八ツ沢水力発電所の導水路をたどる(デジタルリマスター)

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山梨県の東部にある大月市には、たくさんの水力発電所が存在する。 特に桂川(相模川水系)沿いに多く、付近に行けば水力発電所のパイプをよく目にすることができる。

そんな大月市の水力発電所の一つ、八ツ沢発電所は明治45年に営業を開始したとても古い発電所。当時の最先端技術と人海戦術によって作られたその導水路は、優れた産業遺産として国の重要文化財にも指定されている。

あと数年で営業開始100周年。そんな歴史ある八ツ沢発電所の導水路を、取水口からたどってみた。

2008年2月に掲載された記事を、AIにより画像を拡大して加筆修正のうえ再掲載しました。

1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー)

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スタート地点は駒橋発電所

水力発電の基本的な仕組みは、 高いところから水を落として水車発電機を回し、電気を作るというもの。

ということは、当然ながらその落とす為の水が必要となるのだが、 八ツ沢発電所は上流にある駒橋発電所から水をいただいている。駒橋発電所で発電に使った水を、水路を通して八ツ沢発電所にまで引っ張っていき、そこで再び発電に利用しているのだ。

つまり、八ツ沢発電所へ水を引く導水路の始点は、駒橋発電所ということになるのである。では、まずはその駒橋発電所から見ていくとしよう。

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駒橋発電所の迫力ある水圧管路(水を落とす鉄管)
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落とした水はこの水車に流し、発電機を回転させる
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水車の下、もの凄い勢いで回転する軸
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そして排出される水。ここからの水路が重要文化財

実は、この駒橋発電所の運用開始は明治40年。明治45年の八ツ沢発電所よりも古い発電所だったりする。ちなみに、この駒橋発電所の建設には、あの日立製作所の創業者も関わっていたらしい。

また、現在駒橋発電所の水圧管路は二本であるが、昔は八本もあったそうだ。作った電気は東京へ送り、早稲田変電所を経由して麹町辺りのあかりを灯したという。

う~ん、そう聞くだけでもロマンを感じずにはいられない。

次に続くは石積みの取水口施設

さぁ、いよいよ八ツ沢発電所の導水路の始まりだ。その全長は約14kmと半端無い。重要文化財としても最大級。日本で最も巨大な文化財と言っていいだろう。

さてさて、駒橋発電所から流れてきた水だが、まずは水門から新たに取り入れた桂川の水と混ぜられる。こうすることによって、八ツ沢発電所に送る水の量を調節するのだ。

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取水口制水門から川の水が取り込まれる
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続いて水は沈砂池へ

しかし、川の水は砂や泥などが混ざっているので、これをそのまま水路に流したら後々まずいことになってしまう。

なので、水路に流す前に、流れの緩い沈砂池(ちんさち)という池を通す工程が必要になる。そうすることで、困りものの不純物は底へと沈み、上澄みの綺麗な水だけを利用することができるのだ。

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沈砂池を経て綺麗になった水は……
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地下へと流れていく

それにしても、この取水施設のなんと美しいことか。石積みの堤防を基調とし、石とレンガの水門、コンクリートの構造物がアクセントとして添えられる。

このバランス具合がとても良い。そして、積まれた石が作り出す模様には、何とも言えない色っぽさがある。あぁ、たまらん。

隧道、開渠、水路橋。ひたすら続く水の道

さて、水路はしばらく隧道(すいどう)に入る。隧道とはトンネルのこと。トンネルとは言っても、ここでは地下水路のようなものであるが。

再び水路が地上に現れるのは、沈砂池から東へ1kmほど行ったところ。桂川沿いにある団地のすぐ側にひょっこり顔を出す。それが、第一号開渠(かいきょ)。

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全面フェンスに覆われる第一号開渠
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目を凝らすと、中にアーチ状の構造物が見える

開渠とは、まぁ、開けた水路のようなもの。転落防止の為か、フェンスが張り巡らされており、中が非常に見えにくくなってしまっているのがちょっと残念。

だが、よくよく目を凝らしてみると、中で水が流れているのが分かる。レンガで造られたアーチ状の構造物も見て取れる。フェンスの中のチラリズム。最初から丸見えであるより、こちらの方がより興奮する……か?

開渠はすぐ終わり、水路は再び地下に潜る。次に地上に現れるのはそこから250mぐらい先。桂川が最も狭まり、渓谷になっているその場所に、なんと水路橋として再登場。

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突如現れる第一号水路橋
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水路は桂川を渡り、またもや隧道へと入っていく

実はこの第一号水路橋、なんと鉄筋コンクリートでできている。鉄筋コンクリートなんて今でこそ当たり前のように使われているが、これが作られたのは鉄筋コンクリート黎明期の明治45年。まだまだ鉄筋コンクリートが珍しかった、そんな時代に作られた貴重な橋だ。

今や鉄筋コンクリートの建築なんて20年とか30年とかで壊されてしまうというのに、それが100年も持っているなんて。しかも現役の水路だなんて。いやはや、凄い!

再度隧道に入った水路はそのままさらに東へ進み、そしてまた開渠として地上に姿を見せた。

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地中から飛び出た水路は第ニ号水路橋を通り
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ほぼまっすぐに伸びて行く
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んで、やっぱり地中へ消える
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……しかし、これは無いだろう

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