共同通信社
すこし前に、名古屋市長の河村たかしさんの一件があったね。ソフトボールで優勝した後藤希友選手の金メダルをかじって抗議が殺到してしまった・・・。でも河村さんって、ずっとああいうことをしてきた人だよな。メディアに取り上げられるのを意識して、人の目を引くパフォーマンスをやる人。そうして大衆にウケることも政治家の技量だから、名古屋の名物市長という今のポジションにいるわけだ。
そこにメダリストの表敬訪問が来ることになり、メディアが集まるからまたひとつ目立つことをしてやろうと。金メダルを噛んだらきっとウケるだろうと考えてそれをやってみた。そしたらちっともウケず、むしろ反感を買ってしまった。
抗議が7千件って非難ごうごうだよ。河村さん自身はウケると思ってやってるから、こういう時って、すぐには素直になれないんだ。「俺のセンスがわからないのか、シャレのわからない連中だ」ってね。ましてや反省なんかしない。わるいのはわからない連中だ、って相手のせいにする。これ、芸人に多いよ(苦笑)。ウケないと「客がわるい」って客のせいにしちゃう。
だけど河村さん、あまりに抗議が殺到するから、ひとまずこの火消しをしようと、その日のうちにコメントを出した。メダルを噛んだことに対して「最大の愛情表現だった。迷惑をかけているのであれば、ごめんなさい」――って。
こんな不貞腐れた言い方のコメントをよく出したよ(苦笑)。自分がやったことは間違ってない、わからない連中がいるだけだ、そんなふうに釈然としてないのが見え見えだもの。
このコメントを出した途端にまた抗議殺到。抗議抗議で仕事にならないのが名古屋市の職員。部下達に対してトップである河村さんが謝罪文を出した。直筆の謝罪文。あれ見たらわかるけど、ちっとも謝罪の気持ちが字にこもってない。字が不貞腐れてるんだよ(苦笑)。「めいわく」とか「つつしんで」とか漢字を使うべき処をひらがなで書いたりしてて、ああいうのを「カンジわるい」って言うのかもな(苦笑)。
我が強いというか、いかにもお山の大将だよ。謝罪するなら、少し冷静になって、「このたびは行き過ぎたことをしてしまい心から反省しております。これからは市長の職務で精一杯お返しして参ります」とか、少しでも謙虚さを見せればいいのに、そういう振る舞いが出来ない。
今回は名古屋の多くの市民が恥をかいたよな。そういう人を市長に選ぶ土地柄なんだなって。ちなみに河村さんって任期はどれぐらいあるの?
編集部)――今年4月に2011年の出直し選挙を含め5選されたばかりで、2025年まで任期があります。
ああそうか、選ばれたばかりだったんだ。任期はたっぷり残ってるね。今更だけどそういうパフォーマンス市長であることを名古屋市民はわかってて投票したんだから、河村さんを5選させた市民の側にも責任の一端はあるよな。
となると、このあと河村さんが任期中に開催されるオリンピックは・・・、2022年の北京冬季五輪、2024年のパリ五輪か。そのたびに河村さん、名古屋出身の選手がメダル取ったらどうしようってヒヤヒヤだな。表敬訪問に来られたら、そのたびに今回の不祥事がよみがえるからね。
人前で話すときに忘れてはいけない「相手目線」
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河村さんもそうだけど、森喜朗さんだったり、張本勲さんだったり、古い価値観のままで発言して世間から問題視される年寄りが目につくね。俺も85歳で年寄り世代だけど、今のところ失言とは縁なくやってこられてるよ。
だからと言って、安全で無害な言葉ばかり並べてたら面白くもなんともない。アウトにならないギリギリセーフを続けていけるかどうかなんだと思う。
俺は50年以上ラジオで生放送をしてるけど、我ながら地雷を踏みそうで踏まない。それはね、俺自身の特性なんじゃないかな。ガキの頃は山の手の品川、下町の浅草、両極端の両方で暮らした。山の手と下町で人の雰囲気も言葉遣いも大きく違う。「俺は山の手だよ」とか「俺は下町だぜ」というふうに、どちらかに偏ったり、どちらかを拠り所にしたりすることもなかった。俺はどっちもわかるし、どっちも良かったから。
そこで自然と多様性みたいなものが育っていったんだと思う。だから、人付き合いで右にも左にも行ける。上にも下にも行ける。やじろべえみたいなもんだ。全方位で人と話せる。そうすると、それぞれの立場で言われたくないこと、不快に思うことも自ずとわかる。立川談志に言われたことあるよ、「おまえは目端が利くなァ」って。「メハシ(三橋)美智也です」なんてな(笑)。
人って誰もが自分の立場から周りを見ている。市長なら市長の立場から、市民なら市民の立場からとか。それは意識してないと、無意識のうちにひとつの目線に固まっちゃう。
目線って人の数だけバラバラにある。それを日頃からどう意識するかだよ。自分以外の目線があることがわかって誰かと会話をすれば一方的になることはない。相手にも相手の目線がある、それをわかった上で相手と話す。俺が長年ラジオを続けてこられたのは、そういう意識を自然と持っていたことが大きかったと思う。
自己評価と他己評価のズレに気が付かない悲劇
そこでもしもの話だけど、あの河村さんと同じことを、例えば福山雅治とか、木村拓哉とか、ジャニーズの若い誰それとか、そういう人がしたら、世間はどういう反応になってたと思う?
河村さんの一件で世間が騒いだのは、「ソフトボールの後藤選手が人生をかけて獲得した金メダルを、他人がいきなりかじるなんて失礼過ぎる、絶対にありえない、コロナ禍なのに衛生的にも許せない」って意見だったからだろ。それがもし河村さんじゃなくて、後藤選手も目が釘付けになるようなイケメンが同じことをしてたら・・・。
どうだい? 同じ抗議になるかい? 場合によっては「あの人がわざわざメダルをかじってくれるなんて優しい! ステキ!」ってことになったりしないか? 「かじってもらってメダルの価値がますます上がった!」とか言う人も出てくるんじゃないの。
少なくとも抗議の数はグッと減るだろうし、言い方も変わるはずだ。そして、抗議とは逆、称賛の声も出てくると思う。つまり、同じことをやっても、許される人と許されない人がいるって話だ。
わかるのは、河村さんに抗議した人は「河村さんだから」ってことを少なからず含んでいるってこと。その行為が他の誰であっても等しく抗議するわけではない。
俺は別に、河村さんをかばおうとしているわけではないよ。あんなパフォーマンスをして反感を買ってしまうセンスは、市民の代表である政治家としては、ズレてしまっていてマズイよなって思うし、そのあとの対応も大人の対応とは言えず、呆れてる。
この、河村さんの一件を通して見えてくるのは「自分で自分を見極める」ことがいかに大事かってことかな。
自分で自分の評価を見極められないと、今回の河村さんのようなことになる。自己評価と世間の評価がズレてると、世間は不快になる。
ことわざに「人の振り見て我が振り直せ」ってあるけど、今の時代はさらに「自分の振り見て我が振り直せ」が必要(苦笑)。
金にかじりつくのは人間の本能?
金メダルってことで思い出した話があるんだけど、新宿の内藤さんの話・・・。知ってる人は知ってるだろうけど、江戸時代、新宿は「内藤新宿」と呼ばれてたんだ。どうしてかっていうと、徳川家康から四谷、千駄ヶ谷、代々木、大久保に広がるあの界隈で広い領地を与えられて治めていたのが内藤家だった。その一部、今の新宿御苑あたりが返上されて甲州街道の宿場になった。内藤さんの土地で新しい宿場・・・だから「内藤新宿」と呼ばれたわけだ。
その内藤家の十何代という子孫がフランス料理のレストランをしていて、俺も食べに行ったことがあるんだ。そこはテーブルに置かれたナイフやフォークやスプーンがゴールドで出来ている。ちょっと話を聞いたらさ、そういう金の食器は長く輝きを保つ為、年に一回、専門の職人が磨きに来るんだって。
そこで職人の方がいつも目にするのは、スプーンとかフォークとか口にするものの多くにつけられたかじった跡・・・。
レストラン行って食べ物はかじってもスプーンやフォークは普通かじらないだろ。歯が痛えもんな。だけど金のそれだとみんなついついかじっちゃうんだ。人って金を見ると「かじりたい」と思う習性があるんだな。銀や銅はかじらない、だけど金はかじりたくなる。金っておめでたいイメージ、長寿につながる薬のイメージがあるし、金粉、金箔で実際に口にする機会もある。そういう思いがレストランに来たお客さんにあって、金のスプーンやフォークをちょこちょこかじってく。
コースは前菜から始まって、スープがあって、メインは肉で、デザート食べて、シメは金のスプーンをひとかじり・・・。「お客様、くれぐれもスプーンを食いちぎらないでください」って話だな(笑)。
あと、人って金を見ると興奮するよね。そりゃまあ金銀財宝は富のシンボルだしな。とくに名古屋は金が好きだよ。なんたって名古屋城には金のシャチホコがある。尾張名古屋出身の豊臣秀吉は全盛期に「黄金の茶室」を京都御所にこしらえた。その復元をMOA美術館で見たけど目にまぶしかったよ。あれはゆっくりとお茶を味わう空間じゃないね。お茶飲みながら「全部でいくらするんだろう?」って考えちゃうよ(笑)。
人は金を見ると興奮もするし、かじりたくもなる。だけど、くれぐれも浅はかな行動には注意したい。自分で自分を見極めることだ。話が金だけに自分のメッキがはがれないように、ってことだ(笑)。
(取材構成:松田健次)