向かうところ敵なしの岸田首相
総理総裁に就任してからの岸田文雄首相は衆院選、ついで参院選で勝利し、権力基盤を固めることに注力してきた。その取り組みの成果を見る限り、それは功を奏している。
岸田氏は今国会での政局の出現を阻止するめに物議を醸す法案の提出は避け、野党につけ入る隙を与えなかった。実際の政権運営でも、コロナに敏感な世論に配慮した厳格な水際対策、ロシアへの制裁措置や対ウクライナ支援など世論に受ける措置を講じ、支持率はうなぎ上りである。
それだけではなく、穏健的で、リベラルと目されている宏池会出身の成せるわざなのか、岸田氏には「人柄が良い」、「無害」というイメージが一般的な有権者に定着しつつあり、それによって野党第一党の立憲民主党の支持者を自身への支持に誘導している。2021年の衆院選の出口調査によれば立民へ投票した有権者の多くは高齢者であり、世代別に見た岸田内閣を支持するグループでも高齢層が目立つ。
立民だけではなく、野党の中で岸田氏に最も脅威を与える可能性があった日本の維新の会もいまいちパッとしない。日本維新の会は岸田内閣の改革への消極性を批判して対立軸を作り、且つ自民の支持基盤である保守層に秋波を送って参院選で勢力拡大を狙う戦略を取ってきた。しかし、皮肉にも最も支持を得たかった層からの攻撃に維新は直面している。
著名な保守論客や右派系雑誌では岸田氏と並んで維新とつながりが深い前大阪知事の橋下徹氏はロシア・ウクライナ戦争での自身の発言を中心に非難の的になっている。そして、維新の創設者として橋下氏が否応にも「維新の顔」として見られることから、彼への攻撃は維新への批判へと転換し、結果的に保守層からの維新の支持を削ぐ影響があると筆者は分析する。
また、ロシアに融和的な言動を繰り返す鈴木宗男参議院の存在もロシアへの制裁を望む保守層だけではなく、中間層からの維新の離反を促しているとも見える。実際、昨年の衆院選か政党支持率の伸び悩みが見れるのも、上記で述べたような保守層の「敵失」が要因として考えられる。
参院選を前に立民、維新などの有力野党が弱体化しているだけではなく、大多数の国民から支持を得ている現状に岸田氏は笑いが止まらないであろう。
ニクソン・ショックの外交的側面
岸田氏が参院選に圧勝して、これから選挙が無い「黄金の3年間に」突入することがもはや既成事実と化しているが、これから岸田氏は何がしたいのだろうか。筆者はまたもや「ショック」を岸田氏が引き起こすと思っている。
岸田氏が首相に就任してすぐに金融所得課税に言及し、株価は連日のように下がり、アメリカのニクソン大統領金本位制からの脱退を宣言し国際経済を揺るがせたニクソン・ショックとなぞらえ、その現象は「岸田ショック」と命名されていた。もちろん、権力基盤を盤石なものにした暁に、増税や規制強化などの大きな政府志向の兆候を見せる岸田氏は経済的に「ショック」を再び与える懸念もある。
しかし、ニクソン・ショックは経済的にだけではなく、外交的な側面も帯びており、その側面のショックも岸田氏は体現する機会の窓が生まれると筆者は考える。ニクソン・ショックの外交的側面は中国との国交正常化である。このニクソン大統領の決断はソ連との対立が表面化していた中国との関係が結ぶことで、アメリカがベトナム戦争から撤退させ、ソ連から軍備管理での譲歩を引き出すことを意図した戦略であった。
この歴史的な決断がショックと呼ばれるに至ったのは、ニクソン大統領が何の前触れもなくいきなりその決断を発表したそのサプライズ性に帰するだけではなく、それを反共の闘志として名が知れていたニクソン本人が主導したことにも起因する。
ニクソンは若かりし頃の政治家人生は共産主義叩きに熱心であった。自身の対抗馬として選挙に出る候補は共産主義者の烙印を押し、国務省のアルジャー・ヒスがソ連のスパイだと追求することで、最終的にニクソンは反共に傾く共和党の強硬派にアピールしたかったアイゼンハワー大統領の副大統領として指名される存在になった。
このニクソンの経歴を考慮すれば、彼が中国共産党との国交を結ぶ政治家として最もありえない人物だったということが分かる。
もうひとつの「岸田ショック」とは
ニクソンが中国との国境正常化を成し遂げるというエピソードが示唆するように、国家の政策面におけるコペルニクス的転換はそれを実現不可能、あるいは実現する意図が無いと思われていた人物が成し遂げてきたという世の常がある。
上記でも言及したように岸田氏もニクソンのようなレガシーを残す余地がある。ロシアのウクライナ侵攻、中国の台湾への軍事的圧力を受けて日本国民の間では懸念が広がり、防衛力強化を望む声が大きくなっている。国民の過半数以上は防衛費増加を支持し、長らく国是となっていた防衛比GDP2%の壁を取っ払うことを望んでいる。
しかし、いざ日本の防衛を強化する具体的な措置を発表し、実現に動けば、2015年の安保法制への反対運動と類似した強烈な反対運動に政権は直面するであろう。
だが、岸田氏であればそのような反対勢力も抑え込めるであろう。衆参で手にした安定多数、そして自身が持つ「人柄が良く」「無害」なイメージを駆使し、右派的な首相が主導するよりも弱い抵抗で、日本の防衛力を強化していくであろう。また、岸田氏は防衛費を大幅に上げることを実際に言明している。
日本が直面する安全保障環境は予断を許さず、現状維持的な防衛政策も許容できない。今日本国民の生命、財産を守るためには戦後一貫して日本の防衛体制を縛ってきた「一国平和主義的な」束縛から解き放たれ、急進的な政策転換が求められる。だが、そのような大変革は国家の分断を招く恐れがあり、難しい綱渡りが求められる。
それゆえ、そのような大規模な変革を成し遂げて、且つ国家の統合を保つことができるのはそのような変革を最も望んできた層ではない。最も期待されてなかった岸田首相だからこそ、成し遂げる余地があるのである。
これが筆者が考えるもうひとつの「岸田ショック」の中身である。