チャールズ国王の戴冠式が近づいてきたが、ここで改めて日本人を混乱させるのが、イギリスの国王と英国以外の英連邦諸国との関係だ。だが、これを正しく理解しないと世界情勢を正しくとらえることができないと思うのだ。
そこで、『英国王室と日本人:華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館 八幡和郎・篠塚隆)では、この点についても論じているのだが、その一部と、少しおまけのお話を紹介したい。
日本では英連邦というが、英語では1949年以降、コモンウェルス・オブ・ネイションズ、通称でコモンウェルスである。
イギリスの国王は「独立した加盟国の自由連想法」を象徴する儀礼的指導者としてコモンウェルス首長である。加盟国は56か国である。
かつて、サッチャー首相が英連邦内の強権的独裁者と親密で、アフリカ諸国との関係が悪くなったことがある。
そうしたときに、エリザベス女王がアフリカ諸国の肩を持って女王の政治介入だと言われたことがあったが、これは、英連邦の象徴であり儀礼的指導者としては、イギリス政府の意向通りに動くことは論理的でないことに起因するもので、これをもって、たとえば、日本の天皇が政府と違う政見を外国に対して示してもよいことにはならないのだが、誤解している人がいるので、念を押しておきたい。
一方、「英王制連邦」(コモンウェルス・レルム。ウィキペディアでは英連邦王国としている)は、国王を元首としている国の集合体で、2023年の時点で15か国。ただし、チャールズがカナダ王であって、英国王としてカナダ王なのではない。
現在、チャールズ国王を元首としているのは、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカ、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、ベリーズ、アンティグア・バーブーダ、セントクリストファー・ネイビスの15か国。
一方、英連邦の加盟国でも、トンガのように独自の君主を持つ国もある。体重210キログラムもあったツポウ4世は、算盤を学校で教えさせたり、大相撲に力士を送るなど親日家として人気があった。
1845年に即位したツポウ1世は、宣教師たちに助けられて1875年には憲法を制定しイギリスの保護領になった。ツポウ3世(サローテ女王)の下で1962年には外交権も回復し、英連邦内の独立国になった。2006年にツポウ4世が死去し暴動もあったが、とりあえず無事だ。ツポウ4世の長男ツポウ5世は2012年に病死し、末弟のツポウ6世が国王となった。
サモアは、ニュージーランドによる委任統治・信託統治から1962年に独立。トゥプア・タマセセ・メアッオレとマリエトア・タヌマフィリ2世を共同のオ・レ・アオ・オ・レ・マーロー(国家元首)と決めていたが、両者が死んだのちは、国会で互選。サモアの伝統的指導者層である首長(マタイ)が議員のほとんどを占めているので君主制とも理解されている。
トゥアトゥア・トゥプア・タマセセ・エフィが選挙で選ばれた最初の国家元首である。
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