世代の間に落ちた虚しさ?東京オリンピック大会に感じた絶望と希望と

アゴラ 言論プラットフォーム

こんにちは、音喜多駿(参議院議員 / 東京都選出)です。

17日間の祭典、東京オリンピックがとうとう幕を閉じました。多くの感動を与えてくれたアスリートの皆さま、開催に向けて尽力された関係者の方々に、まず心より感謝を致します。

祭りの終わりはいつだって物悲しい。

寂しさとも悔しさともつかない、寂寥感を覚えながら筆を執っています。

大会は盛り上がった。夢と勇気をもらった。

でも、招致の瞬間に期待したような「変化」が社会や国民に起きたかというとそれは微妙で、昭和を乗り越える一大イベントというよりは、昭和の想い出総決算になったのだなというのが率直な印象です。

「次世代が中心となる」大会運営や演出は頓挫し、政治家も含めて、話題の中心にいたのは常に60代~80代(ギリギリ橋本聖子会長などが50代)。

アスリートたちは10代~20代が中心で、もっとも油の乗っている働き盛りであるはずの30代~40代の姿はあらゆる面で大会の中心には少なく、同世代の希少な「レジェンド」と言われるベテラン選手たちに感情移入をする。

そんな東京オリンピックを、ほぼ同世代の乙武洋匡さんは

「日本の(=大会運営の)中枢にいる中高年男性の価値観が、どれだけ国際感覚から乖離しているかが明らかになった」

大会であったと総括し(要旨)、「あいつらの価値観は錆びついている」「俺らでイケてるオリンピックを作ろうぜ」と鼻息を荒くしていた自分たちが、結局は何もできなかった悔しさを綴っていました(途中から有料記事)。

世代交代。

この単純な四文字が、果たしなく遠く難しい。そんなことをオリンピックで改めて痛感している同世代は、案外と多いのかもしれません。

そして閉会式で流れた、3年後のパリ五輪に向けた映像。パリは大会コンセプトに基づき、運営を都市計画から構築して準備に邁進しているとのこと。

なんと羨ましいと思う反面、私たちも5年前のリオ五輪閉会式では、素晴らしい映像演出とともに確かに高揚感の真っ只中にありました。

隣の芝はどこまでも青い。

招致の瞬間やリオ五輪閉会式の日に思い描いていたような社会変化は起きなかったけれど、東京大会はこれで幕を閉じたけれど、日本社会をアップデートするための営みはずっと続いていく。

17日前の開会式に書いたブログ。

>そもそも不器用で非合理的な人間社会に、コロナという災禍が加わって、ぐちゃぐちゃになってしまった状況を、それでもあがきにあがいて繋ぎ直して、前に進んでいく。

>言葉にするのは本当に難しいのだけど、きっと今回の五輪はそのきっかけであり、ノスタルジックな昭和に区切りをつけて新時代が始まるスタート地点なのだと思います。

今大会が昭和世代の総決算として行われたものだとしても、それこそがきっと日本社会と価値観を変えていくために必要な「儀式・区切り」であって、あくまでここはスタート地点。

…負け惜しみのようだけど、良いことを書いていたじゃないか(苦笑)。

問題が噴出し、そして大会の決算に向けてさらに色々なことが起きるのでしょうけど、それこそが進化に必要なプロセスなのだと信じて。

寂しさや悔しさに囚われすぎるのはやめて、アスリートたちにもらった夢の力を胸に、顔を上げて自分のできることに明日からも邁進していきたいと思います。

2020東京オリンピックへ、本当にありがとうございました!!

そして8月後半からは、パラリンピック!まだ、夢の物語は終わらない。

それでは、また明日。


編集部より:この記事は、参議院議員、音喜多駿氏(東京選挙区、日本維新の会)のブログ2021年8月8日の記事より転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は音喜多駿ブログをご覧ください。