闘病中の猪木氏「歩み止めない」 – PRESIDENT Online

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アントニオ猪木さんは現在、アミロイドーシスという難病と闘っている。YouTubeでは病気で衰弱した姿をさらし、多くの人に衝撃を与えた。なぜ彼は闘い続けるのか。セブン‐イレブン限定書籍『最後の闘魂』(プレジデント社)より、猪木さんの思いを特別公開する――。


写真提供=コーラルゼット

「猪木だから挑戦できた」わけじゃない

思えば「挑戦」ばかりの人生だった――。

ブラジル時代に、のちの師となる力道山にスカウトされて、右も左もわからぬプロレス界に飛び込んだ。常に同期のジャイアント馬場と比較されながら、アメリカで修行をした。日本プロレスを離脱して、東京プロレス入りしたものの、すぐに崩壊して白い目で見られながら日本プロレス復帰もした。

その後、新日本プロレスを旗揚げしたが、なかなか軌道に乗らなかった。世界が認めるスーパースターであるモハメド・アリとの対戦を実現したものの、世間からは酷評され、大借金も背負うことになった。政治家に転身後はイラクの人質解放に奮闘し、国交のない北朝鮮とのパイプ役も務めた。

思い出すだけでも、いろいろなことがあった。その時々を全力で駆け抜けた結果、失ったものも当然あるけれど、それ以上に多くのものを手にした。

あらためて思うよ、「人生は挑戦の連続である」って。

誤解しないでほしいのは「猪木だから挑戦できた」わけじゃないということ。誰の人生も、大なり小なりの挑戦の結果、いまがあるということ。

挑戦するのは怖いけれど、挑戦しない人生のほうがもっと怖いんだよ。

「修行とは出直しの連続なり」

「人生は挑戦の連続である」といったけれど、勇気を出して思い切って挑戦した結果、思い通りの結果を得られないことはもちろんある。大ダメージを受けて、「もう立ち直れない」と悲嘆に暮れることもあるかもしれない。

わたしだって、成功ばかりじゃなかった。

いや、むしろ失敗の連続だった。

だからといって、尻込みする必要なんてなにもない。

失敗したらやり直せばいい、ただそれだけのことだ。

かつて、わたしの下から離れていった藤原喜明が新日本プロレスに復帰する際に、わたしは「修行とは出直しの連続なり」とファンの前で挨拶をした。

間違えたと思ったのなら、もういちど元に戻ってやり直せばいい。

「やっぱり違う」と感じたのなら、違うやり方で歩き出せばいい。

なにかをはじめるのに遅過ぎるということは絶対にない。「失敗は成功の母」というけれど、たとえ失敗であっても、それは必ず自分の血となり、肉となる。

そこで逃げずにきちんと出直すことができたとき、あなたはすでに成功への階段を上りはじめているのだ。

「もっと自分にうぬぼれて生きてみなよ」

かつて、テレビ朝日のアナウンサーから、「もしも、この試合に負けたら……」と、試合直前に質問され、いらだっていたわたしは、「出る前に負けることを考える馬鹿がいるかよ!」と張り手をしてしまったことがある。彼には悪いことをしたけれど仕方がない。試合前に負けることを考えるようでは、プロレスラーとして失格だからだ。

「オレは世界で最強だ」という思いで突っ走ってきた。その自信の源となっていたのは、日々のたゆまぬトレーニングだった。わたしはプロフェッショナルとして、いついかなるときでも練習に関しては妥協したことがないと自信を持っていえる。


写真提供=コーラルゼット

わたしはよく、「もっと自分にうぬぼれてみろよ」とアドバイスをする。

もちろん、単に「うぬぼれ屋になれ」という意味じゃない。かなえたい夢を抱きつつ、自分で「もうこれ以上はできない」というくらい、とことんやることをやって、そのうえでうぬぼれてみろという意味だ。

徹底的に努力をして、自分で自分に自信を持つ。そして、うぬぼれる。

このサイクルを繰り返していると、自分でも思いもしない力を発揮することがある。

勝つためには努力が必要だ。きちんと努力しているならば、卑屈になるな、弱気になるな、自信を持て! もっと自分にうぬぼれて生きてみなよ。

「馬鹿になれ、恥をかけ、自分をさらけ出せ」

馬鹿になること、恥をかくこと、そして自分をさらけ出すこと――。

現代の人たちは、常に冷静でいること、まるで他人事のようにクールに振る舞うことがカッコいいことだと思っているようだ。でも、馬鹿になり、恥をかき、自分をさらけ出すことができたとき、本当の自分が見えてくる。

思えば、これまでの人生で多くの人に馬鹿にされてきた。人になんといわれようとも、いつも「どうってことねぇよ」と思っていたから、なにも気にしたことはない。

他人の尺度を気にしていたって仕方がない。自分には自分の尺度があり、自分の人生は自分で歩んでいくものなのだ。

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