青いトマトではなくジャガイモの実。
ジャガイモの栽培は理科の授業にも導入されているので、どのように育てるかはご存知だろう。種ではなく種芋を土に植えると、そこから芽が出て葉が育ち、地下でイモが増えていく。
種芋から育てるのが当たり前のジャガイモだが、珍しく実ができたので、種を取り出して育ててみた。
種芋ではなく種からでも、ジャガイモを育てることはできるのだ。一応だけど。
ジャガイモの花はナスに似ている
皆様ご存知の話だが、多くの芋がそうであるように、ジャガイモは芋から芽が出ることで、次世代が成長する。
ところでジャガイモの芋はサツマイモのように太った根ではなく、地下茎とか塊茎と呼ばれる茎らしいよ。
我が家の菜園では、春先になると買ってきた種芋を植えて、初夏に掘って収穫している。
ジャガイモはイモなのにナス科ナス属で、不思議なことにナスやトマトの仲間。たまにナスと似た花が咲いて、ときには実がなることもあるが、その実を食べる訳でもないので(毒性のあるアルカロイドが含まれている場合がある)、これまで特に気にしていなかった。
だがジャガイモに実がなるということは、種が採れるということにようやく気が付いた。種芋ではなく種からジャガイモを収穫することができるかもしれない。
別に品種改良をしたい訳ではないので、種から育てることに合理的な考えに基づくメリットは一切なさそうだが、そこにはきっとロマンがあるはず。よし、やってみよう。
ジャガイモの実を収穫する
花が咲いてもだいたいは枯れて終わるのだが、品種によっては放っておいても実がなりやすいものがあるようで、我が家では「とうや」という品種に、プチトマトのような実がたくさんできた。
普通は実が熟する前に芋が収穫時期を迎えるため、遅くとも六月中旬には引っこ抜いてしまうのだが、一部を残して種が育つのを待ってみよう。
これがトマトなら赤くなって熟したことを教えてくれるが、ジャガイモの実はいつまでも緑色のまま。
熟して種ができた状態なのかは謎だが、枯れてしまったので仕方なく収穫をする。
ジャガイモの種を植える
こうして持ち帰った大きめのサクランボサイズのジャガイモの実。しっかりと完熟していれば毒がなくなっていて食べられるらしいが、緑色のジャガイモというのは本能的に恐ろしいもの。
「家庭菜園で育てたジャガイモの実を食べた無謀な自称フリーライターの男性が病院に緊急搬送されました」というニュースになったら恥ずかしいので、今回は種を取るだけに留めておいた。そんなに美味しそうでもないし。
包丁で割ってみると、実の部分が薄いトマトのようで、種も一応できている。
まだ未熟な種っぽいけど、取り出して育ててみよう。
ジャガイモの種というのはいつ土に植えるのが正解なのだろうか。やっぱり春だろうなとは思いつつ、ものは試しだと七月末に一部を植木鉢に植えてみた。
春までにカビさせてしまう可能性が高いし、干している茶こしを使いたいし、種をどこかに紛失する恐れもある。そして実際に私は残った種を紛失した。
ジャガイモの芽らしきものが出た
ジャガイモの種を植えた植木鉢を室内の窓辺において、たまに水をやっていたのだが、一向に芽の出てくる気配がない。
種がまだ未熟だったか、土の中で種が腐ったか、季節に問題があったのか。
まあ失敗することもあるさと放置していたところ、十一月にふと見たら、なんらかの芽がたくさん出ていたのだ。私が知っている「ジャガイモの芽が出た」とは違う景色である。
だがぬか喜びかもしれない。どっかから飛んできたか、もともと土に混ざっていた別の植物が芽を出した可能性も捨てきれない。なぜなら私は種から育てたジャガイモの芽の姿を知らないから。
ここからどのように育つかと見守っていたのだが、残念なことに次々と枯れてしまい、年明けには残ったのは一本だけ。今のところジャガイモっぽさはあまりない。
当初は軽い気持ちで始めた栽培だが、こういう展開になると無事に育ってもらいたくなるのが芋親心である。がんばれ、〇〇〇(好きな名前で呼ぼう)!
やっぱりジャガイモだった
どうにか残った一本は冬を乗り越えてくれ、無事に春を迎えることができた。ベランダに出すと陽の光を浴びてすくすくと成長し、葉っぱの形がジャガイモらしくなってきた。
ハコベなどの野草とは明らかに違う、どっしりとした野菜らしさを感じるフォルムだ。
そして五月になると、土の中からパチンコ玉サイズのかわいこちゃんがこんにちは。
すごい、種から育てたジャガイモに芋ができたぞ!やったー!
強烈な達成感に対する実利の無さに私の小さな心が震えまくる。無駄だからこそのピュアな喜び。こういうことだけをやって生きていきたい。
これが果たしてどれくらいまで大きくなるかと観察していたのだが、植木鉢で育てているということもあるのか、葉っぱも芋もあまり大きくならないまま、秋の訪れとともに枯れてしまった。
大往生という言葉が似合う枯れっぷり。涙ではなく拍手で見送ってあげよう。
地中には大きなジャガイモが埋まっているだろうか
ジャガイモ栽培において地上から見えている部分は、あくまで付属品のようなもの。まだ見えない地下での成長にこそ真価が問われる。
できればゴルフボールくらい、いやせめてクヌギのドングリくらいの芋が育っているかなと抜いてみたが、見えていたパチンコ玉サイズの二玉以外には同レベルの一玉だけだった。
だが黄色く輝いたかっこいい芋だ。プライスレスという便利な言葉が似合う美しさである。よくがんばったな。
こうしてジャガイモを種から育てるプロジェクトは完了し、昔飼っていたセキセイインコの卵を思い出させるかわいいジャガイモが手に入った。当初の想定通り、実ったのはロマンだった。
このロマンの実を食べてみようかなとも思ったが、毒があったら困るなとまた弱気になり、植木鉢へと埋め戻した。種芋として植えるというよりは、飼っていたカブトムシをお墓に埋めたような気分である。
基本的には食べられる植物しか育てないのだが、今回のチャレンジは観察するためだけの栽培も悪くないという気づきがあった。盆栽でも始めようかな。
今年の春を迎えても、植木鉢から芽が出ることはなかった。やっぱり小さすぎたかな。私が水やりをさぼったからかもしれないが。
なんてまとめようと思っていたのだがが、今みたら小さな芽が出ていて驚いた。今度はどれくらいまで育つだろう。