「寿命延長技術を開発して長生きすること」にまつわる倫理的問題とは?

GIGAZINE
2023年05月06日 18時00分
メモ



古くから、巨大な権力や資産を手に入れた人々にとって、「永遠の命」は喉から手が出るほどほしいものでした。科学技術が発展した現代では「寿命を延長する」程度であれば十分に現実的な目標であり、OpenAIのサム・アルトマンCEOやAmazon創業者のジェフ・ベゾス氏、Googleの共同創業者であるセルゲイ・ブリン氏など数多くの資産家が寿命延長を研究する企業に投資を行っています。人間の寿命が延びることは歓迎すべきだと思うかもしれませんが、オーストラリアのモナシュ大学で生命倫理学の講師を務めるJulian Koplin氏とメルボルン大学の生物医学倫理学者であるChristopher Gyngell氏が、「寿命を延長することは倫理的なのか?」という問題について論じています。

The rich are pouring millions into life extension research – but does it have any ethical value?
https://theconversation.com/the-rich-are-pouring-millions-into-life-extension-research-but-does-it-have-any-ethical-value-201774


◆寿命の延長は単なる死の先送りではないか?
寿命の延長に対して懐疑的な見方をする人の中には、「結局のところ人間の死は避けられず、寿命の延長は死を先延ばしにしているに過ぎない」と考えている人もいます。しかし、この主張に対してGyngell氏は、「この考え方の問題点は『すべての救われた命は一時的にしか救われない』という点です」「ある人の寿命を10年間延長することは、ある人が溺れかけているところを救ったものの、10年後に交通事故で死んでしまうのと似ています。私たちは最終的にその人が死んだことを悲しく思うかもしれませんが、命を救ったことはうれしく思うでしょう」と指摘しています。

さらに、最も楽観的な考え方は「10年間寿命を延ばせば、その間にさらに10年間寿命を延ばす技術が見つかるかもしれない」というものです。そのため、短期間であれ寿命が延長できることは、大きな意味を持つ可能性があります。


◆不死は退屈なのではないか?
一部の人々は、「とてつもない長寿を得たらいつの日か生きることに退屈してしまう」という懸念から、寿命の延長に否定的です。哲学者のバーナード・ウィリアムズは、人生を価値あるものにするのは欲求の満足であり、この欲求は子育てや小説の執筆といった主要なライフプロジェクトに関連していると主張しました。この説に基づくと、人生が長すぎると欲求となり得るプロジェクトが枯渇してしまう可能性があり、結果として不死の人間は人生に退屈してしまうかもしれないと論じています。

Gyngell氏は、「一部の哲学者は人間の記憶には誤りが多く、以前の経験を忘れると同じ欲求が再浮上することもあると指摘しています。他の人々は、私たちの人生経験が興味を再形成し、私たちのカテゴリー的な欲求は進化し、非常に長い人生の過程でもそれを続けるかもしれないと強調しています」と指摘。これらの説が正しい場合、人生が長くなってもウィリアムズの主張の通り、プロジェクトが使い果たされて人生に退屈してしまうことはありません。

また、永遠の命はプロジェクトの枯渇を引き起こすかもしれませんが、せいぜい数十年寿命を延ばす程度であれば、欲求の対象となるプロジェクトがなくなることはないかもしれません。Gyngell氏は、「80年は自分の可能性を追求するのに十分な時間ではないと言う人も多いでしょう。個人的にはあと20年、もしくは50年、小説を書いたりDJとしてキャリアを積んだりするのは大歓迎です」と述べました。


◆貧しい人々が寿命を延長できない場合はどうなのか?
寿命延長に関する懸念の1つに挙げられるのが、貧富の格差による不平等です。当然ながら寿命を延ばすテクノロジーは高価なものとなる可能性が高く、シリコンバレーの億万長者が150歳の誕生日を祝うことができるのに、貧しい人々は70~80歳で亡くなるということが一般的になるかもしれません。

Gyngell氏は、「この反論には説得力があるように思えます。ほとんどの人々は健康の平等を促進する介入を歓迎しており、これは国民皆保険に対する広く社会的な要求に反映されています」と述べ、この問題は倫理的な議論を巻き起こすだろうと認めています。その一方で、国民皆保険は「貧しい人々の状況を改善することで平等を促進する」という発想ですが、寿命延長技術を何らかの理由で阻害することは、逆に「裕福な人々が手に入れられたかもしれないものを奪って平等を促進する」という発想だと考えることもできます。

Gyngell氏は、「レベルダウンに基づく平等の倫理的望ましさは不明です。オーストラリアで最も貧しい人々は75歳になる前に死亡する可能性が、最も裕福な人々と比べて2倍も高いのです。しかし、75歳以上の健康を改善するためのテクノロジーの開発をやめるべきだと主張する人はほとんどいません。また、寿命延長技術の価格は最終的に下がる可能性もあります」と述べ、この方面から寿命延長技術に異を唱えることは難しいかもしれないと示唆しました。


◆寿命延長技術の本当の問題とは?
これまでGyngell氏は、寿命延長技術にまつわる倫理的課題を肯定的な見方で論じてきましたが、極端な延命のケースに適用される深刻な倫理的異議が1つあると指摘。それは、「普通の人間が極端に長生きするようになった場合、人口の適応性が低下し、社会的停滞につながる可能性がある」というものです。

たとえば、平均寿命がわずかに延びただけでも人口ピラミッドは大きく変わり、地球上の資源で養うべき人間の数が飛躍的に増大します。人口過剰を防ぐためには出生率を下げる必要があり、世代交代は大幅に遅くなります。2015年の研究では、出生率低下に伴う社会的停滞は「絶滅の脅威に対する脆弱(ぜいじゃく)性を高める」「個人の幸福を危険にさらす」「道徳的な進歩を妨げる」といった問題点があると指摘されています。

世の中に存在するさまざまな分野では、若い世代が定期的に入ってくることで大きな恩恵を受けており、世代交代によって技術革新や社会的概念の更新が進みます。しかし、あまりにも多くの高齢者が残り続けている状態では、科学的知識や道徳的信念における確証バイアスを持ち、古い考えにとらわれた人々が権力のある地位にとどまり続ける可能性があるとのこと。

Gyngell氏は、「私たちの社会の道徳規範は、少なくともいくつかの点で大きく間違っているように思われます。過去の社会が奴隷制を支持したり、同性愛を違法としたりしていたように、私たちは過去の社会が壊滅的な間違いを犯していたと考えています。世代交代が遅れると、私たちが自分たちの道徳的な間違いを認識し、修正する時期が遅れるかもしれません。特に、私たちの目にまだ見えていない問題はそうです」と述べました。


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