広島風お好み焼きは大阪・関西風の亜流ではなかった…発祥の地に関する意外な真相


「gettyimages」より

 B級グルメの代表格・お好み焼きといえば、大きく「関西風」と「広島風」の2種類に分かれる料理。関西風は主に大阪から全国に知れ渡ったスタイルで、生地と具材を混ぜ、鉄板で平らに焼き上げる「混ぜ焼き」という作り方が主流。それに対し、広島風は鉄板の上に生地を薄く伸ばし、その上に具材を乗せ、麺や卵をトッピングし焼き上げる「重ね焼き」が主流だ。

 どちらも異なる魅力があるが、世間的な認知度からすると、お好み焼きといえば大阪というイメージが強いのは否めない。そのため広島県民の間では広島風お好み焼きが亜流とされることに反発する声もあり、どちらが本流なのか議論が繰り広げられることもある。『熱狂のお好み焼 ~お好み焼ラバーのための新教科書~』(ザメディアジョン)の著者で、お好み焼き史について研究するシャオヘイ氏はいう。

「お好み焼の起源については、すでにファクトが積み重なっておりまして、決着がついている問題です。お好み焼きの誕生や全国に伝播していった経緯についても『諸説ある』というレベルの話ではなく、結論はもう出ているので、本流か亜流か争うだけ無意味な行為なんです。結論から申し上げると発祥は大阪でも広島でもなく、お好み焼きは東京の浅草付近で生まれた料理です。

 お好み焼は、もともと東京の屋台が作っていた、水で溶いた小麦粉の生地を鉄板にたらし、文字の形に焼き上げた『文字焼(もじやき)』という料理がルーツとなっています。その後、文字以外のさまざまな形を模倣して焼く『形態模写』を行う屋台が増えていき、子ども相手に商売をしていました。しかし次第に、人形焼きや鯛焼きのような鋳型に生地を流し込んで形態模写をするお店が出てきて、文字焼屋は混乱。屋台の職人たちが一つひとつ丁寧に作り上げた食べ物がウケなくなってしまいました。

 そこで職人たちは、苦肉の策として当時庶民の憧れであった洋食や中華料理の形態模写、いわゆる『見立て料理』の提供を開始。この見立て料理が後に『お好み焼』と呼ばれていくようになります。そして、駄菓子屋の隅でもお好み焼きは作られるようになり、業態も屋台から店舗主体へと移り変わりました。子どもからしてみれば、手が届かない海外の料理をお小遣いの範囲内で楽しめるということで評判だったようです」

 明治に生まれ、昭和中期にかけて活躍した小説家・高見順が、1940年に発表した『如何なる星の下に』にもお好み焼きが登場。現在も営業している浅草の「染太郎」というお店がモデルになっている。

「多くの見立て料理が生まれたのですが、そのひとつに『肉天』という料理がありまして、これが今のお好み焼きの原型になったといわれています。肉天は、薄く広げた生地の上に牛すじ肉とネギをのせ、さらにその上から生地を乗せ、ソースで味付けした料理。ソースといっても、ウスターソースは高価だったので、醤油に酢を入れて、胡椒や唐辛子を入れただけのものが大半でした。肉天は西日本にも伝播していき、大阪では『洋食焼』、広島市では『一銭洋食』という名で親しまれるようになります。

 ここで注目してほしいのが、肉天の作り方が今の広島風お好み焼きのように『重ね焼き』に近いスタイルになっていることです。重ね焼きは、焼き上げるためにある程度のテクニックが必要なスタイルとなっておりまして、今の広島県内のお好み焼き店でも調理は客ではなく、店員が焼き上げることが大半。したがって、大阪の混ぜ焼きのような作り方は、後年になって登場したスタイルなんです」

 では大阪での歴史も聞いておこう。

「先ほど、お好み焼きは、子どもが食べる料理と申し上げましたが、東京においてお好み焼き店は繁華街のなかにある高級店という位置づけに分化しました。当時、東京の繁華街では旦那衆が芸者などと遊ぶことが日常的で、料理屋でもおままごとみたいなことをしてデートすることが珍しくなく、お好み焼店もそのひとつとして利用されていたんです。そのため、東京のお好み焼きでは、テクニックが必要な重ね焼きではなく、気軽に作ることができる混ぜ焼きにして客に提供した。それが当時、東京に次ぐ大都市、大阪に伝わったという歴史があるのです」(同)

地域によってお好み焼きの作り方はまったく異なる

 大阪と広島はどちらもお好み焼きの発祥地ではなく、ルーツは同じだったものの、その後の発展でまったく異なる調理法になっていったことがわかった。

「伝播した後のそれぞれの動きも対照的ですよね。大阪のお好み焼きは、テクニックのいらない混ぜ焼きだったので店舗展開しやすかった点、また資本家から資金を捻出できた点により全国へと出店し、認知度を高めることができました。一方、広島のお好み焼というと、70年代にメディアによって『発見』されるのですが、その時点で大阪に知名度は負けていましたし、重ね焼きという特徴から職人をそこまで増やせないという問題点もあり、現在のような亜流という見方に落ち着いているのだと思われます」(同)

 関西風、広島風という名称も70年代以降から両者を区別するために用いられてきたそうだ。特に広島のお好み焼きは「広島焼き」と呼ばれ方もされており、混同されがちなんだとか。

「お好み焼き自体、具材が比較的自由な料理であり、駄菓子の延長線上のような食べ物です。またフランス料理、中華料理のように格式あるものではないので、名前の付け方も適当になりがちなのでしょう。広島県内にお好み焼き屋はおおよそ1200店舗ぐらいあるのですが、『広島焼き』と謳っているお店はせいぜい数軒程度。個人的には、広島焼きという名称は、不正確な日本語だと思いますし、定義も曖昧だと思っております。地元グルメというものは『地名+料理名』といったネーミングになるのが普通なので、せめて『広島お好み焼き』と呼んでもらいたいものですね」(同)

 また一口に広島のお好み焼きといっても、その作り方は広島県内の地域によっても大きく変わってくるそうだ。

「みなさんが思い浮かべる広島のお好み焼きは、生地を薄く伸ばし、その上に具材を乗せ、麺や卵をトッピングする広島市のスタイルでしょうが、実は大まかに分けると8系統あるんです。その8系統すべての説明は割愛しますが、たとえば呉市のスタイルでは鉄板にキャベツ、もやし、中華麺を入れ、炒めた後ソースをかけて混ぜ合わせるんです。それじゃ焼きそばじゃないか、と思われるかもしれませんが、最後に生地で焼きそばをくるんで卵を落として完成するので、お好み焼きっぽくなります。一見さんからすると、一般的なお好み焼きのイメージとは程遠いですよね。

 このようにお好み焼きは、地域によってあっと驚くような変化が見られる創作性の高い料理となっています。またソースひとつとっても、地域によって実情が異なるところも面白いポイント。大阪ではマヨネーズと合うようにソースに酸味があるのに対し、広島のほうは重ね焼きに合うよう甘めの味付けになっています。また現在は以前よりも麺をパリッと焼き上げるスタイルがここ10年ぐらいのトレンドになっているなど、現在進行形で細かい部分も変化しているんです」(同)

 昨今はお好み焼きを食べる人が若者を中心に減っている印象があるという。

「お好み焼はラーメンと同じくらい自由な料理だと思うので、店や地域ごとの違いに気づいて食べれば新しい発見があるかもしれません。ぜひ今の若者たちにも多様性のあるお好み焼きの魅力を知ってもらいたいですね」(同)

(取材・文=文月/A4studio、協力=シャオヘイ)

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