「もう、それにしか見えなくなった」という呪いがある。
一人で寝るときに限って顔に見える天井の板の木目とか、「ぷ。」がボーリング玉を投げている人に見えるとか。
古今東西様々な「もう、それにしか見えなくなった」があるのだけれども、筆者も先日「もう、それにしか見えなくなった」の呪いにかかった。あれは鮭とばを食べていたときのことだ。
鮭とばの皮が「束熨斗文様」に見える呪いにかかる
我が家において鮭とばは、盆と年末年始の始まりを知らせる福音である。
まず、長い休みの少し前に500g入りを一袋、ネットで注文しておく。それからもりもり仕事をやっつけて、はー倒しきったと力尽きる頃にちょうど鮭とばが届くというわけだ。
そしてそれから、家に引きこもって鮭とばをちびちび食べながら惰性の限りを尽くし、長い休みを過ごす。最高。最高の夏休みを今年も過ごしていた。
身はもちろんうまいが皮もうまい。
さっとグリルで炙って食べると香ばしくて噛みごたえがあって、良いおつまみになる。
まとめて後で炙ろうと、皮を貯めていた矢先のことだった。
豪華絢爛の言葉が似合うこの着物は、昨年東京国立博物館で開催された特別展「きもの KIMONO」にも出展され、江戸時代の友禅染を代表する一領として注目を集めた。
様々な柄の帯が束ねられ躍動感たっぷりに描かれたあの模様、正式には「束熨斗模様(たばねのしもんよう)」という。
お中元の包み紙や、ご祝儀袋にこんなイラストが印刷されているのを見たことがあるだろう。
この真ん中の長細いのが「熨斗」
この熨斗、元はと言えば干した鮑を帯状にした捧げものだったのだそうだ。いつしかそれは紙の帯に代わり、お中元やご祝儀に添えられる飾り模様として定着した。
束熨斗文様はこの熨斗を束ねた図案であり、たくさんの熨斗が多くの人からの祝福の気持ちを表すとして、大変縁起がよく、お祝いのシーンには欠かせない文様なのだそうだ。
熨斗鮑は海産物、それは鮭とばもだ。熨斗はおめでたい、鮭とばも超めでたい。熨斗は細長い、鮭とばも細長い。熨斗の躍動感は鮭とばの皮の反りと似ているー……。
カシャン、カシャンとひとつずつ鍵がかかる音がする。こうなるともうダメだ、鮭とばの皮が束熨斗文様にしか見えない。
しかしだ、こんな呪い、誰にも共感してもらえないぞ。
このままムズムズと呪いを抱えて生きていくのかと思ったら、めまいがした。誰にも気づかれない地縛霊になった気分だ。こうなったら一刻も早く、鮭とばの皮で束熨斗文様を作ってしまおう。
そして私が皆を呪うのだ。
なにはともあれ鮭の皮は美しい
鮭とばの皮で束熨斗文様を再現するに当たり、だらだらくつろぐシーンを祝う「束熨斗文様Tシャツ」を仕立てることにした。
皮の色模様は、鮭のどの部位から切り出されたかによるのだそうだ。
鮭がよく取れる北海道やカナダの先住民族の間では、大きな鮭の皮をなめして衣服や靴にする文化があったという。博物館でガラスケース越しに鮭の皮の服を見たときはなぜそんな生臭そうなことを、と思ったが、まじまじと鮭とばの皮を見つめていたらわかるような気がしてきた。
単純に入手可能な生地としてだけでなく、身につけたいと思わせるような魅力が、鮭の皮にはあったのだろうな。
束熨斗文様をTシャツに印刷する
いよいよTシャツに文様を印刷する。
調べたところ、文化祭のクラスTシャツを作るようなプリントサービスでは、背中一面の印刷というのは受け付けていないようだった。
ウィー…ガ…シャ…ウィーとゆっくり唸りながら紙を吐き出すプリンター。プリンターをハラハラしながら見守る筆者、そしてその筆者を見守るのが実家のアイドル猫のきなこ。
さあここまで来たらもうできたも同然だ。
んーーー!!いいぞ!!すごくいい!!
鮭とばの皮の躍動感が、XLサイズの背中に映える。
背中が丸まると文様が歪んでしまうので、背筋を伸ばして大きく見せたくなる。するとつられて堂々とした気分になる。なんかすごくいいものを着ているような気がしてくるのだ。
かくして私は、鮭とばの皮が束熨斗文様に見える呪いを皆にかけることに成功したってわけ。
今後鮭とばを見かけたら、堂々と頭に束熨斗文様を思い浮かべてほしい。
鮭とばの皮のおすすめの食べ方
Tシャツのために取っておいた鮭とばの皮を、今もちまちま炙って食べている。