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力比べをする67才
1980年代、僕はプロレスに夢中だった。個性溢れる強い外国人レスラーが沢山いて、その戦いぶりに胸を躍らせていた。スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディ、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ミル・マスカラス、アンドレ・ザ・ジャイアント…、名前を挙げれば切りがない。そんな当時、特に人気が高かったのが、ドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクによる兄弟タッグ「ザ・ファンクス」であった。喧嘩ファイトが売りの弟テリーと、正統派レスリングで世界チャンピオンになった兄ドリー。「テキサスの荒馬」と呼ばれるほど気性が激しかった弟テリーと、一方で冷静に試合を運ぶ兄ドリー、実に魅力的なコンビであった。
弟テリーは1983年8月31日、東京・蔵前国技館(当時)で引退しているが(84年に復帰したけど)、それから25年経ったこの3月、兄ドリーが両国国技館で引退試合を行った。御年、67才である。
まだやってたのかよ!
※2008年3月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。
ドリー・ファンク・ジュニア、栄光の軌跡
という訳で、去る3月1日、両国国技館に行って来た。ドリー・ファンク・ジュニア、67才の引退試合である。
試合の様子をお伝えする前に、まずはドリー・ファンク・ジュニアの栄光の軌跡を振り返ってみよう。
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ドリー・ファンク・ジュニア。1942年、インディアナ州出身。レスラーであった父ドリー・ファンク・シニアの指導を受け、1963年にプロレスデビュー。1969年2月、ジン・キニスキーを破り第46代NWA世界王者となり、通算4年3ヶ月間に渡ってその座を保持。
1977年、日本で開催された「世界オープンタッグ選手権」にて、弟テリーとのタッグで優勝。この時、ブッチャー・シーク組からフォーク攻撃を受けたシーンはあまりにも有名だ。プロレスを知らないウェブマスターの林さんが「ドリーファンクって、ブッチャーにフォーク刺されて有名になった人ですよね」と言っていた。ファンとしてはその括られ方に納得がいかないが、一般的にはそういう事なのだ。
ブッチャーからフォーク攻撃を受けた後、ザ・ファンクスは79年と82年にも世界最強タッグ選手権で優勝を飾っている。
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79年から85年頃にかけて、僕は頻繁に試合会場に足を運んでいた。まさにザ・ファンクスの全盛期を目の当たりにしていた訳だ。それから大人になるにつれ、僕のプロレス熱が冷めてしまったので、その後のザ・ファンクスについて詳しく知らなかったのだが、ドリーはまだプロレスをやっていたのだ。現役レスラーとしてマットに立ちながら、不動産業やレスリングスクールもやっているらしい。タフな67才である。
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