どのような商品を売るにしても、売り手は、自分が売ろうとするものについて、顧客の評価以前に、自己評価として、自信をもって優れているといえるのでなければ、商業は道徳的になりたたない。まずは、この道徳的基礎があり、そのうえに顧客の評価と自己評価が一致するという事実があってはじめて、商業が経済的に成立するのである。
音響機器、車、オートバイ、カメラなど、ある種の趣味的なものに特別な思い入れをもつ人は少なくないが、そういう人は、メーカーにもこだわりがあるはずで、そのメーカーこそが理想的な就職先として想念されるのではないか。自分の愛するものを作り、信念をもって顧客に売ることで生計がたつなら、それに勝る喜びはない。
実際、そのような商品の場合、顧客も全く同じ価値観で購入しているわけだから、そこには、買う人と売る人の間に、共通価値があるわけだ。こうした関係性のうえに事業が構築されていることは、長期的に持続可能な安定利益を生むものとして、商業の王道を実現するものにほかならない。
いうまでもなく、道徳的だから持続可能な利益を生むのではなく、顧客との共通価値を実現するから持続可能な利益を生むのである。顧客との共通価値を実現している限り道徳に反しない、道徳に反しないから持続可能なのである。つまり、商業は道徳ではないが、道徳に反した商業はあり得ないのである。
悪徳商法を悪徳と思わない人にとっては、悪徳も持続可能だろうが、いつかどこかで顧客の側の心が病むとき、持続可能性がなくなるのであろう。ましてや、普通の人なら、よくない商品であることを内部者だからこそ熟知しているときに、よいと偽って顧客に売ることは精神的に持続可能ではない。
そもそも、ごく簡単に考えて、楽しいから続き、どこにも社会的損失がないから続くのであって、楽しくなければ続かないし、社会的損失が発生すれば、楽しくても、そこで終るわけである。いいものを作るから楽しく、いいものが顧客に喜ばれるから楽しく、顧客が喜んでいる限り社会的損失はあり得ないから、そのような構造をもつ事業は持続可能な利益をあげるのである。
森本 紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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