:安全基準の適正化

必要条件1:強いリーダーシップ

原発再稼働を促進するとき、必ず反対活動も激化するでしょう。これに立ち向かうためには強いリーダーが必要です。たとえば東京都におけるディーゼル規制では、時の都知事に対して非難轟々でしたが、結果として東京都内の空気はだいぶ清浄になりました。

原発再稼働の促進には、それ以上の逆風が予想されますが、これをやりきる指導者が現れることを期待します。

必要条件2:「原発リスク」についての正確な知識の普及

福島原発事故以前、いわゆる「安全神話」に包み込み、「原発リスク」の実相を国民に伝えませんでした。伝えた場合には、予定通りに普及させることは困難だったのでしょう。しかし、再び「世界一の厳格な安全基準を設定したので安全・安心です」と「ゼロリスク」の幻想を抱かせたまま推進することは将来に禍根を残すやり方です。

ここは正面から「発生可能性は十分低いがリスクはある」「想定としては許容可能な損害である」「想定外ももちろんある」という点を明示したうえで、「それでも再稼働する必要がある」ということを説明しながら進めることが必須です。「失敗に学ぶ」とはこういう行動でしょう。

必要条件3:安全基準の適正化

現在設定されている安全基準は、社会の「原発バッシング」に対応して、かなり「保守的」な設定ではないかと推測します。厳格すぎる基準は、発電コストの上昇を招くばかりではなく、原発を運転する企業や現場の疲弊につながり、その意図とは逆に、重要な安全確保のための足かせになってしまうのではないでしょうか。

なぜここに疑問を持つかというと、ある原発の運転差し止めを判断した裁判官がその考え方を著わした書籍(:職業倫理の観点で問題ないのでしょうか)を読んだことがありますが、科学合理性に欠ける思考が混ざっていました。

基準設定と裁判官には直接的な関係はありません。しかし裁判官さえも世間の風潮に左右される事実は、「人が決めることには社会的な感情の影響が入り込む可能性がある」ということの傍証でしょう。再稼働基準の妥当性には、専門の方々の議論の余地は大きいと考えます。

まとめ

米国バイデン政権からの打診は、日本が「原発を通常の電源として活用する」という、あるべき姿に戻るための「奇貨」です。米国という外圧を大義名分として活用し、必要ならば、「原発を再稼働させてLNGを融通してくれ」と言わせてもいいのではないでしょうか。

もちろん専門家から見れば、本稿の主張は「素人の戯言」に過ぎません。相手にされる可能性はほとんどゼロですが批判は大歓迎です。

識見ある大人には、是非とも日本の国益を増進し、次世代を担う若者に明るい未来を託せるプランを立案して頂きたく思います。