1961年にソ連の宇宙船であるボストーク1号に搭乗し、人類初の有人宇宙飛行を行ったユーリイ・ガガーリンは「地球は青かった」などの名言を残したことで知られています。そんなガガーリンが有人宇宙飛行を行う2日前に家族に宛てて書いた遺書の内容が公開されています。
I hope you will never see this letter – Letters of Note
https://news.lettersofnote.com/p/i-hope-you-will-never-see-this-letter
1961年4月12日にバイコヌール宇宙基地からボストーク1号で有人宇宙飛行を目的に宇宙に向けて飛び立ったガガーリンでしたが、当時の技術力は現代と比べると低く、生還の見込みは低いと考えられていました。
そこでガガーリンは出発の2日前に自身の家族に宛てて、自身が生還できなかった場合の遺書を書き残していました。以下がその内容です。
「私の最愛のワレンチナ、レノチカ、そしてガロチカへ」から始まるガガーリンの遺書は以下のように続きます。
「今日私にふりかかった喜びと幸福を共有するために手紙を書くことにしました。今日、ソビエト連邦政府委員会は私を最初の宇宙飛行士として宇宙に送ることを決定しました。親愛なるワレンチナ、私はとても喜んでいます。そしてあなたとこの喜びを共有したいです。労働者階級に生まれて普通の人生を送ってきた私は、宇宙への最初の一歩を踏み出すという重要な使命を受けました」と家族に向けて宇宙飛行士に任命された喜びを語っています。
しかしガガーリンは、「私はソビエト連邦の科学技術を完全に信頼しています。失敗することはないでしょう。しかし、突然理由もなく転んで首の骨を折ってしまうように、今回の打ち上げでも何かが起こる可能性もあります。そのようなことは考えられませんが、もしも事故が起きて私が生還しなくても悲しまないでください。これも人生です」と記し、自分が生還できない可能性もあると認めています。
また妻であるワレンチナに向けて「どうか娘たちの世話を欠かさず、私と同じように娘たちに愛情を向けてください。人生の試練を恐れない強い人間に育ててください。彼女らを新しい共産主義社会に生きるに値する人物に育ててください」と語っています。
一方で「この手紙は少し暗すぎます」と皮肉を述べた上で、「私は悪い結果になることを想定していません。あなたがこの手紙を読まずに終えることを願っています。しかし、最悪の場合には真実を知ってください」と吐露しています。
加えて「子どもの頃、『誰かがいつかやるなら、あなたが最初の人物になりなさい』というヴァレリー・チカロフの言葉に感銘を受けました。だから私は最初の人物になります。私はこの宇宙飛行を新しい共産主義社会の人々や偉大な祖国、そして私たちの科学にささげたいと思っています」と述べています。
最後に「数日後、無事帰還して再び一緒になれることを願っています」と述べ、ワレンチナに対して「どうか私の両親を忘れないで、時には彼らを助けてください。彼らに『よろしく』と伝えてください。そして宇宙飛行士になると話さなかったことについて申し訳なく思っていたと伝えてください。これが全てです」と締めくくっています。
その後、ガガーリンが搭乗したボストーク1号は打ち上げに成功し、大気圏外を108分間にわたって周回し、地球への帰還を果たしました。
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