東京・高円寺で4月7日より営業を開始した「原稿執筆カフェ」。「原稿が終わらないと退店できない」という斬新なコンセプトによってSNS上で話題になり、国内外のメディアにも注目されている。
このコンセプトに、恐ろしさと同時に、そこはかとない魅力を感じてしまう人は、フリーライターである私に限らず多いはずだ。今回は、実際に締め切り前の原稿を持って原稿執筆カフェに伺い、お店のリアルな雰囲気を体験してきた。
入店したら「作業目標」や「進捗チェック」の希望をシートに記入
JR中央線・高円寺駅北口から徒歩5分ほど、環状七号線に面した交差点の角に、「原稿執筆カフェ」はある。小さな三角形のフロアに、座席は10席のみ。客席からかすかに発せられる「カタカタカタカタ……」というキーボードの打鍵音がBGMのようで、なぜか心地よく感じられる。
コロナ対策で窓やドアを開けていることもあって、目の前の環状七号線を走る車の音も聞こえてくる。しかし、不思議と集中できる空間だ。
前日に予約しておき、入店すると、窓際のカウンター席を案内された。席に座ると、まず「作業目標」などを書くシートを受け取る。これに名前と予定している作業、スタッフからの「進捗チェック」の希望(詳しくは後述)などを書くのだ。
このシートは、目標を達成して退店するときにはお店に渡すシステムで、壁には、これまでの来店者のシートが掲示されている。「原稿○○文字」「企画書○本」などのほかに、「色紙の着彩」という、絵を「描く」目標も見られた。
今回は、せっかくなので本当に締め切りが差し迫った執筆作業を体験をしようと思い、ちょうど翌日締め切りのイベントレポートを書き上げることにした。目標は「2時間でイベントレポート完成」。と、書いてはみたものの、果たして本当に2時間で終わるのだろうか……。
店内にはほどよい緊張感が漂い、誰もが目の前の原稿に集中している。飲み放題のドリップコーヒーが備えられているほか、持ち込みも自由なので、私は目の前にあるコンビニでコーヒーを買ってきた。ブラックコーヒーのボトルをお守りのように手元に置いて、さっそく原稿を書き始める。
ところで、原稿執筆は、「PCさえあればいつでもどこでもできる」と思ってしまいがちだ。私はこれまでライター歴5年ほどのなかで、家やカフェ、コワーキングスペースなど、さまざまな場所で原稿を書いてきた。しかし、カフェでは他の人の会話で気が散ってしまったり、家では家事や片付けなどが気になったりして、なかなか執筆に集中することは難しい。
しかし、原稿執筆カフェにはそういった気が散ってしまう要素がない。それに、ほかのお客さんも全員原稿に集中しているので、周囲から漂ってくる緊張感も、集中力を高めるのに役立つ。無意識のうちに“ゾーン”へと導いてくれる環境だと言える。
「進捗チェック」の声かけとお菓子が心に沁みる
原稿を書き始めてから約1時間、オーナーである株式会社ヒマナイヌの川井拓也さんが、客席を回って進捗チェックを始めた。進捗チェックは、原稿執筆カフェの大きな特徴の1つ。私は「ノーマル」を選択したので、1時間に1回くらいの頻度で進捗チェックがある。ちなみに「マイルド」は退店時の声かけのみ、「ハード」は30分に1回の進捗チェックだそうだ。
川井さんは、アルフォートやチーズおかきなどのお菓子が並べられたお皿を持って「進み具合はどうですか」「お~結構進みましたね」「じゃあ甘いものでも食べて、引き続き頑張ってください」などと声かけをしてくれる。これが結構ありがたいのだ。
進捗チェックは1時間の経過を教えてくれるペースメーカーでもあるし、お菓子の存在は砂漠のオアシスのような癒しだ。ああ、アルフォートってこんなに美味しかったっけ……。
鬼のように厳しい進捗チェックをイメージされる人もいるかもしれないが、実際にはとても紳士的な雰囲気だ。短く、ポジティブな言葉をもらうと、人間とは単純なものでやる気が出てくる。原稿が煮詰まってしんどいときなんて、なおさらだ。川井さんがいつもにこやかで、まるでコーチングのコーチのように関わってくれるのも心地よいと感じた。
目標の2時間を経過、決意を込めて延長戦へ!
あっという間に、目標だった2時間が過ぎてしまった。原稿はかなりいいペースで進んでいたが、完成には至っていない。まだ営業終了時間までには余裕がある。2つ目のお菓子をもらい、持ち込んだブラックコーヒーを飲んで「絶対に終わらせる!」と決意も新たに、延長をお願いした。ここまでくるとランナーズハイ的な状態になり、謎の自信が湧いてくる。
店内には、引き続き緊張感が保たれていた。「緊張感」というと怖いと感じてしまう人もいるかもしれないが、言い替えれば「安心感」でもある。ここにいる全員が、「原稿の完成」というシンプルな目標を共有している。その共通点があるだけで、ゆるやかな仲間意識や連帯感が生まれているように思われた。
ついに原稿完成! 祝福と大きな達成感
わき目もふらず、席も立たずにキーボードを叩き続け、ついに、4時間かけて原稿が完成! お客さんもまばらになった店内で、つい「終わりましたあああ~!」と声を上げてしまった。
原稿執筆カフェでは、目標を達成すると鐘を鳴らして「こちらのお客様、イベントレポート原稿完了しました!」などと褒め称えてくれる。他のお客さんから自然と拍手が湧く。フルマラソンを走り終えたランナーになったような気持ちである。
ちなみに、川井さんは声かけはするが、当然ながら作業内容を見ることはない。原稿の完成も自己申告だ。
目標時間の2倍もかかってしまったが、そもそも今回私が書いていた原稿はかなり長丁場のイベントをレポートにまとめるというもの。それを2時間で仕上げようという見積もりが甘かったことを、原稿執筆カフェは教えてくれた。高い集中力をもってしても4時間がかかるのだと。ここで実際にかかった作業時間は、今後の作業見積もりの参考にもなるだろう。
「高い緊張感を保つこと」が原稿執筆カフェにおける一番のサービス
原稿執筆カフェの営業は、ヒマナイヌの主業務である映像作品の撮影スタジオ「ヒマナイヌスタジオ」の、空き時間を有効利用する一環として始まったそうだ。思わぬ反響を受け、現在は空き時間の全てを原稿執筆カフェとしての営業に充てているという。
ちなみに、私が体験している間に、英国の新聞「The Times」と、同じく英国の通信社であるロイターの取材が入っていた。
このように話題になっても、利用料金は1時間300円とリーズナブルで、満員でもほとんど利益は出ないようだ。どんな思いで運営をしているのか、川井さんに話を聞いた。
「コンセプトが面白いのでキワモノっぽい見られ方もしますが、純粋に原稿をがんばるお客さんを応援したいという気持ちで運営しています。この場所は、スタジオとして以外での営業においても『何らかの作品が生まれる場所』にしたいなと考えていて、だからこそ、お客さんにはしっかり脱稿したり、目標達成したりして退店してほしいと思っています。」
私自身の体感はもちろん、Twitter上の反響を見ても「集中して原稿が書けた」という声が多い。緊張感があり、集中力が続く空間が成立するのはなぜなのだろうか。
「お客さん自身が『ここで原稿を終わらせるんだ!』という強い気持ちを持って来店することで、非日常的な緊張感を作っている。うちの唯一のサービスは『高い緊張感を保つこと』なんです。お客さん同士がいい意味で感化され合うことは、営業を始めてみてからの大きな発見でしたね。」
運営をしていくなかで分かっていくことや気づくことは多いという川井さん。それをスピーディーに反映して、1カ月少々の間にも、運営方法が次々とアップデートされている。
「僕は常に、店舗オペレーションのことを考えているんです。『ドリップコーヒーを置く』ということ1つとっても、お客さんの立場だったらどうか、店長がいかに楽に運営できるかといった視点で考えて、決めています。」
今後は、お客さんの中から日替わり店長を募集し、お客さんだった人が、運営側にまわるといった仕組みも考えているそう。
「たとえばお客さんとして気づいたことを、店長の立場で改善できるという運営もいいなと考えています。店長になったお客さんが、その日に友人・知人を呼んでもらうことで、この場のPRにもなる。お客さん側と店側を行き来するような空間や関係性が作れたら、面白い場になるんじゃないかなと思っていますね。」
原稿執筆に必要なのは、PC1台だけではない。緊張感と計画性に適切な作業時間の見積もり、そして、進捗をチェックして優しく励ましてくれる川井さんのような人の存在……。全てを自分でそろえるのは難しいけれど、今日のイメージをもとにしたら、家での作業ももう少し集中して取り組めるのではないか。そんなことを考えながら、高円寺を後にした。
なお、原稿執筆カフェはスタジオの空き時間を使っているため、営業日は不定だ。これから行こうとする人は、ウェブサイトで営業日を確認し、予約もしておくことをおすすめする。
5月12日には大手町に「原稿執筆スタジオ」がオープンするという。こちらはチーム向けで、最大5人までのグループで利用できるとのこと。