9.11テロの前に逆戻りした米国 – 小林恭子

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 米同時多発テロ(9.11テロ)の発生から、今年で20年となった。

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9.11同時多発テロとは:2001年9月11日、米国内で4機の旅客機がテロリストに乗っ取られた。このうち2機はニューヨークの世界貿易センタービルに突入し、2つのビルは倒壊した。別の1機はワシントンの国防総省に突っ込み、さらにもう1機はペンシルベニア州で墜落した。犠牲者は、確認されただけで約3000人に上った(NHKアーカイブス)。

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 テロ発生からひと月未満の10月7日、テロを首謀したイスラム過激組織「アルカイダ」とその指導者オサマ・ビンラディンを捕まえるため、ブッシュ米政権が英国とともにアフガニスタンに侵攻した。「テロの戦争」の始まりである。

 アフガニスタン・タリバン政権は瞬く間に崩壊し、米国は次にサダム・フセイン大統領が統治するイラクに狙いを定めた。2003年3月、イラク戦争が開始された。

 2003年から共同通信社のニューヨーク特派員として報道を開始し、06年以降は在米フリーランス・ジャーナリスト&フォトグラファーとなった津山恵子さん。今年9月11日も現地を取材した。米国から見たテロの戦争と米国の状況について、テレビ会議ソフトZoomを使って、津山さんに聞いてみた。

ーいつから9.11テロの現地取材をされているのでしょうか。

 津山さん:2001年はまだアメリカにいなかったのですけども、2003年から、セプテンバー・イレブン(9.11)の当日は取材を続けています。03年、04年、05年、06年と4回、共同通信の記者として9.11の署名入り記事を書いていますね。

 2003年でも、まだ生々しかったです。

 初めて行ったときは、北の方からグラウンド・ゼロ(テロによって破壊されたニューヨークの世界貿易センタービルの跡地)を目指して歩いて行って、がれきの山を1.5メートルか2メートルぐらいのフェンスが囲っていたんですけれども、その手前に「家族を探しています」という写真、ポスターなどが、ラミネートをかけて置かれていました。花とか造花、ぬいぐるみが山のように積まれていた。膝の高さぐらいまで積んであって、それも2年経っていましたので当時の灰ではないと思うのですが、ものすごくすすけていて。それは生々しかったですね。

 フェンスの中のグランド・ゼロも、吹き飛ばされたときの形が残っている感じでした。

 参考:9.11同時多発テロから20年、グラウンド・ゼロ再建を振り返る(ビジネス・インサイダー、2021年9月10日付)

ー2003年というと、イラク戦争が始まりつつある時でしたね。

 イラク戦争は2003年3月に始まりましたが、ニューヨーク赴任は2003年7月1日からです。イラク戦争は嫌だなあと思っていました。

 国連の決議を無視して、しかもAUMF(Authorization for the Use of Military Force=軍事力行使権限承認)といった、要するに、大統領に戦争を始めてもよいという権限を持たせた。議会上院でも満場一致で可決しているんですけれども。

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イラク戦争とは:2003年3月20日、ブッシュ米政権が、イラクが大量破壊兵器を保持しているとして空爆および地上軍によって侵攻し、サダム・フセイン政権を倒壊させた戦争。国連安保理決議に基づかず、「テロとの戦争」の一環として、有志同盟による軍事行動として実行した。

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軍事力行使権限承認AUMF)とは:米国憲法は、議会に宣戦布告の権限があると定めているが、AUMFにより、大統領に権限が委譲された。AUMFは失効期限がなく、20年近くにわたって、民主・共和両党の大統領が軍事行動を正当化する根拠となってきた(ロイター通信、2021年6月18日付他)。

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-外から見ていると、愛国的雰囲気が高まって、反対意見が言いにくい状況に見えました。

 おっしゃる通りです。この時も超党派で、カリフォルニア州の下院議員(民主党)がただ1人反対する形で、イラク戦争に突っ込んでいったんです。

 反対したバーバラ・リーという議員は、「怒りがすべての理性的な考え方を奪ってしまう時にこういうことをするべきではない」、と議会演説をするんですね。

 事務所に戻ったとたんに、ファックスからメールから電話から、殺害予告です。半分ぐらいが脅迫で、半分は賛成する意見だったと彼女が言ってました。

ーイラク戦争について、どんな感じで受け止められていらっしゃいましたか。

 個人的には、両親ともに戦争を経験していますし、(1945年8月9日に原爆投下があった)長崎の支局にいたということもありますし、母方の祖父母が満州で餓死しているわけですね。個人的には戦争はとにかくもう嫌だ、というのがあります。

 面白いなと思ったのは、共同は、今でもそうだといいなと思うんですけれども、割と自由でリベラルな会社で、アフガン戦争、イラク戦争が始まったことについては、疑問を呈するような感じの原稿が出ていたと思います。私が書いたものではなくて、先輩が書いていますけれども。

ニューヨーク市民は戦争反対で一色に

-違法かもしれないと言われながらイラク戦争が開始されたわけですが、ニューヨークにいて、開戦してしまうのもやむを得ないというか、感情面で同感する部分はあったのでしょうか。

 私は、あまりなかったですね。

 2003年の3月にはイラク戦争が始まって、ニューヨークは反対で一色になりました。

 面白いのは、ブッシュがグラウンド・ゼロに初めて立って、市長さんと腕を組んでいた時には口笛とか歓声が周りから上がっていたわけですけれども、戦争をやるとなったら、ニューヨーカーは一転して彼に背を向けたわけですね。

 2004年には大統領選挙があり、共和党がブッシュを大統領候補に決める党大会をニューヨークで開いたのです。その時は、たぶん5-6万人規模のブッシュ反対のデモがありました。私もその様子を取材しました。

ーなぜそうなってしまったと思われますか。アメリカと言えば世界の警察官であり、法を守る国というイメージがありました。しかし、「違法の戦争」とも言われたイラク戦争、イスラム系男性らをテロの容疑者として、キューバにあるグアンタナモ米基地に設置した収容所に無期限に拘束するなど、超法規的行為がありました。

 ネットフリックスで「ターニング・ポイント」という作品がありますが、あれを見ていて分かったのはブッシュは戦争にあまり乗り気じゃなかったんですね。でも、チェイニー副大統領と軍部が彼をぐいぐいと引っ張って、2つの戦争に持って行くわけなんですけれども。

ネットフリックスの「ターニング・ポイント」(公式サイトから画像キャプチャー)

 当時から、アメリカは真っ二つに分かれていて、共和党、共和党支持者、あるいは保守的な考えをしている人は大歓迎して、ブッシュを応援するわけですよね。

 ニューヨークは感覚で言って95%ぐらいがリベラルな市民なので、それには反対していた、そんな環境に私が赴任した、という感じなんですね。

ーというと、トランプ大統領(在職2017-2021年)以降ではなく、トランプ以前からすでに、リベラル系と保守系に分かれていたということですね。

 そうですね、大統領選の投票結果、ポピュラー・ボート(一般投票)を見ると、本当にいつも拮抗しているわけですよね。

 そのうちの1%、2%、3%が共和、民主のどちらの党に流れたかによって大統領が決まっている。

 だから、政治信条的には、インディペンデント(独立系)がすごく少なくて、アメリカは赤(共和党)と青(民主党)、保守とリベラルにはっきり分かれている国です。

 アメリカでは「fear-driven politics(恐怖に突き動かされる政治)」という言葉をすごくよく聞きます。

 それをブッシュとか(チェイニーは)使ったということですよね。ありもしない大量破壊兵器がイラクにある、と。タリバンがアルカイダをかくまっている、という話をして、投票の賛成への意見を集めていく、というわけです。

 これが今年1月に発生した、議事堂襲撃事件につながっていくんですけども。

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議事堂襲撃事件とは:2020年の米大統領選が不正と主張する、トランプ支持者らが連邦議会が開かれていた議事堂を襲撃し、議会機能が一時的に喪失した事件。議事堂ではバイデン大統領の就任を正式に確定しようと連邦議会が議事を進行中だった。

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 これも、完全にフェア・ドリブンですよね、バイデンが大統領になったら、大変なことになるぞ、とか。

 この国は歴史的にそういうことに突き動かされるというのは、いまさらながらに、この2-3日で思い出したんですよ。

ーこれは「誰かに侵略されるかもしれない」という脅威でしょうか。

 そうですね、今「フリーダム」という言葉に凄い手あかが付いてしまっていて、例えばマスクをしない自由、ワクチンを打たない自由。

 これで今、アメリカの中で2つに分かれているので、南北戦争以来のことを、武器を使わないでやっていることが多いですよね、ずっと分断しているという感じなんですよね。

 例えばワクチンを義務化させるというバイデンの方針について、9・11の、世界貿易センターでコメントを取った人が何とワクチン反対派で、アッと気づいて、近づきたくない、みたいな感じだったんですけど、職業を聞いたらラジオ局だというから、ワクチンをしているだろうな、と。

 でも、彼の言い分だと憲法で保障されている個人の自由に反する、違憲である、と。ワクチンの義務化も違憲である、非常に自分はアプセットしている、と。あの悲しみの場所で言うわけですね。ですから、だから本当に分裂しているのを強く感じて、ショックでした。

ー分断はいつから、なぜそうなったと思われますか。世界金融危機という説も一つありますが。分断がなぜ可視化されるようになったのでしょうか。

 トランプがすごく煽ったというのは、間違いない事実だと思います。

 それまでは、どちらかというと、真っ二つにリベラル派と保守派に分かれていたものの、今マスクに反対したり、ワクチンに反対している保守の人たちの声が聞こえにくかったんですね。

 それでポリティカリー・コレクトネスがまかり通っていたんですけれども、トランプが平気で(新型コロナウイルスを)チャイナ・ウイルスと今でも言っていますし、女性を差別する言葉であったり、特定の宗教を差別するような言葉を使ったりしました。

 一国の首脳がそういうことを言ったということで、特に強硬な保守の人たちが留飲を下げて、そうか、じゃあ自分たちも言ってもいいんだということになって、それで初めて、それまではあまり表面化していなかった分断が、手に取るように見えるような形で現れてきたのだと思います。

 それで、例えばシャーロッツビルで南北戦争のリー将軍の銅像を撤去せよというデモをやっていたら、その反対が出てきて、クー・クラックス・クランみたいな人々がたいまつを持って出てきたり、ああいうことも、今まで聞いたことがなかったんですけどね。

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シャーロッツビル事件とは:2017年8月12日、米東部バージニア州シャーロッツビルで起きた、白人至上主義団体クー・クラックス・クラン(KKK)、ネオナチなどの白人至上主義グループと対抗デモを行った反対派による衝突事件。トランプ米大統領は喧嘩両成敗のようなコメントを出した。

参考:朝日新聞、2017年8月13日付 米、白人至上主義グループと反対派が衝突 3人死亡

BBCニュース 2021年7月11日付 衝突と死者の原因になった南部将軍の銅像、4年経て撤去 米シャーロッツヴィル

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