「ロンドンブリッジ・イズ・ダウン」:チャールズ3世が新国王に即位

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エリザベス女王は8日、滞在中のスコットランド・バルモラル城で死去した。96歳だった。女王は「眠るように」に亡くなったという。今年6月、女王即位70年の記念行事が華やかに行われたばかりだ。女王の死去後、王位継承第1位のチャールズ皇太子(73)が新国王チャールズ3世として即位した。

エリザベス女王(バッキンガム宮殿公式サイトから)

エリザベス女王の死去を聞いて献花する英国民(バッキンガム宮殿公式サイトから)

女王に即位後、70年間公務を大切にしながら歩んできたエリザベス2世の死に対し、英国民ばかりか、世界から弔意と共に、尊敬の意が表明されている。メディア報道によると、バイデン米大統領、グテーレス国連事務総長、ショルツ独首相、カナダのトルドー首相などのほか、ロシアのプーチン大統領からも弔意が表明されるなど、世界各地からエリザベス女王の死を惜しむ声が聞かれる。

エリザベス女王は6日、トラス新首相を任命しているが、それが最後の公務となった。女王は既に体調が良くなかった。側近が、「新首相の任命はチャールズ皇太子に代行をお願いすれば」と助言した時、エリザベス女王は、「首相の任命は国家元首しかできない」と主張し、公務を優先したという。首相任命式を撮影した写真を見ると、女王の右手が紫色だったことから、女王の健康を懸念する声が聞かれた。その2日後、女王は亡くなったわけだ。トラス新首相はエリザベス女王の任期70年間で15人目の首相だった。

トラス新首相は8日午後、「ロンドンブリッジ・イズ・ダウン」(ロンドン橋が倒れた)というコートフレーズを入手すると、首相官邸(ダウニング街10番地)前で、「エリザベス女王が只今亡くなった。女王の70年間で英国は発展し、繁栄してきた。エリザベス女王はその礎だった」と、女王の功績を称えている(「ロンドンブリッジ」はエリザベス女王を意味するコードフレーズ)。

英国は欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)後、首相交代、新政府の発足、そしてエリザベス女王の死去、新国王の即位と短期間で大きな変化に直面している。エネルギー危機など国内では多くの難問に対峙している。その嵐が荒れ狂う時、チャールズ新国王の時代が始まったわけだ。

エリザベス女王が1952年2月、父ジョージ6世が急死したため、国王に即位したとき、女王はまだ25歳だった。女王となったエリザベス2世には戸惑いがあったはずだが、新鮮さとダイナミックな印象を国内外に与えた。エリザベス女王の即位70年間で最大の危機は、1997年、ダイアナ元皇太子妃の交通事故死の時だったろう。その時、エリザベス女王への批判の声すら聞かれたが、その後、「開かれた王室」を目指し、「英国の母」として不動の人気を獲得していった。

一方、母親エリザベス女王の死を受け今回即位したチャールズ国王は既に73歳だ。“永遠の皇太子”と揶揄された新国王には新鮮さやダイナミックな印象はない。国民的人気のあったダイアナ妃との離婚は大きなダメージとなったことは間違ない。

チャールズ3世は皇太子時代から英王室問題から政治的テーマに至るまでエリザベス女王と同様、過激な言動を控え、中立的なポジションをキープしてきた。新国王は母エリザベス女王が残した王室への国民の信頼感を継承しながら、新しい王室の在り方を模索していくことになる。国民の中には「新国王は国民との間で新しいコミュニケーションを開くかもしれない」と期待する声が聞かれる。

英国の国王は、英国、カナダやオーストラリアを含む英連邦(コモンウェルス)に加盟する15カ国の国家元首を務める。スコットランドの独立問題のほか、オーストラリアでは共和制運動、カナダでも一部で立憲君主制から共和国への移行を主張する動きが出てきている。新国王を取り巻く環境は容易ではないことは事実だ。

なお、エリザベス女王の棺はロンドンのウェストミンスター宮殿に運ばれ、そこで3日間安置される。その間、英国民は女王に最後の別れをすることが出来る。死後10日目の9月19日、ウェストミンスター寺院で昨年4月亡くなったフィリップ殿下の時と同じように国葬が挙行される。

なお、チャールズ新国王の即位を受け、国歌の中の歌詞「God save the Queen」は再び「God save the King」に戻る。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2022年9月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。