【山田祥平のRe:config.sys】メディアの仮想化

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 コンテンツの購入は、そのコンテンツの内容を楽しむ権利の購入だ。コンテンツが自分のものになるわけではない。そのことを承知のうえで、コンテンツはメディアというカタチあるものに収録されて消費者の手元に届く。だが、そのメディアもカタチのない仮想的なものも新しい当たり前として浸透している。

CDを買ってコンテンツを楽しむ権利をゲット

 久しぶりにCDを購入した。最後にCDを買ったのは2018年の7月にPerfumeの「Future Pop」を購入したときなので実に4年ぶりだ。今月2022年6月は、日本の大御所アーティスト3人が新作を出すという特異なタイミングだ。

 最初に届いたCDは山下達郎の「SOFTLY」だ。発売は6月22日で、メガジャケット仕様の初回限定版で、特典として過去ライブを収録したプレミアムCD「The Latest Acoustic Live ~ Recorded Live, 2021/12/03 at Tokyo FM Hall, Tokyo~」がついてきた。山下達郎は最近のインタビュー「時代の試練に耐える音楽を――「落ちこぼれ」から歩んできた山下達郎の半世紀」(Yahoo! ニュースオリジナル)で「サブスクでの配信は『恐らく死ぬまでやらない』」と発言したことが話題になっている。つまり、このCDのコンテンツについては物理CDを購入するしか楽しむ方法はないわけだ。だから買うしかなかった。

 一方、6月15日発売の小田和正「early summer 2022」は、特に初回限定のコンテンツ等は付帯しない。また、サブスクでの配信も始まっているので、このCDは購入する必要はないと判断した。オリジナルポストカードなどには興味がない。8年ぶりのオリジナルアルバムだが、内容的には、過去のテレビ番組やCM等とのタイアップシングルを集めたものとなっている。ファンにとっては初のCD化となる『クリスマスの約束』のテーマ曲「この日のこと」がうれしいかもしれない。

 そして今は、来週6月29日に発売される吉田拓郎の「ah-面白かった」の発売を待っているところだ。こちらはメイキング映像とインタビューを収録したDVDが同梱されている。サブスクで楽しめるのはCD収録の楽曲だけだろうから、DVDコンテンツはパッケージでしか手に入らない。だからパッケージを予約した。

 今度こそ、CD購入は最後になるだろう。どうせなら、シャレでアナログディスクを買ってもよかったし、そうしたい気持ちもあったのだが、CDにしか付帯しないコンテンツにつられてしまった。

再生デバイスとコンテンツ

 1946年生まれの吉田拓郎、1947年生まれの小田和正、1953年生まれの山下達郎だが、次に、オリジナルコンテンツとしてアルバム等を出せるのはいつになるだろうか。今回が最後になったらなど不謹慎なこと考えたりすると、自分が若い頃から今に至る音楽の楽しみ方に、少なからず影響を与えてきたアーティストたちとして、今、彼らの最新作を聴かないわけにはいかない。

 その聴き方として、サブスクを選ぶのか、ファイルダウンロードをとるのか、それとも物理メディアとしてのCDやLPを選ぶのかという選択肢が目の前にある。

 願わくば、そのどれを選んでも、少なくとも音楽コンテンツについては、同じものが楽しめるようになっていてほしいが、それはかなわない。アーティストと握手ができるとか、モノとしてのノベルティがついてくるとかの物欲刺激はともかく、純粋に、コンテンツをメディアに載せたものについてはそうあってもいいんじゃないか。

 これからは、CDが手元にあっても、それを再生する機器がないという状況もやってくるだろう。DVDやBD(Blu-ray Disc)も同様だ。今はまだビデオレコーダーが光ディスク再生プレーヤーの役割を果たしてくれそうだが、映像コンテンツもサブスクがほとんどの時代になり、放送コンテンツについてもインターネット経由、しかもオンデマンドで楽しめるようになれば、録画という行為の概念も変わるだろう。それにともなってコンテンツを楽しむためのデバイスの装備も変わる。CDやDVD、BDを誰でも気軽に再生できる体制がいつまでも万民の手元にあるとは限らない。

 音楽コンテンツをカセットテープでしか出さない、LPレコードでしか出さないというようなことをすれば、そのマーケットは著しく狭くなる。「サブスクを恐らく死ぬまでやらない」という山下達郎も、過去の楽曲の一部はダウンロード販売やサブスク用に配信していたりもする。権利関係等でいろいろあったのだと思われるが、その中で葛藤などがあったのだろう。

 同様のことは、音楽のみならず、小説などの書籍についてもいえる。音楽に限ったことではない。今なお、電子書籍を否定する作家がそれなりの数いて、古くからの愛読者の読書欲を阻んでいる。シニア層に至った愛読者の多くにとって、一般的な単行本や文庫本の文字サイズは、もう読むのがつらいのだ。紙への印刷ということにこだわる以上、その層は救えない。そこは分かってほしい。

本当はおかしい「権利を譲渡できるメディア」

 コンテンツをメディアにのせて大量配布というのは、本来はカタチのないコンテンツに無理矢理姿カタチを与え、それを流通させることで、コンテンツを楽しむ権利を売ることだ。そして、配布されるコンテンツは、あくまでも複製であり、その複製も、劣化を前提としたコピーである可能性がある。

 劣化させる意図はなかったとしても、再生デバイスによって受け手の体験は異なる。映画館のような大きなスクリーンで楽しむ映画と、スマホで楽しむ映画は、たとえ内容が同じであっても体験は異なるだろう。

 おもしろいのは、再生デバイスをエンドユーザーが自由に選択可能という点だ。さらに、リアルなコンテンツメディアには中古の市場があったりして、話は余計にややこしい。今は、メルカリやヤフオクなどのフリマもある。権利を譲渡できるのに、権利者の利益にはならない世界が当たり前として受け入れられている。

 でも、サブスクの場合はそれがない。そういう意味では、購入した権利の体験を、形態ごとに異なるものにするのは、権利をカネに変えるビジネスの方法としてはまっとうなものかもしれない。

 ただ、この時代に、どこまでこうしたビジネスが受け入れられ続けるのかは分からない。アーティストの楽曲を好きなときに好きなデバイスで好きなように楽しむだけでも、その将来の楽しみ方の光景はまだベールに覆われている。次に起こるのはメディアの仮想化だ。これからは1.5倍速で音楽を楽しむ世代も出てきそうだし……。

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