大谷を開花させた米国の個性尊重 – 毒蝮三太夫

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大谷翔平選手、シーズンを終えて様々な賞に選ばれて表彰されてるね。誰かが言ってたけどシーズン中は「ショータイム」でシーズンオフは「賞タイム」だって。その通りだな。目下の注目はMLBでの年間MVPに選ばれるかどうかだけど、今現在で6つの賞に輝いてるって。ちょっと挙げてみてよ編集部、

編集部)現時点(10月30日)ですが、選手同士が選ぶ「プレーヤーズ・チョイス・アワード」でリーグ全体のMVPとなる「プレーヤー・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀選手)」と「アウトスタンディング・プレーヤー(ア・リーグ最優秀野手)」を同時受賞。歴史的偉業や功績を残した個人や団体に贈られる「コミッショナー特別表彰」、あとは野球専門誌「ベースボール・ダイジェスト」、「ベースボール・アメリカ」、スポーツ専門サイト「スポーティング・ニューズ」の年間最優秀選手に選ばれてます。

このペースだと表彰だけでホームランと同じ46本いっちゃうんじゃなの(笑)。それにしても今年一年、大谷選手のおかげでどれだけ気持ちが支えられたか。コロナで連日重たい気分になりそうなのを、大谷選手のホームランやピッチングがその都度吹き飛ばしてくれた。感謝しかないね。

アクセル全開の二刀流を許した米野球界

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大谷選手は今年大ブレイクだったよ。その要因を様々なメディアが取り上げているけど、一番驚かされるのは今年ほとんど試合に出ずっぱりだったんだよな。ピッチャーで登板した翌日であってもバッターで試合に出て、休みはせいぜい月に5日。そのハードスケジュールももちろん大谷選手本人の希望があったようだけど、エンゼルスのマドン監督もよく許したよ。

日本だと、いくら本人がそうしたいってことでも、「いやいや、そんな無理はさせられない。それでケガしたら監督とチームの責任になる」なんてなるよ。日ハム時代、大谷選手が試合に出るローテーションって、どんな感じだったっけ?

編集部)はい、概ね日曜にピッチャーで投げまして、月曜は試合無し、火水木のうち2~3日をDHなどのバッターで試合出て、金土は次の登板に向けて休むという、そんな感じでした。

日ハムの時は栗山監督も大谷選手のやりたい二刀流を尊重はしたけど、投手に専念させろ、打者で育てろ、二刀流なんて無理だとか、あちこちから色んな意見が飛び交う中で、ヒヤヒヤしながらの安全運転だったよ。

大谷選手のやりたいようにアクセルを踏ませることはさせなかった。それは今から振り返ればハンパだったんじゃないかな。アメリカは日本と違って、個人を尊重するっていうか「自分ができるって言うなら、やってみろ、その代わり結果を出せ」って環境だった。それで今シーズンは毎日のように試合に出て大ブレイクだ。

大谷選手もエンゼルスに入ってから3年は、右ひじ手術があって、左ひざを痛め、本人も「ケガもあって思うように出来なかった」と言うように結果が出てなかった。昨年はピッチャーで1勝もあげられず、バッターでも打率1割台だった。

だけど、その3年分の悔しさを4年目の今年にぶつけた。体力温存で慎重に行くのではなく、思い切りアクセルを踏み込んだ。その環境を監督が許した。結果、大谷選手の二刀流は100%開花したんだ。

大谷選手だけでなく、野茂英雄、イチロー、松井秀喜・・・、彼らはアメリカに行ったことで完全に花開いた。個人が才能をとことん伸ばすことに関してアメリカは自由度が高いんだ。個人の能力を優先する、メジャーリーグに世界の才能が集まるのは、それがハッキリしてるからだろうな。

ノーベル賞の眞鍋淑郎さん 渡米で給料が25倍に

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今年ノーベル物理学賞を受賞した眞鍋淑郎さん、気象や気候の研究をされてる方だ。眞鍋さんは大学院を出てすぐ、20代後半で日本を離れてアメリカを研究の場に選んで移住している。日本は施設も予算もアメリカに比べて規模が小さい。自分の才能を高める可能性がある場所として日本よりもアメリカを選んだ。

編集部)眞鍋さん、1958年にアメリカ国立気象局に入りますが、給料は日本の25倍だったとか。

いつの時代も金のある所に優秀な人材が集まるのは世の常だな。今は中国に世界から優秀な研究者が集まってるっていうもんな。

眞鍋さんはアメリカに移って正解だった。そうしてノーベル賞という高みに到達した。それを日本のメディアがやたらと「日本人の眞鍋淑郎さんがノーベル賞を受賞」なんて騒いでたけど、そこで都合よく「日本人が快挙」なんて言うのは恥ずかしいよな。

「日本生まれ」が海外で花開く、高い価値を見い出されるって多々あるよ。江戸の浮世絵は19世紀半ばのロンドンやパリの万博でヨーロッパの芸術家たちを驚かせた。ゴッホ、モネ、ルノワール、ゴーギャン・・・、当時の画家たちは葛飾北斎や喜多川歌麿や安藤広重から大きな影響を受けたんだよな。

日本で浮世絵は庶民の娯楽だった。大量に刷られた木版画は「そば一杯」というような値段で、芸術品として高価なものではなかった。シャレた包み紙に使われたりする扱いだった。だけどヨーロッパの画商たちはこの浮世絵に高い芸術的価値があると見て、作品を次々に買い漁った。そうして幾つもの宝のような作品が海外へ渡っていった。

今や大人気となっている伊藤若冲も、以前はそうじゃなかった。だけどその作風に惚れ込んだアメリカの美術蒐集家が、若冲の作品は素晴らしいんだと私財を投じて次々にコレクションしていった。若冲の芸術的価値を理解したのはアメリカ人だ。それが逆輸入のような流れになって、こんな凄い絵師がいたのかと日本でも大人気になった。

日本は島国。世界の様々なものと比較する機会が少ないせいか、身近にあるものの価値を見過ごしがちだ。寿司とか和食も外国で評価されて、ああ、これはそんなに価値があるのかと気づいた。

日本映画もそう。小津安二郎、黒澤明、成瀬巳喜男、ああいう巨匠たちは海外で受賞して評価され、国内よりも国際的な評価のほうがはるかに高い。最近では是枝裕和監督もそうなんじゃないの。日本国内よりも世界での評価のほうが高い。

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