最近、よく昔のことを思い出す。もしかすると寿命が近いのではないかと心配になる。
だが、調べてみたところ昔のことを思い出すのは寿命とは無関係であり、脳にとっても悪いことではないらしい。
そうだとわかればこの機会に、いろいろ思い出してみるのもいいのではないか?
夕暮れの河原でコンビニ弁当を食べる
食べものを食べると記憶がよみがえることは誰にでも経験がある。
今回は、より深いところの記憶を思い出せるように、食に加えて、場所と時間も再現させることにする。
思い出すためのシチュエーション
・河原
・夕方
・温めてないコンビニ弁当
昔と同じシチュエーションを再現するために、コンビニ弁当を買って夕方の河原にやってきた。
その頃、週末に夕方までコンビニでバイトしていた友人が、退勤後にコンビニ弁当をもらって、仲間数人に分けてくれていたのだ。
そして、みんなで河原にいって食べていたのである。
さて、ここで昔と同じく温めていないコンビニ弁当を食べながら、昔を思い出してみよう。
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まず思い出したのは高校の合格発表の光景
中学三年の私は、今よりずっとバカだった。そのため、進学先の選択は、将来のことなど一切考えず、ただただ女子の比率の多い商業高校に行きたいと願っていた。
しかし、バカゆえ学力が足らず商業高校を受験をさせてもらうことができなかった。
そこで「俺は将来、商売人になりたいんだ!」とウソをつき、涙ながらにうったえたものの、親と担任に羽交い絞めにされるように、地元でもっとも偏差値の低い男子ばっかりの工業高校に願書を提出するハメになってしまった。
それでも担任からは三者面談の席で「工業でも落ちる可能性が高い」と太鼓判を押されたのだから、進学塾まで通わせてもらった親に申し訳がない。
そして迎えた合格発表の当日。
中三の一学期、社会科のテストで二点をとった友人が校門の前にいた。
一問四点の問題に対して、「埴輪」と書くべきところを「はにわ」と平仮名で書いたため半分の二点を獲得。その他は全問不正解。結果、二点という驚愕の点数を叩き出したのだ。
このテストを返されたときに彼は、0点をまぬがれたことを嬉しく思い「はにわ様様だ!」と、まるで古墳時代に埴輪の発明により人柱にならずに済んだ者のような喜びかたをしていた。
その友人が校門をくぐろうとする私に「俺、合格だったよ」と嬉しそうに話しかけてきたので、貼りだしの紙を確認するまでもなく、私も合格であると察することになったのである。
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今まですっかり忘れていた、そんな話を思い出した。
いやあ我ながら「少年老い易く学成り難し」を地で言っているよなあ。
よし!思惑通り昔と同じシチュエーションに身を置いたら記憶がどんどんよみがえってきたぞ!
工業高校の学園祭
次に思い出したのは学園祭のことである。
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入学早々、担任の教師から「ここは家に帰れる刑務所だ」と宣言された私は、同じ中学出身者同士で普通科に進学した者が「英語はリーダーはいいけど、グラマーが苦手だ」と言ったことにショックを受けた。
その意味を一文字も理解できなかったからである。
こちらは、授業は作業着を着てネジを作ったりが中心で、英語といえば「ThisIsTheEarth!」などと意味もわからずクラス全員が大声で大合唱するという寺子屋のような授業を受けていたためである。
そんな刑務所じみた我が校にも、学園祭はあった。
しかし、ドラマでよくみる泊まり込みで準備をしたり、模擬店などといってチョコバナナやなんかを他校の生徒と交流しながらワイワイやっているようなものではなかった。
1990年代初頭のバンドブーム全盛のころにおいて、学園祭にやってきたのは「寺内タケシとブルージーンズ」という、60年代の日劇ウエスタンカーニバルかよ、と言いたくなる人選。(今となってはかえってよかったのだが)
そのうえ我がクラスの出し物は、模擬店どころか、竹細工展という、竹製のおもちゃを机のうえに並べただけの、高校生らしさのかけらもない爺さんのようなものであったことも思い出した。
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こういう経験があって、充実してる普通科のやつに対して敵対心を持ってたもんなあ。宮沢りえ主演の「いつも誰かに恋してるッ」という学園ドラマをかかさずみながら怒ったりして。
いやあ、これは想像以上に昔の記憶がよみがえってきたぞ。よみがえるというより記憶があふれてくるという感じだ。
大仁田厚との思い出
弁当を食べながらさらに思い出したのは、大仁田厚との思い出である。
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当時は大仁田厚率いるプロレス団体FMWの全盛期。
何を血迷ったか大仁田厚に心酔しきっていた私は、地元にFMWがくるたびに観戦しにいっており、彼が口に含んで霧吹きのように吐き出す水しぶきを顔面に吹きかけられ恍惚の表情になっていたものである。
今となってはどうかしていたとしか思えない。
その日も大仁田厚は負けた。負けて泣いた。
マイクをもって観客に「おまえらぁぁぁぁ!」と怒鳴りながら泣いた。しかし彼がなぜ泣いているのか、なにがお前らぁぁぁなのかはそこにいる全員がわかっていない。
そして激しいデスマッチを終え、満身創痍で花道をひきあげている大仁田がその場で力尽きて倒れた。
観客一同が「大丈夫か!」と心配していると、サッと一人の若者があらわれ、倒れた大仁田の下に入って抱き起こし、支えながら歩き出した。
よくみるとその観客は一緒に観に行った友人であった。
そして、そのままその友人は、ヨロヨロと歩く大仁田と肩を組みながら控室へ向かう扉の向こうへと消えていった。
あとでその友人から、扉が閉まった瞬間に大仁田は「もう、いいから」と言いながら腕を振りほどき、スタスタと歩いて控室へと消えていったという話をきいたことも思い出した。
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軽い気持ちで、昔と同じ場所、同じ食べ物、同じ時間に身を置いたら昔の記憶がよみがえるのかの実験をしたら、忘れていたエピソードがとめどなくあふれてくる結果となった。
それと同時に読者のみなさまに対してただ恥をさらしてしまう結果ともなったのである。
そして、なんだか急に親孝行をしようと思った。
涙のカリスマ
ついでにその後、知り合いのツテで大仁田と写真を撮らせてもらったことも思い出した。
これがそのときの写真である。大仁田お得意の「ファイヤー!」ポーズも全員が別のカメラを見ているため、視線がバラバラなのはご愛嬌である。
しかし、今から考えると「ファイヤー!」って口に出していうのバカみたいだよなあ。