山梨県の富士吉田市を中心に食べられている、「吉田のうどん」というご当地うどんがあります。
その最大の特徴は、ガッシガシに硬い麺の食感で、そのてごわいコシは日本うどん界最強と言えるかもしれません。
その他に、具の定番が馬肉やゆでキャベツだったり、「すりだね」と呼ばれる独自の調味料があったり、多くが民家の座敷をそのまま使ったような素朴な店であったりと、いろいろな特徴があり、全国に多数あるご当地うどんの世界においてもかなり独特な存在。
そんな吉田のうどんが東京で食べられる数少ない店が、今年の5月に突然オープンしました。しかも、練馬区の富士見台というなかなかマニアックな街に。
なぜそこに!? なぜ吉田のうどん!?
貴重なお話を、ご主人とその奥様に聞かせてもらいました。
練馬区富士見台に突然誕生した、超本気の「吉田のうどん」屋
現在の僕の家の最寄駅は西武池袋線の石神井公園。なので、西武線沿線つながりの友達からSNSなどで沿線情報が共有されることも多いんですが、今年の夏くらいからちらほらと、同じ沿線の富士見台という駅から徒歩数分の場所に、本格的な吉田のうどんが食べられるお店ができたという噂を聞くようになりました。
僕も吉田のうどんは大好きで、現地まで行ってうどん屋めぐりをしたことも何度かあります。かなり昔のことなので残念ながら当時撮った写真が見つからなかったのですが、さすがはデイリーポータルZ。小野法師丸さんの「人んちっぽいうどん屋めぐり」のなかに、富士吉田市のうどん屋をめぐった記録がありました。
どうです? まずはこの人んち感! それだけで最高なのに、肝心のうどんの味がまたインパクト絶大なんだから、つくづく魅力的なシーンですよね。
さっそく噂の「力丸」へ行き、その時は新型コロナウイルスの影響による緊急事態宣言のまっただなかだったので、うどんをテイクアウトしてきたんですが、その本気度が想像以上だった!
そこで、思わずこんなツイートをしてしまったところ、
別になにかネタ的におもしろいことを書いたとかでもないのに、ただただ力丸のうどんの絵力、その美味しそうさだけで、なんと1800件以上もいいねがつくという事態に。さらに力丸公式インスタグラムによると、上記のツイートの影響で、翌日は朝からお店の前に行列ができ、10キロ仕込んであった麺が午前中で売り切れてしまったとのこと。
うわぁ、僕の軽はずみな行動でお店に迷惑をかけてしまった……力丸のうどんを楽しみにお店へ行ったのに食べられなかった常連さんにも申し訳ないな……と反省したものの、あのうどんは絶対にまた食べたい。そこで状況も落ち着いたであろう数日後、ふたたびうどんをテイクアウトしつつ、タイミングがあればひと言謝らせてもらおうと、あらためてお店に行ってみました。
するとなんと、
ということはどうやら、ものすごく迷惑がられてるということではなさそうだ。
そこでお会計の際に、「あのツイートしちゃったの、僕なんです……すみませんっす……」と告げると、お店のご夫婦、「うちはまだ新しい店なんで、ものすごくありがたかったです!」「あの日は午前中で仕事が終わって楽させてもらいましたよ〜」なんて、優しい冗談交じりに、ものすごくお礼を言ってくださいました。ありがたや。
と、ひとまず今後もお店に通えそうなことにほっとひと安心し、それ以降もちょこちょこおじゃまするようになったんですが、それにしてもやっぱり、何度食べてもここのうどんがうまい! それに、なんでこの場所で吉田のうどんのお店を始めたのかがどんどん気になりだしてきた!
そこでご主人にお願いしたところ、ありがたくも詳しいお話を聴かせてもらえることになりました。
というわけでここからは、力丸のご主人である高原さん、そして一緒にお店を切り盛りされている奥様のお話を中心にお送りしていきたいと思います。
吉田のうどんとの出会い
高原さん「私、サラリーマン歴が25年で、それ以前も料理人を目指していた時期とかは一切なく、いちばん長くいたのはIT業界なんですよ。
吉田のうどんとの出会いはもう20年ほど前になります。当時、山梨の富士吉田あたりの営業担当をしていて、毎日のように営業車で、会社のある立川からあっちまで通っていたんです。それでお昼になると、取引先の方なんかと必ず行くのが、吉田のうどん屋さん。
たいていのお店は、のれんもなんにもないごく普通の民家の居間に上がりこんで食べるようなスタイルなんですよ。鴨居のところに先代のおじいちゃんおばあちゃんの写真が飾ってあるような(笑)。当時はまだ『吉田のうどん』って言葉もなかったんじゃないかな。
その後、別の部署に移動になって、仕事で富士吉田に行くことはなくなったんですが、あの味が忘れられなくて、月に2回くらいはむこうのうどん屋さんに通い続けたんです。他にないじゃないですか? あのコシの強さ。
そんな生活を長く送っていたら、吉田のうどんの魅力をひとりでも多くの人に知ってもらいたいという思いが高まり、どうしようもなくなってしまったんです。ならば、現地ではなく自分が住んでいる東京に店を出すしかないだろうと。
そんなこんなでいよいよ会社を辞めたのが約2年前。ところが、『さぁ店を出すぞ! 』というタイミングでコロナ禍になってしまったんですね。それで、1年間くらいはくすぶりつつ、いろいろと別の仕事をしたりしてました。だけど今さらサラリーマンに戻るのもなぁ……と思って、とにかく動き出さなきゃ始まらないと、お店を始めたのが今年の5月24日。だからうち、まだ半年も経ってないんですよ。
ちなみに、料理の写真やメニュー、看板やのぼり、それからお店の内装まで、すべて自分でデザインしました。そういう部分は、かつての仕事の経験があったからできたことかもしれませんね」
本物の吉田のうどんとは?
高原さん「お店を出すにあたっては、富士吉田のなかでも特に大好きな『くれちうどん』というお店のご主人にいろいろと教わったんです。『東京で吉田のうどん屋を出したいんです!』って相談したら、『じゃあ、仕込み見せてやるよ』って言ってもらえて。
くれちうどんさんは、本当に昔ながらの伝統的な作りかたをされているんですよ。粉と塩水を混ぜて、足踏みして、熟成させて、また踏んで、というのを毎日朝の3時からていねいにやっている。勉強になりましたね。
東京にも吉田のうどんを謳っているお店はありますが、食べてみると、ちょっと本場のものとは違ったりすることも多くて。ただ、そういう状況だからこそ逆にブルーオーシャン、自分にもチャンスはあるなと思って、なんとかがんばっているという感じですね。
現地では基本的に馬肉を使うところ、仕入れの関係で牛肉を使っていたりと、うちも現地とまったく同じものを出せているわけではないんです。それでもなるべく近いものを目指して、むこうと同じ粉を使って、本気で作っています。以前、わざわざ食べに来てくれた富士吉田の方が『これ、ガチで吉田じゃないですか!』って言ってくれた時は嬉しかったなぁ(笑)」
高原さん「私は食べ歩きが趣味なうえ、ずっと出張が多い仕事をしていたので、全国あちこちでいろいろ食べてきたんですよね。特にうどんは大好きで、福岡、讃岐、水沢……いろいろ食べました。ただ、20年前に出会ってからは吉田のうどん一筋(笑)。そのくらい衝撃的だった」
奥様「『会社を辞めてうどん屋をやる』って初めて聞いた時は、そりゃあびっくりしました。だけど、止めても無駄な人なんで(笑)。かつて外資系の会社にいたころは世界中を飛び回っていて、特にローマには長くいたんです。それが今は富士見台で、こうしてふたりでお店をやっている。結婚して以来、こんなに長く一緒にいることなんてなかったですし、結果的に良かったのかなって」
朝からうどんが食べられる店
高原さん「うちの特徴のひとつに、朝ごはんにうどんが食べられる『朝うどん』がありますが、これも大きなきっかけはコロナだったんです。「まん延防止等重点措置」の間、ただでさえ飲食店の絶対数の少ないこの商店街で、飲み屋さんが営業できる夕方~20時という限られた短い時間にお客さんをとりあうのもどうかと思って。ならばうちは18時で閉めるようにして、そのぶん他がやっていない朝の営業に挑戦してみようかと。
それと、以前香川県で行ったさぬきうどんのお店で、朝6時から15時までしか営業しないお店があって、それでも地元の人たちを中心に大人気なんですよね。ああいう世界を作りたいっていう気持ちもあったかな。まぁ、人と違うことをしたいんですよね(笑)」
高原さん「現在の営業時間は、平日は11時~21時。土日祝日は、お休みの日に決まって朝からご家族で来てくれるお客さんもいらっしゃるので、7時~18時(※11月からは9時〜の予定。状況によって変更あり)。まだオープンして間もないですが、そうやって常連さんがついてくれていることは本当に嬉しいですね。このあたりで朝からやっているのはうちだけなので、同じ商店街の人が朝ごはんを食べにきてくれたり。うちはただのうどん屋ではなく、地元のコミュニティのようなお店を目指したいんですよね。
富士見台を選んだ理由ですか? それは完全に偶然で、たまたまちょうどいい空物件があったというだけなんです。今住んでいるのも練馬区ではないですし。だけど、本当にいい街だと感じるし、今は本当に、ここにお店を出せて良かったなと思ってますね」
力丸の2大名物は「肉うどん」と「肉汁うどん」
高原さん「僕が思う吉田のうどんの定義は、大前提として手打ちであること。そして、オーダーが入ってから麺を切ってゆでるというスタイルにあると思います。
それと、むこうのお店って営業時間がものすごく短いんですよね。朝11時から14時の3時間くらいしか開けないお店もあったりして。それって、行列ができるほどたくさんのお客さんに対して、ひっきりなしにうどんを提供していかなくてはいけないという前提があるからなんです。営業中の間、常に麺を伸ばして切ってゆでて、伸ばして切ってゆでてというのをずっとやっている。
なぜそうなるかというと、吉田のうどんは鮮度が命で、一度ゆでた麺ってすぐ柔らかくなって、独特のコシがなくなってしまうんです。だからうちでも、30分以上経過した麺は基本的に出していません。
ただ例外として、時間経てば柔らかい麺になるので、あえてそれを希望される方にだけは出してるんですけどね。本場の味とはちょっと違ってしまうものの、ご高齢の方など、固いのは食べられないんだけどうちの味は好きだと言ってくださる方向けに。それはそれでとてもありがたいことなので」
高原さん「吉田うどんのお店って今、人口5万人の富士吉田の街に、50軒近くもあるんですね。しかも、そのほとんどのお店が同じ粉を使っている。もちろん、うちもまったく同じ粉を使ってます。教わった身なので私の立場から「どの粉」とまでは言えないんですが、2種類の中力粉を混ぜて使っています。
ただぶっちゃけ、これがけっこう高い粉なんですよ。だからうちは、たとえば「かけうどん」の200gなら500円、「肉うどん」なら600円とかそのくらいの値段になってしまうんですが、あっちだと一杯300円とか400円で出してることも珍しくなくて、持ち家でやられているからというのもあるとは思うけど、かなり苦労しながら維持されているんじゃないかなって。
うちでもっともオーソドックスなのは、本場のスタイルを踏襲した「肉うどん」。それと、つけうどんスタイルの「肉汁うどん」が、2大看板メニューですね。
スープのベースはどちらも同じで、にぼしやかつお節をはじめとした節系と、しいたけだとか……まぁいろいろと使っています。肉うどんのつゆには醤油、酒、みりんに、ちょっとみそを加えて。肉汁うどんのほうは、醤油、酒、砂糖、みりんなどで、力強く甘辛いつゆに。正直、だしに関してはきっと、本場のお店よりも凝っているはずだと自負しています(笑)」
奥様「こうやってふわっと話してますけど、科学的根拠に基づいてこの人がたどり着いた黄金比率があるみたいですよ。だって、うちの1階に研究室を作って、仕事を辞めてからず〜っとそこで、粉だらけになりながら毎日作業してるんですもん(笑)」
高原さん「いや〜これがもう……楽しいんですよね(笑)」
高原さん「さっき『吉田一筋!』なんて言っちゃいましたけど、私はやっぱりうどんが好きで、特に吉田と同じくコシの強い「武蔵野うどん」の、肉汁につけて食べるスタイルは大好きなんですよね。なのでうちの肉汁うどんは、あえて東京都青梅市のブランド豚『下田さん家の豚』を使って、武蔵野うどん風でやってるんです」
高原さん「トッピングやサイドメニューも試行錯誤の最中ですね。富士吉田ではよく、うどんのトッピングにごぼうのきんぴらを入れるんです。だけど以前出してみたところ、吉田のうどん自体がそこまで知られていない状況で、頼む人があまりいなかった。そこで、まずはなじみのある食べかたでうどん自体を味わってもらうのがいいのかな思って、天ぷらをトッピングのメインに。「ごぼ天」は、前に博多のうどん屋に行った時に食べた、薄くスライスしたごぼうの天ぷらが印象に残っていて、あれをつくってみようかな、と。そしたら人気になって、うちの定番になっちゃいました」
高原さん「吉田のうどんのもうひとつ大きな特徴は、やっぱり『すりだね』の存在ですね。唐辛子をベースにした調味料で、本場では各お店でそれぞれにこだわって作っていたり、そうでもないお店もあったり(笑)。
うちでは3種類の唐辛子と、ごま、山椒、魚粉、醤油とか、いろいろと使って試作し、うちのうどんに合うようにオリジナルで作っています」
力丸ならではの、超進化吉田うどん
高原さん「富士吉田にもカレーうどんを出しているお店はあるけど、カツカレーうどんはあまり聞いたことがないですね。そもそもこれ、最初はギャグのつもりで出したんです(笑)。ところが、リピーターさんが増えてやめられなくなっちゃって。気に入りすぎて、1週間毎日食べてくれたお客さんまでいたもので」
高原さん「これはもちろん、さぬきうどんのパクリですよ(笑)。吉田のうどんでやったらどうなるかな? って、わざわざ自家製のだし醤油を作って。これも一部の常連さん大絶賛で、しばらくはやめられそうにないです。
他にも常に、名古屋のみそ煮込みうどん風とか、豚の背脂を使った濃厚うどんとか、試作はいろいろしてます。そういうのは常連さんに試食してもらってるんです。そこでOKが出たらメニューに昇格する。夫婦ふたりでやってる小さな店なので、本当はあんまり手を広げてる場合じゃないんですけどね(笑)」
突然ご近所にでき、一気に大ファンなってしまった吉田のうどん店「力丸」。
その魅力をできる限り記しておきたいと思って書いた当記事ですが、まだまだ伝えきれていない気がするし、お店自体、今後も超スピードでさらなる進化をとげていきそうな予感がします。が、引き続き絶品のうどんを堪能しつつ、力丸のこれからを見守れるのは幸せなことだなと。
あ、そうそう、ちなみにご主人に「力丸」という店名の由来を聞いたところ、
高原さん「あ、それはうちのカミさんが決めたんで、よくわからないんです。お~い! 『力丸』ってなんなの?」
奥様「……秘密です(笑)」
とのこと。最高。
縁のない方にはなかなか訪れづらい場所にあるお店ですが、富士吉田まで行くよりは近いという関東在住の方も多いはず。機会があれば、ぜひ!