「専門家」が特定の政治的意図を持つとき:『中東問題再考』

アゴラ 言論プラットフォーム

飯山陽氏の「中東問題再考 (扶桑社新書)」は、日本人にとってなぜ中東問題がこんなにわかりにくいのかということを説明してくれています。

ひとつは、中東問題特有の複雑さ、もうひとつは日本のメディアと「専門家」が特定の政治的意図を持って意図的に事実や情報を歪曲させているというとこです。

前者はどうにもならないとして、後者の問題は深刻です。

パレスチナ住民を本当に苦しめているのは? ファタハHPより

それらは、イラン、トルコ、パレスチナ自治政府やハマスに関するわれわれの認識を歪めてしまっています。

前著でも「イスラム教は平和の宗教」という認識のまずさを指摘されていますが、専門家である飯山氏に言われるまでもなく、一枚岩の組織や宗教などありえません。それを一言で表してしまっている時点で学問的な誠実さに疑問が出てくるでしょう。いや、もしかしたら学問の世界ではもう少し厳密かもしれませんが、マスメディアに登場する「専門家」の発言は乱暴です。

また、日本の中東外交が旧態依然としているという指摘は深刻です。日米同盟と中東との良好な関係は、どうみても矛盾しています。矛盾の中で落とし所を探るのでしょうが、まったく問題なく両立できるという認識、もしくはアメリカが諸悪の根源だという認識では、なにかを言っているようでなにも言っていません。

中東の古いパラダイムは、以下のようなという構図です。

  • アラブ・イスラム諸国対イスラエル
  • スンニ派対シーア派
  • ペルシア人対アラブ人

これらの認識は古いというのですが、その認識を「専門家」ですら改めなていないようです。いまやこのような単純な構図はあてはまらないのです。

個々の中東問題の現状はとても興味深いものがありますし、その部分は本書を読んでいただきたいと思います。現在の中東を知るよすがとなることは間違いありません。

その中で、評者が本書でとくに注目したのは、われわれの認知の歪みを自覚するきっかけを示してくれている部分です。

なぜ、家族や会社の中ですら平和を保てないのに、まったく遠くの言葉も通じない異民族は平和を希求していると信じてしまうのでしょうか。もちろん、その可能性を完全には否定できません。

ビジネスの世界で、相手を根拠なく一方的に信じてお金を預ければ、全てのお金を失って終わるだけになります。しかしながら「専門家」の人たちはそのような基本的な人間観察も怠っているように見えます。

小中学校の先生は社会人経験があったほうがいいと言われますが、大学の先生にも同じことが言えるのかもしれません。

もちろんわれわれは、飯山氏の主張をそのまま受け入れるのではなく、しっかりと情報収集をしてじぶんの頭で考え続けなくてはなりません。そうでなければ、「専門家」を妄信することと同じことになってしまいますし、妄信することを飯山氏は望んでいないはずです。

人は政治的な生き物です。飯山氏の人間への深い観察力は、端倪すべからざるものがあります。

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