ブルームバーグに日本電産、永守重信会長の関社長への失望感と題した記事が掲載されています。この記事の内容が本当であれば正直、驚きであり、カリスマ経営者、永守会長への評価は変わってくるかもしれません。
日産自動車のトップ争いをした関潤氏を自分の後継者にするとして日本電産に引き抜き、吉本浩之社長(当時)を副社長に降格させ、関氏を社長に座らせました。その吉本氏は失意からか21年5月末で退社しています。ただ、今になってその期待の星であった関氏の指導力にも不満感が出たようです。
記事によれば永守氏は「高い収益力で成長を続けてきた日本電産に最近ほころびがみられ、低収益企業からの中途入社の増加で持ち込まれた諦めや怠けなどの悪習で汚染されている」とし、「関氏は昨年12月から、本来であれば関氏を必要としないような顧客との交渉のためにドイツに長期滞在している」とあります。要は永守氏は関氏を干してしまったのです。これだけ読めば血も涙もなく、まるで中国共産党の仕打ちようにも取れます。
ご承知の通り、永守氏は一代で世界最大の総合モーターの会社に育て上げ、M&A巧者としてもその世界では名前を知らない人はいません。典型的な仕事人間で週末は膨大な社内のレポートを丹念に読み、人生の全てを日本電産に賭けてきたといってもよいでしょう。
しかし、そのカリスマ性故に、有能な人材を次々と同社に招き入れるもののほとんどモノにすることができませんでした。今回も失敗なのでしょうか?
カリスマ経営者の事業継承の苦悩という点では孫正義、柳井正氏の両名の行方もしばしば話題になります。ただ、孫氏はまだ64歳、柳井氏も72歳である点からするとまだ時間的猶予はありますが、永守氏の77歳は確かにギリギリであり、永守氏自身も経営活動から教育活動などにシフトしていくつもりでした。しかし、結局、再び自分で経営の最前線に立ってしまったのです。
事業継承ほど難しいものはなく、その会社規模が大きくなればなるほど困難が付きまといます。北米のように会社が年中売買される環境下では従業員の忠誠心はボス次第というドライな発想であるのに対して日本は極めてウェットである点からもトップ交代は腫れ物に触るような困難な技なのです。ましてや創業者から社長の地位を引き継ぐことは創業者と従業員という絶対的な一心同体の関係の中に割って入り、自分への忠誠心を高めて、社内を盛り立てる必要があります。
これ、普通には出来ません。永守色は永守色でしかなく、新社長は新社長の色がある、それを認めないと引継ぎなど絶対に不可能なのです。引継ぎの方法があるとすれば私は3つ掲げます。①社内で忠誠心のある永守色をよく知る人間に同じ色で仕事をしろと強要するか、②経営のプロとして外国人をトップに据えるか、③誰も出来ないので会社売却 の選択肢です。
永守氏の性格からすれば②はすぐにはない気がします。それは外国人が優秀ではないということではなく、経営文化が違い過ぎるのです。あれほど海外に進出している会社ですが、かなりドメスティックな会社なのです。
ただ、私は日本電産は中国の電気自動車会社向けモーター供給を通して覇権をとれるとみています。そうすれば今の事業レベルの何倍にもなれるわけで、日本企業のレベルではなくなるのです。ならば極論ですが、私は日本電産が武田薬品のような大変革を起こすしかないとみているのです。
武田薬品は創業家で剛腕経営者、武田國男社長(当時)が事業絶好調の時「このままでは10年後にこの会社はないかもしれない」という危機感から社内生え抜きの長谷川閑史氏を経由して完全なる国際企業を目指し、クリストフ・ウェバー氏をトップに据えるという英断を行います。そしてシャイアーを6兆8000億円で買収し、世界水準と比べ小規模でドングリの背比べだった日本の製薬業界からついに世界トップ10入りを果たすのです。この流れは創業家の英断でしかなかったのです。
私は永守氏のお目にかなった経営者は日本人では見つからないとほぼ断言できます。また、永守氏は自分の色にこだわらずに新経営者に託す、そしてボトムラインがどこにあるのか、それを定めることが肝心かと思います。つまり譲るところは譲るという姿勢がないと日本電産の価値はむしろこれから下がってしまうことを永守氏自身が自覚すべき時だと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年1月26日の記事より転載させていただきました。