3,800年前の火山噴火跡に、「人間の足跡」があった

遺跡とかお宝、一度は掘り当ててみたい気はする。

地下に埋設されたパイプラインの保守点検工事中に、何千年も前の歴史を掘り返してしまったらどうします?

工事中に遺跡を発見

実はこれ、リアルに起こったことなんですよ。イタリアのナポリ南部に位置するポンペイ近郊で、メタンガスのパイプライン工事中に、作業員が偶然歴史的な発見をしちゃったみたいなんです。

その後の発掘調査で、青銅器時代(紀元前3500年~1200年)から古代末期(西暦250年~750年)までの考古学要素が発見されています。調査結果に関する情報は、発掘現場があるサレルノ県の考古学当局(Superintendency of Archaeology, Fine Arts and Landscape for the Provinces of Salerno and Avellino)によるFacebookへの投稿で確認できます(イタリア語ですが)。

驚くべきことに、ポンペイを埋没させたあの有名なヴェスヴィオ山噴火の約1,800年前に起こった古代の噴火跡から、人間や動物が逃げ惑った可能性を示す証拠も発見されたのだとか。

有名なヴェスヴィオ山の噴火は西暦79年に発生しました。ポンペイやヘルクラネウムが火山灰と軽石の層で埋め尽くされ、最期の瞬間で時が止まったかのように、犠牲者たちが噴火当時のまま保存されています。

火山は数百年ごとに大きな噴火を繰り返すなど現在も活動を続けており、1944年には比較的大きな噴火も発生しています。

遺跡から見つかった足跡は約3,800年前のもの?

古学者たちは、ヴェスヴィオ山の火山複合体に由来する火山砕屑堆積物の中から、青銅器時代の人間と動物の足跡を発見したといいます。

当局はソーシャルメディアの投稿で、足跡は「火山の猛威に直面した住民たちの劇的な逃避行を雄弁に物語る証拠」と説明しています。

ただし、火山砕屑堆積物が固まる速さによっては、噴火から数カ月後に足跡が残された可能性もあるとのこと。

2006年に発表された研究結果によると、足跡は西暦79年の噴火よりも強力だったとされる、紀元前1995年に起こったヴェスヴィオ山のアヴェッリーノ噴火によるものかもしれないそう。

3,780年前に起きたアヴェッリーノ噴火は、まず強烈な軽石が降り注いだあと、火砕流が最大25kmの広い範囲に押し寄せ、周辺の大地と村を埋め尽くしたと報告されています。まるでその約1,800年後、ローマ時代に発生した噴火の不気味な前触れのようですね。

噴火後の人間社会の痕跡も明らかに

しかし、この青銅器時代の強烈な噴火をもってしても、人々はそこに住むのをやめなかったようで、考古学者は青銅器時代から鉄器時代への移行期にあたる紀元前1200年から900年の間に建てられた半円形の小屋の跡を発見しています。

また、ノチェーラ・アルファテルナ(現ノチェーラ・インフェリオーレ)郊外の主要道路沿いでは、紀元前3世紀または2世紀の宗教的な聖地も見つかり、奉納品として使われたであろう遺物も発掘されたそうです。

ローマ時代の遺跡で、耕作跡やおそらくは農村の邸宅と考えられる建物も見つかったことから、この地域では後年まで畑作が盛んだったと思われます。

考古学チームは、ノチェーラ・アルファテルナ周辺にある40本以上の道路の復元にも成功したといい、その中には古代の荷馬車が通った轍(わだち)が残っている道路もあったとのこと。

昨年11月に終了した発掘調査では、キリスト教徒と異教徒の墓地が新たに発見されました。ローマ時代から古代末期への移行期のものと考えられる子どもの墓や、石棺のある記念碑的な墓、ローマ時代の邸宅のひとつで発見された埋葬地などが含まれるといいます。

これらの発見は、異なる宗教の死の儀式が同じ地域で行なわれていたことや、建物を再利用する古代の習慣を浮き彫りにしているそうです。

Traces of the longhouses
Image: Superintendence of Archaeology, Fine Arts and Landscape of Salerno and Avellino

発掘調査で発見されたもっとも新しい考古学的要素の中には古代末期に由来するものもあり、これは先史ヨーロッパ(文字の証拠がほとんどない先史と近代史の間の時代)に最初に立てられた細長い小屋である「ロングハウス様式の住居への回帰を示唆しているそうです。

当局は、過去の住居様式を再び取り入れることについて、次のように説明しています。

社会経済の変化によるものと思われるこの過去の住宅パターンへの回帰は、変化に直面した人間社会の適応力を示すものです。


適応力。いまこそ必要なもののような…。

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