「偏見」を如何に克服するか

アゴラ 言論プラットフォーム

オーストリア内務省のカール・ネハンマー内相は21日、憎悪犯罪(Hate Crime)に関する初の報告書を発表した。報告書の対象期間は昨年11月から今年4月までの半年間。憎悪犯罪に関連した総件数は1936件。同内相は、「憎悪犯罪は刑法上の犯罪であり、社会の安定を脅かすもので、民主主義社会では絶対に容認されない」と強調した。

「憎悪犯罪報告書」を公表するネハンマー内相(中央)=オーストリア内務省公式サイトから、2021年7月21日

憎悪犯罪とは、「宗教的、世界観、性差などの理由から暴言や中傷、そして物理的な行為をする場合」と定義し、犯行動機を「偏見(Vorurteil)に基づく」と指摘、憎悪犯罪を「偏見犯罪」(Vorurteilkriminalitaet)と呼んでいる。

パイロット・プロジェクトとして今回初めて作成された「憎悪犯罪レポート」の分析は関係者の詳細な解析、検証が必要だが、憎悪犯罪で起訴された22%はインターネット上での犯行。15%は個人が対象となっている。大部分は公的な場所での犯行だ。なお、報告書のプレゼンテーションには移民家族の出身者の若い警察官が参加し、「警察官だが、移民出身であることから職務中、さまざまな偏見に直面することがある」と証言、「偏見」は至る所に存在していると語った。

報告書の中で「憎悪犯罪の動機は『偏見』に基づく」という指摘は興味深かった。なぜならば、人はいい悪いは別としてさまざまな「偏見」を有しているからだ。米国の黒人への人種差別しかり、欧州社会で良く見られる反ユダヤ主義もそうだ。

ウィーンで数年前、アフリカ出身の国連職員が警察官に「麻薬を所持しているだろう」と糾弾され、警察官から体を叩かれたという事件があった。同国連職員は黒人ゆえに疑われたわけだ。また、初老の夫人が停留場でバスを待っていたキッパを被ったユダヤ人男性に対し、突然頭を叩き、「出ていけ」と叫んだとか、地下鉄でユダヤ教関連の本を読んでいた女子学生に対し、数人の若者たちが「そんなものを読むな」と罵倒したといった出来事も起きている。加害者(犯罪人)と被害者の間には全く関係がなかったにもかかわらず、黒人ゆえに、ユダヤ人ゆえに、といった「偏見」が動機となって殴打や暴言が飛び出し、憎悪犯罪となったわけだ。

冷戦時代、「難民収容国家」と呼ばれたオーストリアでは、電話帳を開けば、載っている名前の半分ぐらいは、東欧のポーランド系、ハンガリー系、バルカン出身のクロアチア系、セルビア系の姓名といわれるほどだ。異なる民族、文化出身の人間は遠くにいるのではなく、すぐ傍にいるのだ。

人は憎悪犯罪を犯す危険性を十分すぎるほど有している存在といえる。幸い、多くはその「偏見」を自制することで、具体的な憎悪犯罪を犯すことはないだけだ。我々は「偏見」の塊ではないだろうか。自分と外観上少しでも違えば、容易に「偏見」を持ってしまう。アルベルト・アインシュタインは「常識は人が18歳までに身に着けた偏見のコレクションだ」と主張しているほどだ。

憎悪犯罪の主要動機の「偏見」についてもう少し考えてみたい。現代人は民族、国、文化、風習の違いなど、相違点に敏感となり、共通点への意識が欠如する。その結果、他者への理解が欠け、さまざまなフォビアが生まれてくる。キリスト教社会に生きる国民にとってイスラム教徒の風習や服装は時に恐怖感を与える。ユダヤ人の場合もそうだ。外観から違いがはっきりしている場合、フォビアは一層、容易に生まれやすい。経済的、社会的困窮な時代には、その相違は拡大され、「彼は私とは違う」という認識となって定着していく。「偏見」が生まれてくるわけだ。

「私(個人)」に留まっている限り、相違点がどうしても生まれてくる。現代人は「私」を主語として考え、会話することが多い。なぜならば、個人の相違が求められる社会だからだ。その結果、当然だが、相違点が共通点より多く浮かび上ってくる。そして「偏見」が出てくるのだ。

それでは共通点は何だろう。「わたしたちは同じ人間であり、幸せを求めている」という点ではないか。その共通点に立脚すれば、個々の相違点はその人の個性として尊重されるはずだ。教育の場でも相違に基づく批判精神の向上だけではなく、共通点に基づく連帯感の育成に力を注ぐべきだろう。

憎悪犯罪を克服していくためには、「偏見」を乗り越えなければならない。その処方箋は人種、性差、宗教の相違の中に隠されている「共通点」を探すことだろう。例えば、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教はその教義の点からみれば多くの相違点が浮かび上がってくるが、3宗派は「信仰の祖」アブラハムから派生したという共通のルーツに戻ることで、相互理解の道が開かれてくるのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2021年7月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。