【山田祥平のRe:config.sys】Kindleが迎えた10年目の節目

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 AmazonのKindle。このシステムが読書体験に与えた影響は計り知れない。それでもまだまだ「当たり前」にはなっていない。何しろまだ日本市場では10年目を迎えたばかりなのだ。電子書籍の浸透に大きな影響を与えたKindle。そのこれからに大きく期待したい。

積ん読をやめられたのはKindleのおかげ

 齢を重ねると人生の節目を感じるイベントが少なくなって、あれはいつのことだったのかを思い出しにくくなる。中学になった春、高校2年の秋、大学受験に失敗して浪人していた時……と、結びつけて思い出しやすいのだが、そういう勘定ができなくなる。

 具体的には中学1年~高校3年までの6年間、1年ごとに何があった年かを、かなりしっかりと覚えているのだが、社会人になってからはそういうことがなく、これがあったのは何年と特定しにくい。AmazonKindleのデビューもそうだ。日本では2012年10月に発売を開始している。つまるところは10周年を迎えたことになる。まさか震災より後だとは思いもしなかった。

 ここ30年くらいの個人的な道しるべとしては、

  • 1985 電気通信事業法による通信の自由化、日本電信電話公社民営化(NTT)
  • 1989 平成元年
  • 2001 アメリカ同時多発テロ
  • 2011 東日本大震災
  • 2020 コロナ禍勃発

を基準としている。ほぼほぼ10年おきで、だいたいの節目として自分的に機能させている。そして、Kindleのデビューは震災後のことだった。

 2010年頃、自炊のブームがあって、iPadを使った読書ビューアについていろいろチャレンジしていた時期があった。もっと前には蔵書の電子化なども考えていた。

 そのうち、日本でも電子書籍が浸透の兆しを見せるようになり、自炊はほぼほぼしなくなってしまった。2011年の秋にスティーブ・ジョブズの伝記が単行本として電子書籍で発売され、個人的にはソニーのReader Storeと紀伊國屋書店のKinoppyの2店舗で同じ本を買ったりしていたのが、過去メールを検索すると分かる。

 だが、Kindle版は手元にない。正確には、Amazonで買った紙の本があったがすでに処分してしまった。自分でReader StoreやKinoppyを使わなくなって久しく、今、スティーブ・ジョブズの伝記から何か引用したりするのは難しい。

 当時、すでにKindleは存在していた。米国でのデビューは2007年だったからだ。Kindle 1(2007)だったか、Kindle 2(2009)だったかを、懇意にしていた故・元麻布春男氏が入手していたのを見せてもらい、E Ink表示の美しさに脱帽した覚えがある。

 結局、いろいろと浮気しながら、最終的に電子書籍の入手についてはAmazonのKindleストアのみに決めて今日に至っている。根拠のない自信だったが、ここなら購入後のコンテンツが失われることはないと判断したのだ。サービスが始まったころは、紙の本のように、コンテンツの貸し借りなどもできるようになることを夢みていたが、今なお、それはかなわない。

 また、電子書籍で文字サイズ等に応じて字組がダイナミックに変わるリフローに対応していないコンテンツを「なんちゃって電子書籍」とぼく自身は呼んでいて、その絶滅を叫んできた。

 10年間という時の流れを経た今も、切望している両ポイントはまだかなっていない。自分で上梓する入門書でさえ「なんちゃって」だ。

 紙の本の場合は、いつ絶版になって入手できなくなるかわからないので、読む読まないは別にして、これはと思ったものはとりあえず購入して「積ん読」していたが、紙の本を買うのをやめ、電子書籍のみにしてからはそれをしなくなった。だからコンテンツの購入の機会は激減した。偶然出会うコンテンツも少なくなったし、衝動買いもなくなった。皮肉なものだ。

画面大きければいいってもんじゃないが

 Kindleはエコシステムであり、コンテンツは、Amazonが提供する専用ハードウェアで読めるし、PCやスマホ、タブレットといった汎用ハードウェアのアプリでも読める。ぼく自身、もう、小説やノンフィクションなどの文字主体のコンテンツについて、紙の文庫本は文字が小さくて読む気になれないし、単行本も大量に読むのはつらい。

 コミックについては、少年コミックのオリジナルサイズは大丈夫だし、青年コミックも週刊誌サイズはいいのだが、それがコミックとしてまとめられるとサイズが小さくなってつらくなる。だから、コミックを読むときは、24型以上の画面がほしいと。だから、PC以外でコミックを読むことはない。

 そのことを若い人に話した時、そんなに大きな画面だと視線の移動が大きくてかえって疲れませんかと言われた。確かにそうかもしれない。イマーシブというのは小さな面積にのめり込むのと、大きな面積に包まれるのと二通りあるのかもしれない。

 手元ではこういうことを確かめるためにバラバラのサイズのモニターディスプレイを使っている。24型、27型、42型で比べると、24型のバランスはちょうどいいようにも感じる。少年ジャンプ見開きのほぼ実物大表示ができる。だが、50型の家庭用TVのような大画面で楽しむコミックの迫力も捨てがたいのだ。

 ちなみに、Windows PCでKindleアプリを楽しむなら、Android版のKindleがいちばんいい。AndroidアプリがWindowsで動くようになってよかったと思える数少ない例の1つだ。Windowsでkindleコンテンツを楽しむためには、Windowsデスクトップアプリ、ストアアプリを使う方法もあるが、Androidアプリがもっとも使いやすく安定していると思う。余裕のある広いWindowsデスクトップで、フルスクリーンはもちろん、好きなサイズのウィンドウ表示でAndroid版のKindleアプリを楽しめる。

超高齢社会に向けて求められる書籍ビューアー

 専用ハードウェアとしてのKindleでの読書体験は、PCなどの汎用端末用アプリで楽しむそれとは別物だ。特に、文字主体の単行本を読むならこれがいい。端末の価格もリーズナブルだ。サイズもいろいろある。ただ、コミックを見開きで読むにはまだ画面が小さい。最大画面のKindle oasisだって7型スクリーンだ。

 少年ジャンプもビックコミックもB5判だから、本当はこれを見開きで楽しめるB4判のE Ink端末がほしい。でもこの大きさでは持ち運びは不便だろう。でも、そのうちきっと二つ折りE Ink端末が出てきて、開くとB4というのが当たり前になる……と、希望的観測を書いておこう。超高齢社会にはそんな端末が必要だ。

 これからの高齢者は幸せだ。きっと、読書をあきらめなければならない日がずっと先送りになるだろう。Kindleだけの手柄ではないにせよ、個人的にはこのインフラに本当に感謝している。

 とはいえ、既存のコンテンツにあわせて端末が変わるのか、端末にあわせてコンテンツが変わるのかは難しいところだ。縦スクロールのコミックなど、見開き文化を思いっきり否定したコンテンツもありだ。その一方で、縦書きコンテンツもまだまだ主流だ。マンガのネームだって縦書きだ。そのあたりの文化の変遷は何十年もかけてゆっくりと変化すればいい。

 AmazonはAmazonで、今回の10周年にあわせたわけではないにせよ、新製品としてKindle scribeを用意し、11月末の発売が予定されている。

 まだ、実機にさわったわけではないので、なんとも言えないが、Kindle史上初の手書き入力機能を搭載し、読書しながら書籍にメモを書き込めるという。しかも、画面サイズは10.2型でOASISよりもずっと大きい。サイズ感としては横にしたときに文庫本の見開きサイズ相当といったところか。縦位置ではB6版(128×182mm)や四六判(127×188mm)よりひとまわり大きく、余裕でその単ページ以上の情報量を表示できる。これがあれば、読書がいっそうはかどりそうで、リリースを楽しみにしているところだ。

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