ふるさと納税で、「オリジナル音頭をつくります」という返礼品を見つけた。そこで「自分のやってるPodcastの音頭をつくってほしい」と申し込んでみたところ、予想を上回る音頭が届いた。
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「音頭」のふるさと納税を見つけた
2021年の大晦日、ふるさと納税のことを思い出した。自治体に寄付したら、税金が減額されて、ご当地の「返礼品」がもらえる。今日が締切なのを、すっかり忘れていた。
慌ててネットでお肉や果物を物色し始めたが、しっくりこない。どうせなら、この機会にしかもらえない返礼品が欲しい。そこでユニークな返礼品を探してみたところ、「防災シェルター」や「ご当地ヒーローになれる」といった、風変わりな商品がたくさん出てきた。おもしろい。しかし高い。防災シェルターに至っては、1億円の寄付が必要だ。
タイムリミットが迫るなか、「さとふる」というサイトで、あるページを見つけた。大阪府枚方(ひらかた)市の返礼品だ。
あなただけの、音頭。その響きに魅了された。オリジナルのイラストを描いてくれる、みたいな返礼品はみたことがあるが、オリジナルの音頭は初めてだ。
僕はお隣の兵庫県出身だが、交野節という音頭は聞いたことがない。Wikipediaによると、昔は相当流行った伝承音頭らしく、
“交野節が河内地方に伝わる各地域の伝承音頭を「食いつぶした」と表現しており、土地ごとの節の存在が薄れてしまうほど、交野節が村から村へと伝わった”
と書かれていた。外来種みたいな繁殖力である。
他に目ぼしい返礼品が見つからなかったので、オリジナル音頭がなんなのか、交野節がなんなのかよくわからないまま、申し込んでみることにした。あと30分で新年になろうとしていたし、ユニーク返礼品にしては手の届く価格(10万円)なのもポイントだった。防災シェルターの1000分の1の値段で、音頭をつくってもらえるなら安いものだ。
音頭のヒヤリングシートが届いた
一ヶ月後。「交野ヶ原交野節・おどり保存会(以下、保存会)」から連絡があった。今回の音頭を作成してくれる団体らしい。
オリジナルの歌詞をつくるにあたって、ヒヤリングシートを記入してほしいという。「全てを使えるわけではないですが、音頭作りの参考にします」とのことだった。メールで送られてきたヒヤリングシートは年表形式で、どんな出来事があったのかを、細かく記入できるようになっていた。
せいぜい名前や出身地を歌詞に入れられる程度だと思っていたので、想像以上に本格的だ。さほど期待せずに申し込んだ返礼品だったが、俄然やる気が出てきた。
しかし一体、なにを音頭にしよう。ヒヤリングシートでは半生を歌詞にすることが想定されていたが、僕の半生を音頭にしたところで誰も興味はないだろう。親も興味ないと思う。せっかくなら他の人に聴いてもらえる音頭がいいなと考えていたところ、思いついた。「旅のラジオ」を音頭にしよう。
「旅のラジオ」とはデイリーポータルZの運営で、僕とライターのSatoruさんが毎週更新しているPodcastのことだ。2人とも海外旅行が好きなので、旅の思い出を語ったり、身近なところに旅を見つけようという話で盛り上がっている。「標高の高い国を集めて、真のサミット(頂上)会議を開きたい」とか、とくに旅に関係ない話もしている。
旅のラジオをテーマした音頭なら、リスナーの人たちが聴いてくれるかもしれない。ラジオで音頭を配信することもできるだろう。念のため保存会に確認してみたところ、すこし驚かれたものの、快諾していただいた。
旅のラジオを音頭にする
さて、ヒヤリングシートの年表を埋めるために、旅のラジオのこれまでを振り返る必要がある。2021年5月、ラジオ開始。2022年3月、現在に至る。以上。終わってしまった。そもそもこのPodcastは始まって10ヶ月しか経っておらず、歴史が浅い。年表形式で埋めようとすると、2行の音頭になる。
そこでラジオのお気に入りの回や、ゲストの紹介を記入していくことにした。
例えば、前述の「標高の高いサミット会議」では、「標高の高い国の人だけを集めて、本当のサミット会談を開きたい、と盛り上がった」と記入した。
ほかにも、リスナーから寄せられる投稿がとてもユニークで、世界中で録音した生音源が送られてきたりするから、そういう内容も記入した。
完成したシートが、こちらである。
これだけ見ると、意味不明だ。真面目に書いたつもりだが、申し訳なくなってきた。こんなシートが送られてきても、保存会の方は途方に暮れてしまうのではないか。まあ、このうちのいくつかのキーワードを拾ってもらえればいい。
(なお、ヒヤリングシートを埋めていく様子は旅のラジオ45回「ラジオのこれまでを振り返って音頭にしよう」で聞くことができます)
おれたちの音頭が届いた
そして、2ヶ月後。自宅にCDが届いた。
そして歌詞を開いてみると…
長っ。
長い。
想像以上に長い。写真ではおさまらない。
この時点でただならぬ「熱量」を感じていた。何か、ものすごいものが送られてきたのではないか。僕は部屋でひとり、CDを再生した。
こちらが実際の音源だ。なんと14分もあるので、一旦飛ばして続きを読んでもらっても構わない(代わりに、ぜひ後で聴いてみてほしい。)
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すごい。圧倒された。ゆったりとしたリズムに合わせ、朗々と歌いあげる歌い手に、太鼓とお囃子。実に本格的である。
そしてなにより、歌詞の完成度が高い。テンプレートに見える部分は、はじめと終わりの部分だけ。そのほかは全て、オリジナルの歌詞が綴られている。
ヒヤリングシートに記入したエピソードは、ほぼすべて配置されている。
例えばリスナーから投稿された世界の音は、1つ、2つ、3つ…といったふうに、数え歌調で並んでる。
「初回の収録では乾燥なまこを食べた」というどうでもいいエピソードも、「海外ホテルのレビューを翻訳したら”扉がゲリゲリと音を立てて腐った”と出てきた」なんて意味不明な説明も、しっかりと歌詞に反映されている。
さらに驚いたのは、ヒヤリングシートには記入していないはずの内容が、多く盛り込まれていたことだ。
例えば、「標高サミット」の回。ヒヤリングシートでは「標高の高い国の人だけを集めて、本当のサミット会談を開きたい、と盛り上がった。」と、その概要だけを書いた。しかし歌詞では、こうなっている。
“代表格は アノ標高サミット
国力ではなく標高の 高い国々出身の
人を集めてサミット開き
言葉や文化の壁超えて 標高あるある語り合い”
シートには盛り込まれていない、僕らがラジオで話した内容が書かれているのだ。
さらには、ラジオに登場したゲストについての説明。
“放送好評ゲストも登場
DPZ のジューンレイ 拙攻 安藤昌教や
新婚旅行におすすめプランを提案
バネばかりの後悔や レーザー脱毛焦げ乳首”
「ジューンレイ」さんや「拙攻」さんといったライターの名前はたしかに書いてあった。しかし「安藤昌教」さんは、事前のシートには記載していない。
なぜなら「安藤昌教」さんの登場した回が、「乳首に脱毛レーザーを当てたら焦げた」という極めて過激な内容だったからだ。さすがに、伝承音頭の歌詞としてリクエストするのは憚れた。しかしこの音頭では、しっかり歌われている。音頭で「焦げ乳首」って言っていいのだろうか。
このように、明らかに「Podcastを実際に聴かないとわからない内容」がふんだんに盛り込まれているのである。喋った僕自身が忘れていたようなエピソードが、小ネタとして挟まれていたりもする。
この感動は伝わりづらいかもしれない。Podcastを普段聴いていただいているリスナーの方が、「アベンジャーズのエンドゲームを見た気分」とコメントしていたが、まさに同じ感覚だ。それくらい僕らのPodcastが網羅的に紹介され、まるで全ての伏線が回収されたように思えた。
どうやってこの歌詞をつくったのか、そして「焦げ乳首」が許される交野節とは一体なんなのかー
僕は製作者である、「交野ヶ原交野節・おどり保存会」の方々にZoom取材を申し込むことにした。
「ちょっと張り切りすぎた」
—— 感動しました。ありがとうございました。
嬉しいです。
頑張って作った甲斐がありました。
—— 正直なところ、最初はさほど期待していなくて。テンプレートの歌詞に当てはめていく、くらいのものだと思っていました。それが、ほぼ全部オリジナルだった。
テンプレートを使う、というのは実は当初、私たちも考えてはいました。
—— え、そうなんですか。
やっぱりゼロから作るのは大変なので。でも、実際に「旅のラジオ」を聴いてみたら、テンプレートを使うのはもったいないと思った。このエピソードも入れたい、このフレーズも入れたい、となって、どんどんインスピレーションが湧いてきたんです。そしたら完全オリジナルになってしまいました。
—— やっぱり、ラジオを聴いてくださってたんですね。
大体聴きました。「標高サミット」と「酷評レビュー選手権」の回が特に好きです。
—— 確かにその2つの回には、多くの尺が割かれていました。
すでに書いていただいたフレーズも、どういう背景でそのセリフを言ったのか、という文脈こそ重要だと思い、全て聴きました。その上で、喋った本人も覚えてないくらいの細かい単語を混ぜたりすることで、驚いてくれたら嬉しいなあと。
—— サービス精神が旺盛すぎる…。
最初つくったときは、30分を超えちゃったんですよ。そこからなんとか14分に削っていった。
—— 「さとふる」の説明ページには「5~10分の音頭」と書かれていたので、14分でも長いなと思っていました。
ちょっと張り切りすぎた。
—— 張り切りすぎた。
実はこのふるさと納税に申し込みがきたのが、初めてだったんですよね。それで、保存会のグループLINEもざわついた。
ついにきたぞ、と。
音頭がこんなに自由でいいのか?
—— それにしても、だいぶ自由な歌詞ですよね。「ゲリゲリゲリ」とか「焦げ乳首」と入ってる音頭を、初めて聞きました。
私も初めて書きました。
—— 交野節っていうのは、こんなふうに、いろんな歌詞のバリエーションがあるんですか?
そうですね。いろんな音頭があって、替え歌みたいにして、次々とその派生系が生まれています。
有名どころでは、石川五右衛門の幼少期を歌った音頭などがありますが、どの音頭も物語調になっているのが特徴的です。1つの音頭が、1つのストーリーを形成している。
—— 「音頭」って、同じ歌詞を繰り返すイメージがあったので、新鮮でした。
私たちも全国の盆踊り大会を訪れるのですが、おっしゃるように同じ歌詞を、CDで繰り返し流しているような祭りも多いですね。それに対して交野節は、語り芸にも近いです。
物語のことを「外題」と言って、それぞれの音頭取り(注:唄い手のこと)に、得意な外題があります。各々の外題を、会場で生で唄うんですよ。
さらに踊り子が呼応して声を出したりして、グルーブ感が高まっていきます。
—— みなさん別々の歌詞を歌うんですか?
同じ歌詞は避けることが多いですね。お客さんが飽きちゃうから。
だから祭りでは、最後のほうに登場するほど大変なんです。それこそ石川五右衛門とか、有名な外題を歌われていくと、だんだんバリエーションがなくなっていく。
一度あるお祭りで、あらゆる外題が唄い尽くされてしまって、最後に出てきた音頭取りが、即興で自分の人生を唄い上げた…なんて話もあります。自分の人生なら、歌詞が被らないから。
—— オリジナル交野節は、あながち珍しくないんですね。自由な歌詞の中にも、ルールはあるんですか?
7・7 / 7・5 / 7・5、というリズムです。これに乗っかってれば、大体OK。
あとは、最初と締めの部分はお決まりのフレーズを歌うことが多いですね。ただ、今回はここも実はマイナーチェンジしてるんですよ。通常は「またのご縁を楽しみに」で締まるんですが、今回はラジオなので、「またの時間を楽しみに」に変えました。次の回も聴いてね、という気持ちを込めて。
5時間に及ぶ歌詞会議
—— 随所にこだわりがあって驚いています…今回の音頭は、どうやって作っていったんでしょう?
最初は僕がラジオを一通り聴いて、このフレーズは面白い、というのをメモしていって。それをひとりで歌詞に落とし込んでいきました。数週間くらいかかったかな。ラジオ以外にも、岡田さんやSatoruさんが書いた記事を読んだりして、ストーリーを考えました。
それで歌詞会議を開催して、5時間くらいかけて、みんなで磨いていきました。
—— 5時間の会議!どのあたりが議論になったんですか?
まずリズムですね。実際に歌ってみると、ここは文字が足りない、ここは多い、などがわかってきます。そこから交野節の「7・7 / 7・5 / 7・5」に合うように単語を入れ替えたり、校正を進めました。
あとはもう少し遊びを入れたくて、例えば「一つ凍った湖の軋む音、二つ哀しいヤギの声」みたいに数え歌になっている部分があるんですが。
—— ありました!リスナーからの「世界の音」の投稿を集めた部分ですね。
あれは「江州音頭」という音頭でよく出てくる数え歌の手法なんです。
—— 別の音頭を取り入れてるんですね。
他にも、「放送 好評 ゲストも登場」みたいに、韻を踏んでる箇所があったり。
—— それは何の音頭を取り入れてるんですか?
ラップです。
—— ラップ。
ラップが好きなので。
そうやってようやく歌詞が完成して、スタジオで収録しました。14分一本撮りで、ミスができないので、緊張しましたね。
大阪の音頭は”客ウケ”で変化してきた
—— それにしても、交野節という名前を聞くのは初めてでした。古くからある音頭なんでしょうか?
一説によると、700年近く前の南北朝時代に遡ると言われています。
盆踊りはもともと、先祖を供養するための行事なんですが、交野ヶ原(現在の大阪府枚方市から交野市にかけて広がる丘陵地帯)での戦死者を悼む念仏が、交野節として残ったとも言われています。
—— Wikipediaで、「流行りすぎて他の音頭を食い潰した」という記述も読みました。
それはもっと後の時代ですね。江戸後期から明治初期くらいには、それこそ村単位で、いろいろな音頭が存在したと言われています。その中で、今の枚方市あたりで歌われていた交野節が、大阪の河内地方全域で急激に広まり始めた。一気に河内地方の音頭のスタンダードになっていったんです。
だから交野節は、今や日本有数の盆踊りである「河内音頭」のルーツともされています。
—— 交野節は、今でも大阪で盛んに踊られてるんでしょうか?
それが….そうでもありません。
「河内音頭」自体は今でも盆踊りでよく唄われています。ただ、その河内音頭は、交野節とはまた別なんです。
—— 河内音頭のルーツは交野節なのに、今の河内音頭は交野節ではない…?
そこが少し複雑なところで。「河内音頭」と呼ばれるものの中身が変化してきたんですよね。ルーツとなった交野節は、今では下火になってしまった。
—— それほど流行った交野節が、なぜ下火になってしまったんでしょうか。
まず1つには、明治政府により出された「盆踊り禁止令」があると思います。風紀を乱すという理由で抑圧されて、交野節だけじゃなくて、全国的に盆踊りが一気に減りました。
それでも、禁止が緩くなっていくにつれ、また盆踊り自体は少しずつ復活していきました。でも同時に、お客さんの好みも変化していった。
—— お客さん、というと、音頭を踊る人たちのことですか?
そうですね。大阪の音頭は、踊ってくれるお客さんのウケを、とても重視するんです。お客さんがいかに集まるか、いかに喜んでくれるか、というのを考えて、どんどん新しいスタイルを取り入れていく。お客さんの好みの変化に合わせて、音頭も変化してきました。
例えば明治から大正にかけて、滋賀から「江州音頭」という別の音頭が入ってきたんですが、お客さんのウケがいいので、交野節をやっていたはずの音頭取りが、たくさんそっちに転向したり。
—— 客ウケを重視するって、大阪らしい感じがします。
現在の大阪の漫才のスタイルも、元々は玉子屋円辰さんという、河内音頭の音頭取りが始めたと言われてます。それくらい、いろんな工夫が生まれたんです。
だから交野節から始まった「河内音頭」も、流行りに応じて歌亀節、初音節、など中身となる節が変化してきました。
—— 節、とはリズムみたいなことでしょうか。
そうですね。ルーツである交野節は、お聴きになられた通り、とてもゆったりしたリズムです。でもそれじゃ、かったるいわ!となった。もっと激しく踊りたい、と。
ほかにも交野節の文字数制限に縛られたくないとか、合いの手のパターンを増やしたいとか、三味線など多様な楽器も取り入れたいとか。そうやって、「河内音頭」はどんどん賑やかに変わってきました。
ちなみに現在の河内音頭は、昭和中期にミリオンセラーを出した、鉄砲光三郎さんの作った「鉄砲節」がポピュラーになっています。
自由なものは、残りづらい
—— 今回のオリジナル音頭も、なんて自由なんだ…という感想を持ったのですが、自由だからこそ変化を続けて、元の形が残らなくなってしまうんですね。
おっしゃる通りです。だから僕らは、その自由さを維持しつつも、元祖である交野節もまた保存していこうと、活動しています。
—— そういえば「伝承音頭の保存会」と聞いて、もっとご高齢の方々をイメージしてました。でも皆さん、お若いですよね。
私は27歳です。もっと若い人も、小中学生のメンバーもいたりします。
元々は20年前、枚方市の小中学生で「スターダスト河内」という盆踊りチームを立ち上げたのがはじまりでした。これは交野節に限らず、地元の文化を通じて、子供からお年寄りまで幅広く交流しよう、というチームなんですが。
—— 小中学生が、盆踊りの団体を立ち上げるってすごいですね。
同級生からはダサいとか言われて、馬鹿にされたりしましたね。でも、実際に踊ってみたらすごく楽しかったんですよ。あと、いろんな人たちと一緒に楽しめるというのも大きかった。老人ホームへの慰問で踊ってみたら、おじいちゃんおばあちゃんたちが大盛り上がりするんです。涙を流して喜んだり、ほとんど寝たきりの方がはっと目を覚ましたりする。
昔の記憶が蘇るんでしょうね。古くからある盆踊りには、そういう世代を越える力があると感じました。
—— そこから、ルーツである交野節の保存活動へと繋がっていったんでしょうか。
小中学生ですから、最初はやっぱり、賑やかで激しい盆踊りが楽しかったんです。でも踊ってるうちに、ゆっくりでシンプルな、交野節の素朴さに惹かれていって。
でも、昔は大流行りした交野節も、唄える人がほとんどいなくなっていた。交野節の音頭取りは、「美谷川菊若さん」という1人だけしか残っていなかったんです。
—— たった1人ですか?
その方のお師匠さんもいらっしゃったんですが、交野節はもう流行らないからといって、すでに別の音頭に転向していました。
—— 客ウケを重視して….。
それで5年前、その唯一の音頭取りである菊若さんに、「本格的に交野節を教えてほしい」とお電話したんです。そしたらご家族の方が出て、菊若さんが一週間前に亡くなったことを伝えられました。ショックでした。同時に、放っておいたら、やっぱり昔のものって消えていっちゃうんだって思いました。だからその年に、元のチーム(スターダスト河内)を母体として、新たに「交野ヶ原 交野節・おどり保存会」を立ち上げたんです。
—— 継承者が減ってしまった交野節のことを、どうやって調べていったんでしょう。
当時の文献とか記録は、全然残ってないんですよね。それで、交野節がまだ日常にあった世代…今80歳くらいの世代ですかね、に聞き取り調査を一件一件行なって、知り合いを紹介してもらったり、かなり地道な活動をしています。
—— 日常的な音頭だったのに、記録が残ってないんですね。
日常的すぎて、残そうと思わなかったんでしょうね。聞き取り調査を行なっていても、「あれどこいったかなあ」とか、「とってへんかったなあ」とか、そんなのばっかりで。
あと昔は「盆踊り好きは道楽者」という印象もあったようで、「あんな遊び人のことは知りません!」みたいに言われることもあります。それも記録が残っていない原因の一つかもしれません。
音頭って、やっぱり口伝が基本なんですよ。町の盆踊り大会で聞いた音頭を、村に帰って唄う。すると伝言ゲームみたいに、どんどん変化していくんです。だから原型がなかなか残らない。
—— そこで皆さんが保存活動をされてるわけなんですね。
残そうと思わなければ、残らないから。なのでこうして記事にしてもらえるのは、すごく嬉しいです。
でも、ただ記録として残すだけでも、だめだと思ってるんです。やっぱり大阪の音頭は、唄って踊って、お客さんにウケてなんぼですから。私たちも、交野節という型を守りつつも、いろんな新しい取り組みをしていきたいと思っています。
—— ふるさと納税のオリジナル音頭も、その試みだったわけですね。
誰が唄っても、何を唄ってもいい。そんな自由さを楽しんでくれたら嬉しいです。
枚方市のふるさと納税は、引き続き募集中です。今回はちょっと張り切りすぎましたが、どなたも楽しめるように作らせてもらいます。
取材協力・写真提供:交野ヶ原交野節・おどり保存会
江戸時代からつづくサービス精神
オリジナル音頭の背景には、深い歴史とドラマがあった。歌詞から溢れ出る熱量とサービス精神は、江戸時代から「客ウケ」を重視して変化を続けてきた、大阪の音頭のカルチャーそのものなのだと思う。
なお我々がその自由さを存分に楽しんでいる様子は、こちらです。
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他にも歌詞に出てきた「日本唯一のマルタ騎士団員をゲストに迎える」「孤高の大国イランについて語る」といったバラエティーに富んだ話題を毎週話しているので、よければぜひ聴いてみてください。