ブッシュの失言とプーチンとの違い

アゴラ 言論プラットフォーム

雑駁に言えばだが、確かに両方とも「間違い」と言える。だが同じ間違いでも、その「違い」の詳細も、議論する価値があるだろう。

特に安全保障に関しては知識や経験があまりない一般日本人の多くは「そうなんだよね。プーチンもブッシュ息子も同じ極悪人だ。米国の悪行をみれば、プーチンはさほど責められない。責めるならブッシュも同罪だろう。米露共に、同じくらい邪悪だ」と思う可能性が高い。

ブッシュ息子が笑うに笑えない「失言」をした。

「ひとりの男の決定で、全く不当で野蛮なイラク侵攻が始まった。いや、ウクライナ侵攻のことだ」

反米の人々は大喜びだ。「自分の失敗の深層心理が、心の奥にずっと眠っており、つい表出してしまった」という見方は、かなり当たっていると思う。

1988年、ブッシュ父が大統領選挙に出馬、民主党のデュカキス知事に大勝した時、筆者はテキサス州内を1ケ月くらい走り回り、ブッシュを追いかけた。後日も含めると、ベンツェン副大統領、ジェームズ・ベーカー(後の国務長官)、リチャード・ハース(後の外交問題評議会会長)など、ブッシュ一派とも言われる米政界の重鎮に複数直接インタビューをした。

つい最近も、ブッシュ息子がイラク戦争の反省もあるのか、戦争に参加し負傷した米兵の絵をテキサスの自宅で描き始めたと聞き、長時間インタビューの交渉を開始した。当初の企画はブッシュ父子を並べて質問攻めすることだった。筆者には父子同時に聞きたいことが多々あった。

イラク戦争開始前に起きたことで開戦理由につながるエピソード。

ブッシュ父がレーガン政権の副大統領の時、アフガ二スタンにおいてCIAと組んで秘密作戦を実施した。今回のプーチン蛮行に似た展開で侵攻したソ連軍と戦うため、イスラム過激派を支援する作戦だった。米側の隠密工作で、反ソのイスラム戦闘員を訓練、援助してソ連軍に戦わせた。

国際政治の常識「敵の敵は味方」で、その反ソ感情を利用した。

数十年後の今回のウクライナ戦争。予想以上のウクライナ人の健闘でプーチン軍の侵略は代理戦争の様相を見せ始めた。このレーガン政権時の作戦も同じような代理戦争と言える。

ブッシュ父はいつものように「反共」のためにはなんでもやった。下記のように後日攻撃することになるイラクにまで、武器支援をしたと言われる。

当時、パキスタンは当然だが、当時の中国も協力してイスラム戦士の訓練が可能になった(後日、その時の過激派は、ウサマ・ビンレイデンなどのテロリストを生み出し、米国への大規模テロにつながる。皮肉な結果だ)。だがこの時の対ソ戦争は、かなり功を奏して、冷戦終結、ソ連邦の崩壊につなげることに成功した。

以前もあったが、この時ブッシュ家にとって、イスラム過激派の存在は本当に大きなものになった。9.11では「米国は全面的に被害者面をするべきではない」という批判もこれなどに基づく。筆者は9.11もかなり深く取材したが、ブッシュ家族に限らず、これまでの米国の言動にもかなりの責任があると言える。

そして1990年サダム・フセインのクウェート侵攻。これも取材したが、グラスパイという女性米大使が「ある程度なら、米国は動かない・・」的なことをフセインに言ってしまった。それを聞いたフセインが「それなら侵略だ」という展開につながった。

今回のウクライナ戦争に似ている部分がある。グラスパイ大使と正直なバイデン老人の「派兵はしない」という失言を受けたフセインとプーチンは、そこにおける共通点がある。周りがどう動くか、そんなことはお構い無しに開戦したブッシュ息子とは違う部分だ。

フセインの侵攻に対して、国際社会は一気に動いた。当事者の多くを直接取材したが、国際社会は米国と一致して動いた。多分国連史上「最初で最後」だろう。安全保障理事会はフセインの即時撤退を要求すると共に、武力行使まで容認する決議をした。この時まで(そして多分これからも)ほぼ全ての案件で米国に反対、拒否権を発動してきたソ連もこの時だけは賛成票を投じた。ブッシュ父は世界をまとめたと信じて「新世界秩序」を宣言した。世界中を飛び回り、世界をまとめた友人のJ・ベーカー国務長官の誇らしげな顔を、小生は一生忘れない。

一方の日本。相変わらず「他人ごと」。2階の観覧席から見ているだけで、国際貢献に血も汗も流さない。最後には国民1人当たり1万円の増税までしたのに、クウェートによる感謝広告に日本の名前はなかった。

国連決議を受けて米軍を中心とした多国籍軍は、フセインをクウェートから追放した。だがこれまでの米国なら間違いなくやっていたはずのフセインの首までは取らなかった。本来なら米国がいつも考えている世界の民主化、独裁政権のレジーム・チェンジができる素晴らしい機会だったのにだ。

なぜなら、宿敵ソ連の賛成も得て国連がまとまった。人類史上初めてとも言えた。その「決議を立てて」、クウェート解放、フセイン軍の追放だけで終わらせ、バクダットまでの進軍はしなかった。ブッシュ父はフセインが敗戦で力を失い、政権が自然崩壊すると信じていたと言われる。

それが間違いだったことと、イラク戦争の開戦とは直接関係がある。

フセインは返り咲き、政治力を取り戻した。そして2001年に9.11が起きた。ブッシュ息子と共に、米国民はイスラム過激派の仕業と信じた。この時の当事者も多数直接取材した。

いろいろな議論があったが、主犯はウサマで、彼を匿うアフガンのタリバンへの攻撃はすぐに正当化され、実施された。米国にとって直接的な脅威といえるからだ。ついでにと思ったアフガンの民主化は失敗した。第二次世界大戦後、民主化に成功した日本とは民度などが違うと言える。さらに、この米国の失敗は今回のウクライナへのプーチンの蛮行の遠因とも言われる。

9.11の報復、再発防止における問題はイラクだった。米諜報など米政権も割れ、意見が分かれた。筆者は明確に覚えている。諜報関係者、ジャーナリストの一部は、「フセインとウサマは水と油、協力することはあり得ない」と言った。

映画「記者たち―衝撃と畏怖の真実」で、主人公のモデルになったジョン(ウォルコット)は、小生の師匠の記者の1人。中国によるウイルスの陰謀論でも最近話しを聞いた。相変わらず、世のため人のための調査報道への熱意を感じた。

彼に限らず、一部の良心的なジャーナリストは、最後の最後までイラク攻撃に反対した。

「自国政府が信じられない。大量殺りく兵器(WMD)が本当にあるとは思えない」WP紙のウォルター(ピンカス)記者の真摯な態度と言葉も、筆者は一生忘れない。

だが大手メデイアも含めて米国の殆どが、9.11の悲劇を受けて、感情的になり、理性的な判断ができなかった。

ブッシュ父がフセインの首を取らなかったことも、大きな反省材料だった。ブッシュ父子が「あの時、フセインを抹殺すれば・・・」と反省し合ったという噂もDCで聞いた。

ここで開戦への最後の青信号になったのが、大量殺りく兵器(WMD)の存在だった。

日本人は「米国はウソをついた、WMDはなかった、地獄に堕ちろ」という人がかなり多数いる。今回もプーチンの蛮行とほぼ同じものとして扱い、米国への批判を展開している。

だがあの時、フセインはクルド人に対してWMDを実際に使った。抑止のために、フセイン自身も昔フランスの協力を得て核開発しようとした前科がある。さらに自分で核や化学兵器を所持しているフリもしていた。IAEAの査察にもあまり協力しなかった。イラク戦争前のフセインは独裁政権で勝手し放題をやっていた。だから侵攻してよいとは言えない。だがイラク国民でフセイン打倒に拍手した人も数多い。これらのプーチンの蛮行とブッシュの判断の違いを、日本人で指摘する人は殆どいない。

当時のイラク戦争を否定しなかった米大手メディア多数も、筆者は取材した。皆が「WMDがないことの証明はどうやってやるのか?イラク国内取材は不可能。そんな方法はない。そもそもあることの証明は難しくないが、ないことはほぼ不可能だ。確かに結果的には間違っていたが、当時は米政府の発表を受け入れるしかなかった」と言った。

さらに米諜報の一部はお芝居に近いことをやった。反フセインで戦争をやらせたかったため、米諜報に対してフセイン悪人説につながる虚偽情報を流したイラク人もいた。筆者は欧州まで追いかけたが、逃げられた。

国連も割れ、安保理事会の全面賛成は取れず、武力行使は世界一致にはならなかった。だが今回のウクライナ危機でのプーチンに対する批判と比べると、当時は今回ほどの批判はなかった。

さらに大きな違いは、プーチンの蛮行は領土目当てが中心。米のイラク戦争は、領土拡張ではない。そして沖縄と同じ。占領はするが、自国領土にはしないで、最終的に返還する。占領、併合は米国民が許さない。

どこまでやっていいのかという議論は当然ある。だがあくまでも米国に対する無差別テロ防止、自国防衛、2ケ国間の紛争とも言える。プーチンの蛮行は、国際社会の賛成は殆どないが、日本などブッシュ息子への支援はかなりあった。

さらに、今回のロシア兵の数々の蛮行、婦女を強姦して殺害することなど。イラク戦争の米兵の蛮行とは「質」も「量」も違う。米は情報公開する。ロシアとは透明性も違う。ここが今回のプーチンの蛮行との根本的な違いだ。同じように扱う一部日本人の見識を疑う。

かなり長期間、沈黙を貫いていたブッシュ息子が、今回なんで失言につながるコメントをしたのか。プーチンへの批判が最大の目的だろうが、やはり米国内でも、ベトナム戦争と並び、米国の失敗といえる戦争。現在のプーチンの蛮行とある程度似たようなイラク戦争への関心が高まり、再度の議論をしたかったと思われる。だが、心の奥にあったことがつい出てしまったようにみえる。何人も直接取材したが、イラク戦争の全ての被害者に哀悼の意を表したい。

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