地球儀ベースでの世の流れに取り残される憲法、なぜ見直さない?

アゴラ 言論プラットフォーム

お前は改憲論者かと言われれば論者とかそういう問題ではなく、頑なに変えないとする立場の方々は変わることへの抵抗を持たれているのではないか、と思っています。つまり、変えないとする理由が私には理解できない、それだけです。

gor Vershinsky/iStock

今年の憲法記念日を迎えるにあたり、世論調査で話題になったのがあの革新系の毎日新聞の調査でさえ賛成44%、反対31%となったことです。読売の調査では賛成は60%、反対38%と出ています。毎日新聞の調査で特徴的だったのは男性は改憲派が多いのに対して女性は改憲反対派が上回っている点でしょうか?

個人的に思うのは憲法改正のイメージが第9条に大きく影響を受けているのではないか、という点です。では質問です。戦争の定義は何でしょうか?「政治目的のために政治,経済,思想,軍事的な力を利用して行われる政治集団間の闘争」(コトバンク)とあります。一方、Wikiには「兵力による国家間の闘争である」とあります。両者は大きく範疇が異なります。例えば経済戦争やサイバー戦争はどうとらえるのかと言えばwikiは「戦争という比喩」だと説明されています。そうでしょうか?

戦争とは一集団が他集団に対してある目的のために持てる能力を駆使し、相手に物理的、精神的、肉体的負担を強い、あるは対峙すること

ではないかと思うのです。これは私が考えた定義です。とすれば多くの方がイメージする戦争とは当然、変わってきているわけでそれを見ないふりするのは問題からの逃避にすら感じるのです。

ただ、私は第9条の改正よりもっと検討しなくてはいけない条文も多いと思うのです。例えば21条の「通信の秘密はこれを犯してはならない」ですが、サイバーアタックにどう対処するのか、要は国家防衛、国民のプライバシーが維持できないかもしれないのです。

婚姻はどうでしょうか?第24条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立…」とあります。両性の裁判所判断は異性ということになっています。(21年3月札幌地方裁) しかし、ご承知の通り、憲法解釈はあらゆる条文に関して憲法学者の様々な議論があり、全く進展していないというのが現状であいまいそのものなのであります。

24条第2項からは法律婚は結婚のみにより規定されていると解釈できますが、欧米でごく普通のパートナーは法律上の権利をどう担保するのでしょうか?もっと言うならばフランスの3種類の生活の仕方、法律婚(32%)、PACS(連帯市民協約、28%)、ユニオンリーブル(事実婚、40%)となっており、この事実婚による子供が多いことで知られています。フランスの1.87という出生率は手厚い国の支援というより生活の多様化から生じる子だくさん、ということが理由のようです。

もちろん、日本がここまで開かれた国家になれとは言いませんが、生活、家族観は驚くほど多様化しており、一義的な婚姻で縛る時代ではありません。また法律婚すれば財産問題など複雑で面倒な事態が多く、そんな約束できない、というのが現代的生き方でしょう。女性が未婚でいる理由の大きな理由の一つが財産で、女性は蓄財したものを結婚相手に取られると思っています。だからこそ、事実婚はよくできた仕組みなのです。ならばこの辺りは憲法にも反映する必要がありませんか?

私は以前にも申し上げたと思いますが、96条の憲法改正に伴うハードルをもっと下げてほしいと思うのです。国会議員の2/3の決議を経て国民の過半数ということになっています。容易なる改憲はいけませんが、議員の過半でもよいのではないかと思っています。むしろ、私が思うのは国民投票を憲法改正にとどまらず、もう少しいろいろな形で取り込み、国民の政治や社会への参加意識を高めることが最重要だと思っています。

時代は想像以上に速いスピードで変化しています。それに対応したくても憲法の意識、つまり、国民がそれに縛られてしまっては地球儀ベースでの世の流れに取り残される、それが私の思うところです。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2022年5月3日の記事より転載させていただきました。