知識が少ない人物でも核兵器の設計が可能であることを証明した1967年の実験とは?

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1963年、アメリカのジョン・F・ケネディ大統領は記者会見で「1970年代には世界中に15から20もの核保有国が存在し、これらの国家は核戦争の危機をもたらしかねない」と、将来的な核拡散の懸念を示しました。これは第二次世界大戦後の1945年から1963年までの間に、アメリカやフランス、ソビエト連邦など複数の国が核実験を行い、核保有国がどんどん増加していたことが背景にあります。その懸念を現実のものとするかのように、1967年にアメリカで核に関する専門知識を持たない物理学者チームがパブリックドメインで入手可能な情報だけで核兵器の設計に成功し、技術的な知識と資源があれば誰でも核兵器を作ることが可能であることが証明されました。

1960s “Nth Country Experiment” Foreshadows Today’s Concerns Over the Ease of Nuclear Proliferation
https://nsarchive2.gwu.edu/news/20030701/


The 1967 Experiment That Proved Anyone Can Design a Nuclear Weapon | Amusing Planet
https://www.amusingplanet.com/2023/03/the-1967-experiment-that-proved-anyone.html


1964年に中国がロプノール実験場において22キロトン規模の核実験に成功したことを報告し、世界で5番目かつアジアで初めて核兵器を持つ国家になったことが明らかになりました。中国の核実験成功の報告を受けて、アメリカでは、核兵器や核保有国の拡散が懸念されていました。

核拡散を懸念するアメリカは同年、カリフォルニア州のローレンス・リバモア国立研究所で、は1964年に、機密情報にアクセスできない状況下であっても、高い知能を持つ物理学者が核兵器を設計・製造することが可能かについての検証を行いました。

この実験では、核に関する物理学を学んだ経験がほとんどない3人の物理学者であるデイブ・ドブソン氏、デビッド・ピップコーン氏、ロブ・セルデン氏が採用され、3名には一般に開示されているパブリックドメインの情報だけを使って信頼できる核兵器を設計する任務が与えられました。ピップコーン氏はすぐに任務から離れたため、実験はドブソン氏とセルデン氏の2名で行われました。

当時、ドブソン氏とセルデン氏の核兵器に関する知識は限定的で、トリニティ実験広島市への原子爆弾投下長崎市への原子爆弾投下についてまったく知識がありませんでした。また、核分裂反応に関しても簡易的な展示模型を見たことがあっただけで、核分裂に関する専門的な教育は受けていませんでした。


さらに機密情報へのアクセスに制限を受けるこのプロジェクトでは、両氏が作成した図やメモなども自動的に機密情報扱いとなりました。また、両氏の設計を検証するためには、研究所に対して「どのような点をテストしたいのか」などを詳細に記述した説明書を提出する必要がありました。

このプロジェクトでは提出された説明書を受けて専門家がテストを行い、数日かけて結果が両氏に返却されるという複雑な手順が必要でした。しかし、両氏は返ってきた検証結果が、実際のテストによるものなのか、仮定の計算によるものなのか判断できないままプロジェクトを進めていたと述べています。

ドブソン氏とセルデン氏が核兵器を設計するにあたって問題となったことの一つに核兵器の爆発スタイルの選択がありました。広島市に投下された原子爆弾は、設計や装置が単純な一方、核分裂反応を引き起こす材料が多くなる「ガンバレル型」が採用されており、一方で長崎市に投下された原子爆弾は構造は複雑になるものの核分裂反応に必要な材料が少なくなる、爆縮レンズを用いた「インプロージョン方式」が採用されていました。理論上、核分裂反応に必要な材料の調達が最も難しい部分だったことから、両氏は核兵器の設計にインプロージョン方式を採用しました。


セルデン氏は「ガンバレル型は大量の材料が必要であるにもかかわらず、投下による効果は限定的です。一方でインプロージョン方式は複雑ですが必要な材料が少なく、より強い効果が得られます」と述べています。

その後、2年半にわたる研究や開発の結果、ドブソン氏とセルデン氏は研究所に対して、核兵器の設計図と関連する材料を詳細に記した書類を提出しました。両氏が提出した書類は、核兵器という高度な兵器に関する書類にもかかわらず、一般的な機械工場で製造可能なレベルで記されていたとのこと。

書類の提出後、両氏は政府高官からの徹底的な質問攻めを受けました。ドブソン氏とセルデン氏は政府高官からの徹底的な質問攻めを受けました。両氏は「3年間にわたって行ってきた研究はその当時成果を生んだのか分かりませんでした」と述べています。

ドブソン氏とセルデン氏による報告の後、ローレンス・リバモア研究所の上級研究員であるジム・フランク氏は両氏に対して「今回の検証は大成功でした」と伝えました。また、「もしも報告された核兵器が製造されたならば、広島市に投下された原子爆弾と同様の被害をもたらしたでしょう」と報告しています。


一方でドブソン氏は「知識がない人物でも核兵器を作成することは簡単だと判明したことに対して強い懸念を抱いています」と述べています。ドブソン氏は「1960年代は核兵器に関するアイデアや資料などを機密情報として保存することで不正なアクセスを防ぐことが可能でしたが、インターネットが発達した現代では、自由に必要な情報が入手できます」「図書館やインターネットなどで得た専門的な知識とリソースが組み合わさることで、テロリストを含む個人が核兵器を容易に製造できるようになりました」と警告しています。

その後、セルデン氏はアメリカ空軍の科学顧問委員会のメンバーに就任しましたが、ドブソン氏は核兵器の設計に携わった経験を経て、「軍拡競争に積極的に貢献するべきではない」との考えから、核兵器に関する分野から撤退したことが明かされています。

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