コロナの極端な予測は必要ない – かさこ

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コロナに限った話ではなく今後どうなるかについて現時点でどうなるかわからないのに、無理やり希望的予測や無理やり悲観的予測を確定情報かのようにして予想する必要はない。

現時点ではわからない。たいしたことないかもしれないしめちゃ危険な状況になるかもしれない。どっちに転んでもおかしくない。そう「予測」することも大事だと思うのです。

なぜかコロナ予測には希望的予測と悲観的予測しかない。コロナをたいしたことないと信じないと精神がやられてしまう人たちは何度波が来ようが毎回のごとく「たいしたことない」を繰り返す。感染症の専門家でもなければ、未知の変異株について全世界で予測できる人など誰もいないのにだ。

一方、いわゆる感染症の専門家たちはあまりに悲観的予測ばかりが多い。もちろん悲観的な予測も大事だが、どうなるかもわからないのに、悲観すぎる予測ばかりしてきたがために「なんだよ、たいしたことないじゃねえかよ!」と信用を失う。

コロナに関して1年以上が過ぎいろんなことがわかってきたとはいえ不確定要素も大きいわけです。ワクチンだってまだ未知の部分も多い。全世界で誰も先行きを正確に予測できる人などいない。しかも各国によって、状況はばらばらだから一概に言えない。

だから「今後はどうなるかわからない」とわりきることも大事。もしかしたらたいしたことないかもしれないしもしかしたら大変なことになるかもしれない。

何度かこのブログで書いているけど3つの予測シナリオを立てておけばいい。

絶対にあり得ないと思うような楽観シナリオと、絶対にあり得ないと思うような悲観シナリオとその中間の3つのシナリオを考えておけばいい。

にもかかわらず感染症の専門家もコロナ軽視インフルエンサーも、自分の意見だけに固執し予測するから大外しする。

たとえば現状のデルタ株の予測を3つのシナリオで考えるなら、
1:超楽観的シナリオ
感染者は増えても死者も重症者もまるで増えずインフルエンザのようになる

2:超悲観的シナリオ
医療崩壊し、感染者も激増し、重症者も死者数も過去最大になる

3:中立的シナリオ
それなりの重症者やそれなりの死者数も出るが、欧米ほどにはならない
みたいに考えておけばいい。

1だってありえるし2だってありえる。

ところが怖がらせる派はひたすら悲観シナリオばかり連呼しあきれられ、コロナ軽視派は楽観シナリオばかり連呼しあきれられている。

どっちになるかもしれないしでもその中間が一番あり得るんじゃね?でも誰にもどうなるかはわからない部分が多いよねって、それでいいわけですよ。

今はどうなるかわからない。刻々と状況が変わっていく中でわかってきた情報から予測を修正していけばいい。

でも予測は一点張りするのではなく常に3シナリオ考えるくせをつける。

あたるとか外れるとかそういう問題ではない。わからない。わからないというのがもしかしたら「正解」で少しずつわかってきたら、対応を変えればいい。

大丈夫だ!とか危険だ!とか両極端の決めつけではなくどっちもあり得るしでも現時点ではまだわからないと考えてもいいのではないかと思う。

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