人は「神」に進化できるのか

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ローマ・カトリック教会の総本山バチカンで21日、「人工知能(AI)と人間の関係」についての国際会議が開催された。AIの発展で人間の生活が激変している。会議のテーマは「人間社会のための人工知能の挑戦と人間のアイデア」だ。ドイツのバチカン大使館と教皇庁文化評議会の共催である。

バチカンの薬局で勤務するロボット社員(ANSA通信)2019年8月24日、バチカンニュースから

人工知能をテーマにした今回の会議は今夏に亡くなったバチカンの元ドイツ大使マイケル・コッホ氏が提唱してきたものだ。コッホ氏は人工知能のトピックとそれが社会にもたらす課題に非常に興味を持っていた。

バチカンの「AIと人間の関係」の国際会議と同時期、北大西洋条約機構(NATO)は22日、ブリュッセルで国防相理事会を開き、NATO初となるAI戦略を協議した。AIなど最先端技術の軍事利用を加速させている中国やロシアに対抗する狙いからだ。

全てのもの、対象がITにつながれ、連結されてきた今日、仕事ももはや会社に出社しなくても、家庭でできるようになった。新型コロナウイルスの感染防止のためにリモートワークが広がり、学生たちも学校に行かず、家庭でのホームスクーリングが増えた。IT技術の発展でAIを活用する範囲は急速に広がっている。AIは人類の今後の発展にもはや欠かせられなくなってきた。

AIは汗をかく肉体労働から人類を解放してくれるだけではなく、人間が有するクリエーションの世界にまでその手を伸ばしてきた。オーストリア代表紙プレッセ(2019年12月10日付)の文化欄で「AIのアルゴリズムがベートーベン交響曲第10番を作曲できるばかりか、フランツ・シューベルト(1797~1828年)の未完成交響曲を完成できる」といった趣旨の記事が掲載されていた。そういえば、囲碁の世界最強棋士と呼ばれる韓国の李セドル9段(36)が2019年11月20日、「アルファ棋士との戦いでは、もはや勝つことはできない」と表明し、AI棋士「アルファ碁」に対し「敗北宣言」をし、引退宣言をしたという記事を読んだとき、かなりショックを受けたことを思い出す(「『ベートーベン交響曲第10番』の時代」2019年12月12日参考)。

バチカンにある薬局でロボットが勤務している。仕事の内容は、薬の自動管理と在庫整理などだ。ロボットは約4万種類の薬を取り扱うバチカン薬局内のスペースを節約し、毎年行われる在庫整理が不必要になった。ロボットはドイツのケルベルクにある「BD Rowa Technologies」社製で、通称「BD Rowaシステム」はバチカンの薬局の仕事内容、店舗販売、倉庫管理を大きく変えている。

上記がAIによるプラス面だ。一方、AIの導入による製造工程の自動化で多くの労働者は職場を失っていく。アルゴリズムやロボットは工業分野だけではなく、サービス業でも人間から職場を奪っていく。それだけにとどまらない。軍事関係者は目下、ロボット兵器(軍用ロボット)による戦争シナリオを真剣に考えている。ドローン(無人機)は荷物を郵送する手段だけではなく、戦地では空爆に利用されている。兵士や戦士の犠牲がないだけに、ドローンによる戦争は一層激化、非道な戦争を誘発することにもなる。これらはAIの導入によるマイナス面だ。

バチカン文化評議会書記のポールタイゲは、「テクノロジーのさらなる開発と人工知能の使用に関連する倫理的な質問について話し合うことが重要だ。人工知能の使用が人々の職を失うリスクがある。このテクノロジーを管理している金持ちが少数で、失業者や貧しい人々がますます増えていく場合、人工知能は世界的な不平等を拡大し、権力の不均衡のリスクが出てくる」と指摘している。

AI関連技術開発について専門家から意見を聞かなければならない。社会がどのように変わり、それに必要な規則について哲学者の考えに傾聴する必要が出てくる。ひょっとしたら神学者からもその考えを聞くことが重要かもしれない。ロボットを敬虔なキリスト者にするか、荒々しい戦士とするかは、まだプログラマーの手にあるが、AIは発展していけば、AIは学習していき、ある日、人間の手ではコントロールできなくなるかもしれない(「ロボットをいかに基督信徒にするか」2019年8月27日参考)。

世界的ベストセラー「サピエンス全史」の著者、イスラエルの歴史家、ユバル・ノア・ハラリ氏(Yuval Noah Harari)は独週刊誌シュピーゲル(2017年3月18日号)とのインタビューの中で、「人類(ホモ・サピエンス)は現在も進化中で、将来、科学技術の飛躍的な発展によって“神のような”存在『ホモ・デウス』(Homo Deus)に進化していく。20世紀までは労働者が社会の中心的役割を果たしたが、労働者という概念は今日、消滅した。新しい概念はシリコンバレーから生まれてくる。例えば、人工知能(AI)、ビックデータ、バーチャル・リアリティ(VR)、アルゴリズムなどだ。人間は方向性を失ってしまった。過去20年間で最大の変化はインターネットだ。全ての変化は政治とは関係なく決定されてきた。それは大変化の初めに過ぎない。今後、我々の生き方、職場、人間関係、人間の肉体すら変わっていくだろう。そのプロセスでは政治や民主主義は大きな役割を果たさない」と述べている。

旧約聖書の創世記第1章によれば、「神は自分のかたちに人を創造された」というから、ハラリ氏が言う神のような存在「ホモ・デウス」という表現は正しい。「神がそうであるように、あなたがたも完全になりなさい」という聖句がある。すなわち、「ホモ・デウス」は人類が願う姿を表現したともいえるからだ。

ただ、ハラリ氏は「一部の人間は神のようにスーパー記憶力を有し、知性、抵抗力を有するようになる一方、大部分の人類はその段階まで進化できずに留まるだろう。19世紀、工業化によって労働者階級が出てきたが、21世紀に入ると、デジタル化が進み、新しい階級が生まれてくる。それは“無用者階級”だ」と指摘している。すなわち、「ホモ・デウス」の時代になれば、「神のようにスーパー知性を保有する人類と何にも役立たない無用者階級が出現する」というのだ。貧富の格差、権力の格差社会どころではない。

ハラリ氏には人類の歴史は無限に進化していく、という歴史観があるのだろう。その歴史観からいえば、進化に乗って発展していく人類とそれについていけない落ちこぼれの人類(無用者階級)が出てくるという話は理解できる。選民と非選民の振り分けだ。弱者強者の世界だ。

当方は、人類の歴史は限りなく出発点に戻ろうとしているのではないか、と考えている。聖書学的に表現すれば、失楽園前の「エデンの園」の世界への復帰だ。その世界は「瞬間は永遠であり、永遠は瞬間」だ。そこには「進化」という概念自体が存在しない。

神は自身の似姿に合わせて人類を創造したように、人類は自身に限りなく似たAIを生み出そうとしている。それを進化と表現するか、既に「あった」ものの再発見に過ぎないのか、歴史観の違いで分かれてくる。ただ、進化論の歴史観の致命的な欠陥は目的が明確ではないことだ。一方、復帰説に基づく歴史観の目的ははっきりしている。本源への回帰だ。換言すれば、神の創造目的への復帰だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年10月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。