すかいらーくの柿ピーよ永遠なれ

デイリーポータルZ

寝る前にちょっと考えたのは、あの柿ピーのことだった。

すかいらーくグループの柿ピーの提供が終了する。 

これです。

すかいらーくグループの一部店舗(ガスト・バーミヤン・ジョナサン・夢庵)では、アルコール飲料を注文すると問答無用で柿ピーが付いてくる。
初めて対面した時は「フーン…」くらいにしか思っていなかった。柿ピーってそこまで好きじゃないし。ピーナッツを含む豆類に関してはむしろ苦手ですらある。

しかし、丁度いいのだ。この量。そして提供されるタイミング。酒を飲みたいけど、空きっ腹に注ぎ込むのはちょっとな〜と腕を組んだ時に差し出される絶妙さ。後々運ばれてくる食品には影響しない程度のささやかさ。パッケージに印刷されたすかいらーくの鳥と「柿ピー」の文字も、土産物のような哀愁があって良い。これを考えついた人は気遣いの達人だと思う。すかいらーくの柿ピーを考えた人が開講する気遣い教室があったら出席したい。

そもそも「柿ピーを食べる」という行為が可能な量はちょうどこのくらいだ。これ以上多くなると「柿ピーに食べられる」状態になる。(人によります)

スーパーなどで売っているやつと並べてみた

左が市販のオーソドックスな柿ピー。でかい。多い。重い。ありとあらゆるお菓子の内容量が減少する中で、なかなかの気前の良さである(これでも以前より減っているらしい)。

一方、すかいらーくの柿ピー。小さい。かわいい。赤子のよう。

普通の柿ピーの内容量が190gなのに対して、こちらは5g。しかし、「柿ピーを食べる」にはこれで十分。

左が市販の柿ピー、右がすかいらーくの柿ピー。内容物は同じっぽい。

「少量のお菓子」にしか醸し出せない魅力もある。

幼稚園生の頃、節分になると折り紙で作った袋に先生が豆を入れてくれるというイベントがあった。当時から豆に対して全く魅力は感じていなかったが、小袋に入った数粒の豆はなんだかとても特別な物に感じられたのを覚えている。

小袋からちまちま食べるのもまた美味しさを助長させているだろう。
すかいらーくの柿ピーはアルコールを注文した数だけ提供されるため、何個もある場合は面倒くさがって全部を一気に小皿に出してしまうことがある。そうすると、やっぱりなんだかいつもより味が落ちる気がするのだ。そんなはずはないのに。

食品は、そのもの自体の味がどうとか、そういったこととは関係ない部分で強く輝く時がある。節分の豆も、すかいらーくの柿ピーも、演出の妙だ。シチュエーションで加算された旨みに自分の体重の全てがかけられる贅沢を味わっている。

今回は一旦終止符を打たれたが、また提供が再開されることを切に願う。
いつか来るその日までは柿ピーのフレイバーを反すうしながらバーミヤンに通うことにしよう。

Source