似たようなレンズばかりを持ち寄る会

デイリーポータルZ

似たようなレンズばかり持ち寄りました。

「標準レンズ」と呼ばれるレンズがある。その名のとおり、標準的な画角の写真が撮れるレンズである。この標準レンズは放っておくと数が増えていくのだ。

増えた標準レンズを持ち寄る会を開催しました。

レンズは増える

カメラが好きな人にはわかってもらえると思うのだけれど、いつのまにか家に同じようなカメラとかレンズが増えていくことがある。

いま「ことがある」なんて他人事みたいに書いたが、これは完全に自分ちの話である。

怖くて見ないふりをしていたが、この前数えたら標準レンズと呼ばれる焦点距離が40~60ミリあたりのレンズだけで十本以上あった。

ぜんぶ同じような焦点距離のレンズである。

どうしよう怖い。

という話をその筋の友だちに話したら、そんなの僕もですよ、ということで話が盛り上がり、じゃあ今度みんなで持ち寄ろう、ということになった。

それが今日である。

友人である大室さんとよしださん。
三人で持ち寄ってみたら罪の重さに震えた。

三人合わせてこの数である。しかもぜんぶ同じような写真が撮れる標準レンズだ。おれたちはいったいなにがしたいのか。

いったん広告です
20本以上あった。実はここに写っていないのがまだある。

並べてみたら一瞬とまどったが、すぐに嬉しくなった。おれたち最高。やはり持つべきものは友だちだし、傷はなめ合うことで癒されるのだ。

家族が見ていないことを前提にちょっとだけ見ていこう。

標準レンズ紹介

さっきも書いたが、ここでいう標準レンズというのは、焦点距離がおよそ40~60ミリくらいのレンズを指す。

この数字が大きくなると望遠レンズといって、鳥とか飛行機なんかが撮れるようになり、この数字が小さくなると広角レンズといって、広大な景色なんかが撮れるようになる。

標準レンズは、ノラ猫とか机の向かいに座っている友だちなんかを撮るレンズである(あえて語弊しかない書き方をしています)。

この三本は年代もメーカーも名前も同じなのだけれど見た目が違う。全員が一本ずつ所有していて笑った。
この二本は年代とメーカーが違うがスペックはまったく同じである。ならどちらかでいいだろう、というのが正常な判断で、ならどちらも買って比べなきゃ、というのが僕らである。
この二本は名前とメーカーが同じだけど、年代が違うことでスペックも見た目も変わってしまったレンズ。だからどうしたと言われたら返す言葉はない。

僕はこの水辺に足を踏み入れてもう20年以上になるので、だいたいの標準レンズは見たらわかると思っていたのだけれど、それでもこうしたチャンピオンクラスの集まりになると「なにそれ!」というのが出てくるから面白い。

「これは引き伸ばし機のレンズを外してアダプター二つとスペーサーをかませてむりやり使えるようにした標準レンズです」とか言われるとぞくぞくする。

こうなってくると標準とは、という話にもなってくるが、昔の人だってなんとかして毒キノコから毒を抜いて食べたりしていただろう。それが人の歴史なのである。

かといってたいして写真撮らない

こうやって同じようなレンズを持ち寄って何をするかというと、主な活動は自分のカメラに付けてみてピントを合わせる、である。

わー、ピント合うんですね!などと当たり前なことに感動したりする。
あー、これはいいですねー、とかいいながら互いを撮ったりもするが、特に相手に興味があるわけではない。僕たちはレンズにしか興味がないのだ。
この組み合わせはしびれるな~(主役のレンズにピントを合わせています)
次に買うレンズが決まりましたね(もう買わなくていい)。

このくらいの数が揃うとつけたり外したりしているだけで3時間くらいすぐに経過してしまう。

その間、僕らが摂取したのはコーヒー一杯だけである。こんな健全な趣味はない(レンズ買うけど)。

飽き足らず屋上に出てきたが、やることは変わらなかった。

なぜ標準レンズなのか

一見地味なスペックの標準レンズでこれである。超広角レンズとか超望遠レンズみたいな派手なやつならさらに収集癖に火が付くのでは、と思うかもしれない。

ところがそんなことはないのだ。

僕らは標準レンズが好きでこうなってしまったので、望遠レンズなんてほとんど持っていない(広角レンズはそこそこ持ってる)。鳥も星も撮らずに、標準レンズの微妙な写りの差だけを比べていたいのだ。

これがまともな趣味だとは思わない。しかし趣味とはこういうものではないだろうか。その集めた切手、いつか使うんですか、という話である。

今回の会を通してまた欲しい標準レンズがいくつか出てきたので帰りの電車でずっと検索していた。もうだめだと思う。

帰りは名残惜しかった。次は泊りがけでやりたい。

 

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