Netflixの実写版『カウボーイビバップ』でどうしても気になってしまう点 / ビジュアル以上に重要なカギを実写版の「できてなさ」から学んだ

ロケットニュース24

ついに公開されたNetflixの実写版『カウボーイビバップ』。私(中澤)は最初の打ち切り放送時からのファンなので23年来ということになる。全話見たすぎて、高校生には高価だったアニメVHSを買ったのは良い思い出。マジで高かったなあ。

ゆえに、Netflix実写化も楽しみにしていた。アニメの実写化が好きなわけではないが、『カウボーイビバップ』は別に化物的なヤツが出てくる話ではない。あくまで舞台がSFなだけでやってることは日常系なのでハリウッドなら意外となんとかなるのではないか? そう思ったのである。

──しかし、フタを開けてみたら、どうしても気になってしまう点があった

・ビジュアルやストーリーについてではない

先に言っておくと、ビジュアルについての話ではない。実写化されるという時点で、色んな現実が絡んでくるだろうから、ビジュアルについてあれこれ言うのはやめよう。私は見る前からそう心に決めていた。

さらには、ストーリーについての話でもない。30分26話のアニメを50分10話の実写にするんだから、アニメの話を完全再現なんて無理に決まってる。新しいエピソードを盛り込んで出来ることをやるアニメのデジャヴュみたいな内容であることはほぼ間違いない。

・実写版を楽しみたい

それなら新しいエピソードを楽しもう。要するに、私はかなり映画に対して好意的に見始めた。エドが出てこなかろうが、多少アクションにキレがなかろうが全て良し。だって実写だもん。事実、そう思って見ていたらむしろクオリティーは高いような気がした。

ジェットとか絵がそのまま出てきたようなビジュアルだし、スパイクは外見は似てないけど雰囲気はある。位相差空間ゲートに入る時の宇宙空間と星のCGなんてスターウォーズみたいだし、スパイクとジェットが地味に肉ナシの青椒肉絲を食べていることや、3人組のじじいの再現度、携帯端末がトランシーバーみたいなことには愛すら感じる

・どうしても気になってしまった点

しかし、1話を見終わる頃、心にしこりのようなものが残ってしまった。頑張ってくれたのは伝わってくる。ただ、キャラの理解が浅い気がするのだ

例えば、最初に引っかかったのは、ジェットが子供の話をしまくるところ。ジェットって、確かに原作でも元・恋人のエピソードがあるくらいなので、ビバップの中でもパーソナルな情報を匂わせる男ではある。ただ、それは浪花節であって所帯感ではないと思うのだ

それによって、男の生きざまを背中で語るイメージだったジェットが、ただの頑張るお父さんになっている。そこに引っかかると、スパイクがバンバン人を撃ち殺すのも気になってくる

スパイクは確かに殺す時は殺すキャラではあるけど、無暗に撃ち殺す感じではなかった。どちらかと言うと、レッドドラゴン関係以外は、撃ち殺すのはやむを得ない時だけという感じ。大体カンフーでボコるイメージだ。そこには美学があったと思うんだけどなあ。少なくとも私はそれを感じながら見ていたんだけど。

・フェイ

で、そういったキャラへの認識の違いが一番大きいように感じたのはフェイとビシャス。まず、私が感じていた原作でのフェイのイメージは性格は最悪だけど頭はキレる女性。瞬間湯沸かし器のように憎まれ口を叩くが、ちゃんと計算がある的な。

当時周りのアニメオタクからは、フェイのデザインが可愛くないから好きじゃないという声も聞こえたが、私はフェイに漂う知性が好きだった。見た目とかスタイルは、フェイの魅力においては二の次なのである。

しかし、Netflix版では、ただ運動神経が良いサバサバした女になっているように感じた。最近のハリウッド的アクションヒロインとはまた違うんだよなフェイの魅力って。

・ビシャス

最後にビシャスは、私でなくとも「違うだろぉ……」と思った人は多いのではないだろうか。なんとジュリアと結婚していて愛を囁くのである。しかも、2話では、レッドドラゴントップの3兄弟に、ジュリアを撃つように命じられてためらうシーンがあるのだ。違うだろぉ……。

確かに、原作ではスパイクとジュリアを奪い合ったような描写はあるし、過去にジュリアと恋人関係になっているような描写もある。しかし、何よりもリアルタイムのビシャスから強く感じるのは、スパイクがいなくなって傷ついている男の姿であり、ゆえにビシャスはスパイクの前でのみ「憎悪」という人間的感情をむき出しにする。

要するに、ジュリアへのものは明らかに恋愛感情ではなく、ビシャスもジュリアもお互いを利用しているだけなのである。だから、忠誠心を示すためにジュリアを撃てと命じられたら無言で引き金を引く。それがビシャス。人間的感情はスパイクがいなくなった時に全て捨て去っているのだ。

ビシャスが傷ついた男だからこそ、原作のラストは考えさせられるものになっていると思うし、引いては一瞬しか出てこないジュリアの深みにも繋がっていると思う。それを恋愛感情という分かりやすいものに置き換えないでほしかった

言わば、ジュリアもズルイ女であり、強い。Netflix版で引き金を引いたビシャスを責めるジュリアからはそういった側面が消失しているように感じられた。まあ、ひと言でまとめると、全員、このキャラそんなこと言わんだろってセリフを言いまくるのだ

・出来が良いからこそ

そんなNetflix版を見ていると、逆にアニメ版においてどれだけキャラに深みがあったかが分かる。正直、こんな感想を抱くなんて自分でも予想外だった。結果論になってしまうが、むしろ、見た目やストーリーは違っても良かったのかもしれない。出来が良いだけに「何か違う」が目立っているように見えてしまった。

初めて『カウボーイビバップ』を見たのは高校生の時。ハードボイルドなキャラ達やセリフが外国映画のようでカッコ良くて憧れた。しかし、いざハリウッドが作ると、原作にあった雰囲気が損なわれるとは皮肉でしかない。

とは言え、間違いなくアニメ実写化の中では頑張っている部類の本作。惜しいところまでいっているだけにファンにとっては魅力を再発見できる作品となっていると思う。本作の評価によっては実写化の流れが変わるのではないだろうか? 挑戦としてはナイスファイトと言いたい。

参考リンク:Netflix『カウボーイビバップ
執筆:中澤星児
画像:©サンライズ

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