浴衣姿の人は、それだけで温泉を連想させる。
だったら浴衣姿で歩けば、どこでも温泉街にみえるのではないか?
たとえば渋谷でも。
浴衣姿で渋谷を歩いてみる
ということでさっそく浴衣姿で渋谷を歩いてみると、「湯」がつくラーメン店の前にさしかかった。
やはり、ここに浴衣姿の男が立つだけでラーメン店があたかも温泉施設にみえるではないか。
行列に並んでみると、他のお客たちが、しょうがの湯に浸かって身体の芯まで温まりに来た人々にみえる。やはり浴衣はその場を温泉に見せる効果がありそうだ。
さらに歩くと味わい深い工作所の前に来た。
まるで、つげ義春の貧困旅行記に出てくるひなびた温泉街のようだ。
タオルで額をぬぐってみればより一層効果的。通りかかった人が「ここ温泉なんですか?」と話しかけてきてもおかしくない。
よし、この調子で渋谷を温泉街にしてみよう。
浴衣姿なら遊技場にもみえる
少し歩くとコインパーキングがあった。ここに浴衣姿で立ってみると、温泉街にありがちな遊興施設にみえてくる。
浴衣姿であるだけで、コインの文字がコインゲームを連想させ、旅館のおかみさんに教えてもらったゲームセンターにやってきた人のようだ。
自販機だって駄菓子屋の前によくあったレトロゲームにみえてくる。
「ほら、このおつりを出すレバーがコインをはじくヤツで、この取りだし口から景品が出てくるっていう」と撮影者の編集部安藤さんに向って説明する。
安藤さんが「…ああ…」と言ってくれたので、誰もがレトロゲームにみえていると判断する。
さらに近くにあった食器屋さんのワゴンセールも、浴衣姿であればお土産屋さんに見えてくる。
また骨董商の中島誠之助のようにもみえてくるのである。
神社へ
浴衣姿なら神社も温泉街にみえるだろうか?
参道を進んでみる。
石畳の効果で違和感がない。旅行会社による温泉一人旅の広告のようである。これに触発された人は一人旅に出てくれてもいい。
さて、神社の中に土俵があった。
そばへ来たが、温泉というよりは引退した力士が土俵をみつめて物思いにふけっているようにみえる。
土俵の中には入れなかったので、外で取り組みの真似をしてみると相撲経験もないくせに、わんぱく相撲の子供たちに思わずコーチをはじめてしまう近所の迷惑オヤジのようになるのであった。
つづいて舗装されていない道を歩いてみよう。
ただ歩いているだけなのだが、温泉が湧き出しているところを、自らスコップで穴を掘って入るタイプの秘湯から出てきた人のようにみえる。
浴衣ではなく、ふんどしならもっとそれらしく見えるだろう。いつか赤ふん一丁で雑木林を歩くと勝俣州和のようにみえるかを記事にしてみたい。いや、したくない。