「環球時報」は4日の別記事で、いよいよ「中国の民主主義は米国の民主主義よりも『広範で、真正で、効果的』」と題し、同日に政府が公表した白書「China: Democracy That Works」を詳報して、白書が比較する中国と米国の「民主主義」について述べる。
記事によれば、中国の民主主義は「共産党の指導の下の全過程の人民民主主義」であり、「各レベルの党員と指導者は職務を遂行する際」、「党と人民の全過程・全方位の監督」を受け入れ、「人民から与えられた権力が常に人民の利益のために使われる」ようにしなければならないという。
そして中国では、憲法と選挙法の両方で、「国民党と各級地方人民代表大会の代議員が有権者と原選挙区の監督を受けなければならないと規定」され、また「有権者と原選挙区の双方は、選出された代表者をリコールする権利を有して」いるので、中国のシステムの方が優れているとする。
その事例として、全人代年次総会では「3000人近くの代議員が数千件の動議を提出」し、その大半が「義務教育中の学生の過剰な宿題や学外での家庭教師の負担を軽減するための取り組みや、配膳スタッフの雇用の柔軟性を向上させるための取り組み」など、生活に関する問題に関連しているという。
だがその実、全人代の代議員は、省・自治区・直轄市・特別行政区の人民代表大会と人民解放軍から選出されるので、県以下の代表しか選べない一般の国民が全人代代議員を選挙する訳ではない。候補者自体が限定されている香港の今を見れば、北京のいう選挙がどういうものかは容易に想像がつく。
4日の「環球時報」の真打は社説だ。それは白書の本文を ①「中国共産党の指導の下での全過程の人民民主主義」 ②「健全な制度的枠組み」 ③「具体的かつ実用的な実践」 ④「効果のある民主主義」 ⑤「民主主義の新しいモデル」の5つの項目で構成されているとする。
そして白書は、「西側システムの外にある主要国が発表した民主主義に関する体系的な言説」であり、「実践的に大きな支持を得ている」とし、中国は「世界で初めて全過程人民民主主義を実践した大規模社会でもある」と自賛する。が、その民主主義の正体や誰に大きな支持を得ているのかは不明だ。
白書はまた、米国の民主主義が「選挙を繰り返しているうちに空洞化」し、「選挙に勝つことが政党や政治家の圧倒的な目標」となった一方、「中国共産党が指導する国家構造では、政府は直接人民と向き合い、国民を中心に据えて国家の発展を図り、その成果を国民に還元する」とし、そのことが「全過程人民民主主義の基本的な意味と論理」であるという。
中国には「自分の意見を表明する場がない」という意見について記事は、白書は「これは欧米世論の無秩序な表現に対する基準だ」とし、中国には「上から下まで意見を交換するための制度」として、例えば「汚職を密告するための制度的なチャンネル」があり、「複雑に絡み合っている問題には国が段階的に対処する」と述べる。つまりは監視や密告を奨励し、それに国家が対処することを端無くも認めている。
また記事は、我々は「西洋式の民主主義システムにメリットがないとは思わない」として、欧米の多くの国では「法の支配が高い権威を持ち、特定の紛争を司法の場で解決することが社会に根付いている」例を挙げ、中国の「全過程人民民主主義と西欧式民主主義は対立する関係にはなく、両者は異なる国の異なる歴史的・文化的背景の産物」であり、「互いに学び合うべき」とする。
そして「環球時報」のトリは5日の胡錫進編集長だ。彼も「中国は全てを上手くやった訳ではなく、米国や西洋には学ぶべきことが多くある」としつつも、中国の「全過程民主主義は、普遍的な意義を持つ偉大な実践」であり、「人類文明の大きな流れの中で、ますます明らかになってきている」とする。
彼は自らの「微博」のフォロワーに「特に若い人たちに言いたいのは、自分が生きている間に中国のGDPがアメリカの2倍になる日」が必ず来るし、世界はいくつかの大きな問題で「破壊的な変化」が必ず起き、「欧米のイデオロギーの中で、中国に対して傲慢な部分が崩れていく。私はそれを見たいと思っている」と結んでいる。
これに対しサキ報道官は「(サミットは)米国でも他の参加国でも、民主主義に関して行ってきたことを祝って終わりにするのではなく、より良いものにするために努力を続ける機会だと思う。大統領も民主主義とは常に進行中のものと考えている。まさに、常に自らをより良くしようとし、他の国をより良くしようとする機会なのです」と会見で述べている。
筆者は「環球時報」や「白書」による「西欧式民主主義」の分析に多くの点で同感する。民主主義の不完全さはサキ報道官も認めるところだからだ。が、「環球時報」や「白書」が「今日の中国社会は政治的な自信に満ちている」とする中国の「全過程人民民主主義」が何たるかは理解できない。
つまり、西側社会が民主主義の不完全さを自覚している一方、北京とその代弁紙に垣間見えるのは、胡錫進の言とは逆の共産中国の傲慢と独り善がりに他ならない。それは筆者が目を通した10本近い「環球時報」の「民主主義サミット」関連記事の中に「人権」の二文字が皆無なところに顕著だ。
(後編に続く)