徳島県海部郡(かいふぐん)牟岐町(むぎちょう)の沖合に浮かぶ「出羽島(てばじま)」。
自動車が一台も走っていない、昔ながらの町並みが残る漁村だと聞いて訪れたのだが、そこには自動車の代わりに独自の手押し車文化が華開いていたのである。
1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)
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牟岐港から連絡船で「出羽島」へ
出羽島がある牟岐町は徳島県の南部、高知県との境にもそれほど遠くない位置にある港町だ。
徳島市から室戸岬を経て高知市へと至る国道55号線の途上にあるので、徳島側から室戸岬に行ったことのある方、あるいは四国遍路をやったことのある方は通ったことのある町である。
牟岐港から出羽島までは約3.7km、連絡船で15分ほどの距離である。とはいえ出羽島は太平洋に浮かぶ島であり、それほど大きくない船ということもあってか結構な波で揺れた。
出羽島は周囲4kmほどの島であるが、大部分は険しい山のため、天然の良港である入り江の周囲にのみ家屋が密集している。
出羽島には自動車が一台も存在しないが、集落の端から端まで歩いても1kmにも満たず、そもそも自動車で移動する必要がない島なのだ。
出羽島の集落は北側の入り江を囲むように存在する
出羽島に残る昔ながらの漁村の風景
なにはともあれ、まずは出羽島を散策してみよう。
出羽島は江戸時代後期の寛政12年(1800年)から本格的な移住が始まった。集落はカツオ漁の隆盛によって拡大し、明治9年(1876年)には87軒、明治43年(1910年)には130軒、昭和9年(1934年)には166軒にも及んでいたという。
現在も入り江を取り囲むように伸びる路地に沿って、江戸時代末期の天保11年(1840年)のものを最古に、明治時代から昭和前期にかけて築かれた伝統家屋が数多く残されている。平成29年(2017年)には国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)にも選定された。